米国の思想家エマソンの「自己信頼」に照らしても日本教育界の荒廃ぶりを、橋下徹市長が怒るのは当然!

2012年04月08日 02時19分19秒 | Weblog
◆全国マスコミ研究会は4月7日午後1時から5時まで東京都台東区上野公園の東京文化会館(公益財団法人東京都歴史文化財団)で「エマソンの名言」勉強会を開催した。第1部の講師は、阿部数利・エマソン実践協会理事長(阿部数利会計事務所代表、税理士)が演題「エマソンの思想と哲学の真髄 その1」で、第2部の講師は、板垣英憲・エマソン実践協会専務理事(板垣英憲マスコミ事務所代表)が演題「全米を感動させた名演説『アメリカ人の精神的独立宣言』(①エマソンが生きた時代と背景②エマソンに影響を日本人③モデルなき時代に生きる現代日本及び日本人が、エマソンから何を学ぶか?)で講演した。第3部は「対話と懇談」を行い、参加者が、エマソンについて、和気藹々に意見を交換した。館外では、上野公園で桜が満開、冬に逆戻りしたような気候にもかかわらず、大勢の花見客で賑わっていた。
◆エマソン(1803年5月25日~1882年4月27日)は、「南北戦争前夜に花開いたアメリカ・ルネッサンスを代表する思想家」として説教「主の晩餐」、代表作「自然」、有名な講演「アメリカの学者」「神学部講演」などを残している。
 私は、これらのなかから、1837年8月31日にハーバード大学の「ファイ・ベータ・カッパ」(Phi Beta Kappa、成績優秀な学生からなる米国最古の学生友愛会のことで、この会員=非常に優秀な成績で大学卒業したという証になる)のために行われた「アメリカの知的独立宣言」(ホームズ=1809年~1894年=の評)として名高い「アメリカの学者」について、解説した。 
 まず、エマソンが生まれた1803年5月25日から、「アメリカの学者」を講演した1837年8月31日までの略年譜をたどり、世界史年表から、1837年前後のヨーロッパ・アメリカ、アジア・アフリカ、日本で起きた出来事を追いながら、時代背景を把握した。この年の2月19日、日本では「大塩平八郎の乱」が起きているのが、興味深い。
 このうえで、「アメリカの学者」(「エマソン論文集(上)」酒本雅之訳、岩波文庫)の結論部分を朗読した。
 「わたしたちはあまりにも長くヨーロッパの優雅な詩神に耳をあずけすぎました。アメリカの自由人の精神は、臆病で、模倣好きで、覇気に欠けるのではないかと、すでに疑われ始めています」
 「兄弟たち、そして友人の皆さん――願わくは、わたしたちの意見はそうあってほしくありません。自分自身の足で歩きましょう。自分自身の手で仕事をしましょう。自分自身の心を語りましょう」
 「人間に対する畏れ、人間に寄せる愛こそ、いっさいをとりまく防壁、喜びの花輪でなければなりません。人間寄りつどうひとつの国が初めて出現することになるでしょう。人間ひとりびとりが、万民にいのちを吹き込む『神聖な愛』によって、自分もいのちを吹き込まれていると信じるからです」
◆エマソンは欧州に渡り修行中、大英帝国(ヴィクトリア朝)のスコットランド出身の歴史家・評論家、言論人であったトーマス・カーライル(1795年12月4日~ 1881年2月5日)と知り合い、親交を結び強く影響を受けた。カーライルの代表作に、『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。このうち、『英雄崇拝論』に代表されるように、「世界の歴史は英雄によって作られる」と主張した。カーライルが言う「英雄」とは歴史に影響を与えた神、預言者、詩人、僧侶、文人、帝王などを指した。エマソンは、「代表的偉人論」を書いている。エマソンとカーライルは、札幌農学校出身の内村鑑三(米国・メソジストキリスト教会M.C.ハリスから洗礼を受ける)、新渡戸稲造や、その門下生たちの矢内原忠雄、畔上賢造らに多大な影響を与え、内村鑑三は、「代表的日本人」を著しており、カーライル、エマソン、内村鑑三の思想的繋がりが、極めて深いことを示している。
 1909年秋、第一高等学校の校長・新渡戸稲造の下で読書会グループを形成していた学生たちが、新渡戸の推薦状をもって、内村鑑三の弟子に入門した。内村鑑三は、この一団を柏会と命名した。1909年10月29日、第一回会合を行い、岩永祐吉、金井清、川西実三、黒崎幸吉、沢田廉三、膳桂之助、高木八尺、田中耕太郎、田島道治、塚本虎二、鶴見祐輔、前田多聞、三谷隆正、森戸辰男、藤井武らがメンバーとして参加した。その2年後の1911年秋、『聖書之研究』で、読者であればだれでも聖書研究会に出席しても良いと広告され、10月1日に矢内原忠雄と坂田祐らが出席した。矢内原忠雄は柏会に入し、坂田祐は南原繁と別の会を作り、1912年1月30日、「白雨会」として発足している。
 大東亜戦争敗戦後、これらの人々のなかから、日本の文教政策に深く関わった人物は、少なくない。広島大学長を務めた森戸辰男が上げられる。「期待される人間像」作成に携っている。
 しかし、宗教的・思想的系譜から見て、現代日本の教育は、エマソンが提唱した「自己信頼」(自分自身を全面的に信頼する)の思想に立脚して、自律的に生きていくことのできる人間を養成する力が、減退しており、「他人との比較」に偏重する「偏差値教育」が過度の弊害を生んでいる。「他人志向型」の人材を多数輩出していて、教育を荒廃させている。大阪市の橋下徹市長が、教育委員会全廃など教育改革を提唱しているのが、こうした現象の表れの1つであるとも言える。私は、もう一度、エマソン思想を振り返ってみるべきではないかという思いを強くしている。

