ヒルネボウ

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『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告 (補)〈知識人〉の類語

2024-05-09 22:36:03 | 評論

   『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告

(補)〈知識人〉の類語

「淋しい人間」〔1500 さもしい「淋しい人間」夏目漱石を読むという虚栄 1510 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「中途半端な知識人」(『菜根譚』)〔1532 中途半端な人夏目漱石を読むという虚栄 1530 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「逆さまの隠者」(『タロット』)〔1533 逆さまの隠者夏目漱石を読むという虚栄 1530 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「スノッブ」〔1543 「人世観とか何とか」夏目漱石を読むという虚栄 1540 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「先生」〔2120 「先生」は意味不明夏目漱石を読むという虚栄 2120 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「神経衰弱病者」〔3113 神経病夏目漱石を読むという虚栄 3110 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「貧弱な思想家」〔3141 「貧窮問答歌」夏目漱石を読むという虚栄 3140 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「世間に向かって働き掛ける資格のない男」〔3143「世間に向かって働らき掛ける資格のない男」夏目漱石を読むという虚栄 3140 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「近づく程の価値のないもの」〔3200 「近づく程の価値のないもの」夏目漱石を読むという虚栄 3210 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「スキゾフレニア」〔3323 スキゾフレニア夏目漱石を読むという虚栄 3320 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「大衆」〔3411 自由・平等・博愛夏目漱石を読むという虚栄 3410 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

「近代人」〔3413 「自他に区別を忘れて」〕

「悪意ある自由(リべ)思想家(ルタン)」〔3442 『イロニーの精神』〕

「郷党(きょうとう)の鬼才」〔3450 『山月記』〕

「近代知識人」〔3511 つるしあげ〕

「イゴイスト」〔3512 エリート〕

「ものを書くキッチュ」〔3513 エゴチスト〕

「考えなくてはいられない人格の修養を積んだ人」〔3531 「撲殺(ぼくさつ)し合う」〕

「狂人」〔4151 喫茶去〕

「小人物」〔4321 「屁をいくつ、ひった」〕

「文学的自由主義者」〔4442 「意見」について〕

「才人」〔4511 「意識の連続」は意味不明〕

「豚野郎」〔4512 仲良しごっこ〕

「才人」〔4543 『大衆の反逆』〕

「低廻家(ていかいか)」〔5242 『ゴドーを待ちながら』〕

「偽善家」〔5253 「露悪家」〕

「露悪家」〔5253 「露悪家」〕

「ストレイ シープ」〔5422 「迷(ストレイ)羊( シープ)」〕

「偽(にせ)預言者(よげんしゃ)」〔5433 野狐禅〕

「性悪(しょうわる)の見栄坊(みえぼう)」〔5451 井上メイサ〕

「利いた風の口を利く輩」〔6121 詭弁〕

「人間という愚かな生きものに対する洞察の浅い軽薄な人間」〔6121 詭弁〕

「科学の仮説性をわきまえていない小善人」〔6121 詭弁〕

「擬似インテリゲンチャ」〔6131 正義派〕

「正義派」〔6131 正義派〕

「自己を隠蔽(いんぺい)する偽君子(ぎくんし)」〔6142 おんぶに抱っこ〕

「高等遊民」〔6152 「愛の炎を見出(みいだ)さない事はなかった」〕

「似(に)たる事をいひて真(まこと)の道(みち)にあらぬ人」〔6252 『兵法家伝書』〕

「意地の強い男で、又意地の弱い男」〔6313 「母が僕を生んでくれた事」〕

(終)


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『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告 (12/12)知識人は誤読する

2024-05-09 00:36:30 | 評論
  

『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告

(12/12)知識人は誤読する

小説の場合、知識人作家が拵えるのは、寓話とか訓話などだ。社会小説とか教養小説とか。成功すれば、明るい知識人小説だ。役に立つこともある。イソップとかゾラとか。でも、小賢しい。一方、失敗した暗い知識人文学は何の役にも立たない。その典型が『こころ』だ。SやKは暗い知識人だが、そのことが欠点なのではない。彼らがどのように描かれているか。このことが問題なのだ。作者は、彼らに同情しているようだ。だから、作者は暗い知識人だ。

『こころ』の意味が明瞭だったら、『こころ』は、どれほど陰鬱であっても、『吾輩は猫である』のようなお笑いに終わったはずだ。Sは『吾輩は猫である』の苦沙弥と同様の奇人なのだ。Sの葬式などの場面が描かれていないのは、作者が〈Sの物語〉を悲劇として完成させられなかったせいだ。代りにKが死ぬ。ただし、自殺の動機は不明だ。猫のワガハイが苦沙弥の代りに事故で死ぬのに似ている。同工異曲。作者は〈Kの物語〉を構想できなかった。この物語の原形は〈金之助の物語〉だろう。〔1452 読めない『Kの手記』夏目漱石を読むという虚栄 1450 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。

知識人は『こころ』を悲劇のように誤読する。知識人は笑いものにされたくないから、意味不明なのを幽遠とか超俗などと誤読するわけだ。そして、奇人Nを天才として担ぐ。

生兵法は大怪我の基。大怪我をせずに済んでいるのが明るい知識人だ。大怪我をして当然なのに、「この不可思議な私というもの」(下五十六)などと粋がっているのが暗い知識人だ。

もう、いいかな。いや、駄目だろうな。

〈貴様だって知識人だろう〉ってか? だったらどうだってンだよ。〈知識人は相身互い〉ってか? 「いやしくも公平の眼を具し正義の観念を有つ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければ済まん事だと私は信じて疑わないのです」(夏目漱石『私の個人主義』)ってか? 〔『夏目漱石を読むという虚栄~第二部と第三部の間(12/12 「公平の眼」夏目漱石を読むという虚栄 ~第二部と第三部の間 (12/12)「公平の眼」 - ヒルネボウ (goo.ne.jp))』参照。

私の頭の中に知識人どもが巣食っていて、ことあるごとにいちゃもんをつけてくる。そいつらを排除したい。彼らを無視したい。無視できるようになりたい。そうなるために、もうしばらく夏目批判を続ける。

Sのような、普通人にとっていてもいなくてもどうでもいいような知識人の「倫理上の考」(下二)なんか、どうでもいいのだ。どうでもよくないのは、Sが小説の登場人物だからだ。『こころ』を理解するためには、Sの「倫理上の考」を知る必要がある。私はそう思う。知るだけでは足りず、理解する必要があると思う。さらに評価する必要もあるはずだ。ところが、私にはSの「倫理上の考」なるものを知ることができない。だから、当然、それを理解することはできないし、評価することもできない。

「遺書」つまりSの体験の「叙述」(下五十六)は、難解なのではない。知識として受容できないのだ。意味不明だから。

(12/12終)


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