ヒルネボウ

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『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告 (8/12)「馬鹿」

2024-05-04 23:19:05 | 評論

   『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告

(8/12)「馬鹿」

〔設問〕を読み返そう。「作者がどんな人間像を与えようとしているのか」ということだった。遠藤らは「作者」に「どんな人間像を与えてようとしているのか」なあ。

ところで、「作者」って何者? 〔1230 作者と作品と語り手夏目漱石を読むという虚栄 1230 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。

私が批判しているのは、ことあるごとにウンチを垂れ、もとい蘊蓄を傾けて悦に入る知識人どもだ。また、勿体ぶった意味不明の作文を有難がる編集者、研究者、評論家、教員、記者、コラムニスト、コメンテーターなどだ。彼らは道化師と区別できない。

実際、テレビでは、お笑い芸人がコメンテーターをやっているよね。芸人は無責任でいい。むしろ、無責任の方がいい。だが、無責任な芸人と一線を画すことが出来ない人は、自分が無責任であることを表明しているようなものだ。

自尊心がないのか。虚栄心が強いのか。いや、逆か。どっちでもないのか。

自尊心と虚栄心のごちゃ混ぜ。ことあるごとに虚勢を張る。威張れないとき、不能を苦悩に偽装する。要するに「馬鹿」(下三十)だ。〔2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」夏目漱石を読むという虚栄「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」 2410 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。

知識人の共通点は「馬鹿」の一言で表すことができる。

(8/12終) 

          


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『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告 (7/12) 「淋(さび)しい人間」

2024-05-04 00:32:53 | 評論

   『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告

(7/12) 「淋(さび)しい人間」

SとKの「共通点」は「淋(さび)しい人間」(上七)だろう。〔1500 さもしい「淋(さび)しい人間」夏目漱石を読むという虚栄 1510 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。根拠は次の文だ。

 

私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑が(ママ)い出しました。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十三)

 

一寸待てよ。

発問者の期待する〔解答〕は、「私」つまりSの空想ではなかった。

「淋(さび)しい人間」という言葉は「因襲を逃れられぬ知識人を描いた『寂しき人々』(1891)」(『ニッポニカ』「ハウプトマン」)と関係がある。『寂しき人々』については第八章で考える予定。

(7/12終)  

         


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