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本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
鳩山由紀夫元首相がイランへ飛んだのは、信念の持論「友愛外交」推進・展開の一環であり、外交無関心の野田佳彦首相が、いまさら慌ててもムダだ

◆〔特別情報①]
 鳩山由紀夫元首相が、風雲急を告げるイランへ、勝手に飛んだことに対して、野田佳彦首相はじめ、外務当局は困惑している。というよりは、むしろ迷惑顔だ。しかし、国会議員が、積極的に「議員外交」に力を入れても、決しておかしくはない。問題の根は、野田佳彦首相が、外交に余り熱意を持ってこなかったことが、日本外交を混乱させている。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

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第4回板垣英憲『勉強会』開催のご案内
平成24年4月21日(土)・30日(月)

『黄金の国ジパング、日本の実力と進路』


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宮沢賢治も共感したエマソンの思想・哲学を実践し、体内リズムを整える勉強会を立ち上げる

2012年02月10日 00時57分59秒 | Weblog
◆私はこのほど、米国の思想家・哲学者ラルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson=1803年5月25日に生まれ、1882年4月27日に死去。享年78歳)の思想・哲学を学び、実践することを目的に設立されて「エマソン実践協会」(阿部数利理事長、本部・東京都江戸川区)に全面協力することを決め、専務理事に就任した。

 「心のプラットホーム」~宮沢賢治も共感したエマソンの言葉

 エマソンの思想・哲学に共感した著名人としては、宮沢賢治がいる。純粋なものの考え方、生き方に心酔したのであろう。
 エマソンは、日本の江戸・文化文政のころ、米国マサチューセッツ州ボストンに生まれ、18歳でハーバード大学を卒業、21歳までボストンで教鞭をとる。 その後、ハーバード神学校に入学、伝道資格を取得し、牧師になる。 自由信仰のため教会を追われ、ヨーロッパに渡り、英国の代表的なロマン派詩人ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth, 1770年4月7日~1850年4月23日)や19世紀の英国(大英帝国ヴィクトリア朝)時代を代表する言論人(歴史家・評論家)だったトーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795年12月4日 ~1881年2月5日)らと交わる。
 帰国後は、個人主義を唱え、アメリカの文化の独自性を主張し、思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイストとして活躍した。
 著書は『エマーソン論文集』( 戸川秋骨(明三)訳、玄黄社、1912年)『偉人論講話』(栗原古城訳註、東亜堂書房、1913年)『エマアソン全集』(第1-8巻、国民文庫刊行会〈泰西名著文庫 第2部〉、1917年)『自然論 附・エマソン詩集』(中村詳一訳、越山堂〈世界名著文庫 第10編〉、1920年)『エマスン詩集』(中村詳一訳、聚英閣〈泰西詩人叢書 第2編〉、1923年)『世界大思想全集』(第21巻、春秋社、1931年)『代表偉人論』(平田禿木訳、玄黄社、1932年)『自然論』(片上伸訳、岩波書店〈岩波文庫 952〉、1933年)『自然論』(柳田泉訳、春秋社〈春秋文庫 第3部 第5〉、1933年)『エマスン論文集 第1巻.歴史・自恃・報償 他3篇』(戸川秋骨訳、岩波書店〈岩波文庫 1808-1813〉、1938年)など多数。
エマソン実践協会設立の趣旨(平成24年2月2日付け作成)は、以下の通りである。
 私たちは、悠久の宇宙と自然のなかに生き、真の自己を探求発見するとともに、自己信頼と精神の法則に基づき、天命を果たして有限の一生を全うする使命がある。
 私たちは、自然を愛し、自然に学びつつ、その自然を認識していく人間精神に立脚して、を自己の内にある道徳倫理を信頼し、学問の研鑽と人格の陶冶に努め、天賦の魂を磨き上げていく義務がある。
 私たちは、偉大な哲学者エマソンが掲げた光明思想を個々人の生業に活かし、広く普及し社会貢献していく責任がある。
 私たちは、心身の健康と幸福、繁栄を築くために、エマソン実践協会を設立する。
 エマソンは、仏教や中国の思想・哲学など東洋哲学にも造詣が深く、禅宗にも傾倒していたと言われている。これが、「自己信頼」「精神の法則」という言葉などに色濃く出ている。禅宗が説く「脚下照顧」などという言葉から影響を受けたとも言える。「真の自己」「自我」に目覚めることを目指す禅の教えを、キリスト教世界流に説いたのである。
◆現代社会は、混沌とした「カオス」のなかで、しかもあらゆるものの「正常な拍子=リズム」が狂った状態のなかで、私たちは、心身の正しいリズムを狂わせて生活している。この意味で、いかにすれば、「宇宙の正しい理法=リズム」に体内リズムを合わせ、整えて、健康な心身を取り戻せるかを追求するため、エマソン思想・哲学を勉強し、それを実践し、邪悪を排してピュアで幸福な生活を送れるよう努力しようと考えている。

平成24年2月17日(金)第2回板垣英憲『勉強会』開催のご案内
※「昼の部」は定員となりました。平日にも関わらず多数のお申込みを頂き、誠にありがとうございます。「夜の部」は若干ですが、まだ少し余裕がございます。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
野田佳彦首相が、小沢一郎元代表の「造反の罠」に嵌り「最悪のシナリオ」へ

◆〔特別情報①〕
野田佳彦政権の第4次補正予算が成立(2月8日)したのを受けて、9日から2012年度政府予算案の本格的審議が始まった。これは野田佳彦政権の終わりの始まりとなる「衆悪シナリオ」が現実化することを意味している。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

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脱北者~命がけの脱出と今を追う

2009年04月23日 19時43分14秒 | Weblog

◆朝鮮日報軍写真部の崔淳湖(チェ・スンホ)記者=現在、国会関連記者として活動=が、このほど、現文メディア(東京都大田区南千束1-10-8)から「脱北者~命がけの脱北と今を追う」(翻訳監修・高橋宣壽、発売・理論社)を上梓した。
幾多の危険に遭遇しながら撮影した渾身の写真集である。
◆金日成・金正日の元超側近だった黄長(ファンジャンヨブ)氏が次のような激奨の推薦文を寄せている。
「生き地獄・北朝鮮から命懸けの脱北を試みる人々をフォトと文で綴ったドキュメンタリー」
収容所国家である「北朝鮮」への外部からの潜入は難しく、映像による実情は、容易に目に触れることはできない。
相互監視システムが、外部からの潜入を困難にしているからだ。
◆しかし、崔さんのこの写真集は、北朝鮮国民の凄絶悲惨な実情を活写していて、胸に迫るものがある。日本からは、金正日総書記はじめ北朝鮮指導部にな厳しい批判の矢を射続けるしかないが、「知ること」が大事である。
◆いま現在、崩壊の危機に陥って断末魔の声を上げ、ミサイルを発射している北朝鮮が一日も早く滅亡することを願って、写真の一枚一枚に目を通したい。

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あの老犬が飼い主に引き取られてホッとした

2007年12月09日 18時23分04秒 | Weblog
読売新聞12月9付朝刊が社会面で、茨城県内で認知省の老女を、添い寝して助けた老犬が、飼い主のもとに引き取られたと報じ、ホッとひと安心した。
老犬はオスで名前は「ウシ」といい、12年前から飼われていたけれど、5日からいなくなっていたという。
当初は、ひたちなか市の公園に放たれたとか、保健所に引き渡されたとか、様々な情報が流れていたが、飼い主が現れ、無事引き取られたという。
ちなみに私は戌年。
世知辛いこのご時勢、強盗殺人だの、痴情のもつれだの、いやなニュースばかり耳にする昨今だけに、人なつっこい老犬の話の結末に、まずはホッとした。

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東京都の税理士・阿部数利氏が経営現場から放つ著書は、数々の警世に富み感動的である

2007年11月19日 18時35分42秒 | Weblog
◆東京都江戸川区平井で会計事務所を経営している税理士の阿部数利先生から、「活力を呼ぶ人間界!再建―『群れないで生きる』ため」(明窓出版刊)と「反骨税理士が訴える 中小企業は悪でなければ生き残れない」(現代企画刊)「祈り学―占い・宗教潜在意識」(こうふく社刊)と題する著書3冊を贈呈された。いずれも現代という複雑怪奇な時代に対する警世の書であり、大変刺激的である。同時に、視界が不透明な時代を懸命に切り拓き、未来に向けて希望を保ちつつ全力で取り組んでいる真摯な姿勢がよく伝わり、しかも数々の警世に富み感動的である。
◆社会というのは、一部の指導的な政治家や経済人、あるいは新聞人や学識経験者のみによって誘導されるものではなく、個々の国民の真剣な思考や行動の積み重ねによって形成されていくものであることを改めて認識させられる。慶応大学の創設者・福沢諭吉が「学問ノススメ」のなかで「愚民の上に苛き政府あり」と力説しているように、「悪政・乱世・銃声」に蹂躙されない世の中を築くには、国民一人一人が「賢く」ならなくてはならない。たとえば、政治で言えば、一部の大物政治家や新聞人が「民意」を聞くこともなく、「大連立」などと勝手なことをしてもらっては困る。「天の声」とは「民の声」の謂いであるからである。
◆かかる視点から、この3冊の本のなかで、個人的に大いに刺激を受けた部分を以下、抜粋して紹介しておこう。
「活力を呼ぶ人間界!再建」(明窓出版刊)より
○「人間は『予知能力』がなぜ欠けているか―地震・風水害等の自然災害、火災・交通事故等の人的災害、そして私が体験したような突発的入院など、あらゆる問題の結果には、そこに原因及び予兆がある。但し、私達凡人には、そのことが後になってみないとわからないだけである」
「反骨税理士が訴える 中小企業は悪でなければ生き残れない」(現代企画刊)より
○「来る人は福の神、去る人は貧乏神と思えばいい」
○「税務署は中小企業を潰すな!」
○「小企業のチームワークが客を呼ぶ」  
「祈り学―占い・宗教潜在意識」
○「マーフィの奥にエマソン―この世の永遠のは神、その時々における自分の最善である」
◆なお、「人間界再建」と「中小企業は悪でなければ生き残れない」「祈り学―占い・宗教潜在意識」(については、下記の「阿部数利会計事務所」に直接お問い合わせいただきたい。
〒132-0035 東京都江戸川区平井4-11-17 平井パークハイツ406号
電話03-3684-5231 FAX03-3684-5277
E-mail:abekaikei@mub.biglobe.ne.jp

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徳之島は「観光資源の宝庫」であり、団塊の世代には最適のパラダイスとなる

2007年03月03日 19時33分38秒 | Weblog
◆鹿児島県大島郡徳之島町を訪問した。3月1日午前8時5分、羽田発鹿児島行きのJAL機で飛び立つ。午前10時着。10時45分発の徳之島行きJAL機に乗り換えて、午前11時50分着。羽田から徳之島までの所要時間は、わずか3時間45分である。新幹線のぞみであれば、東京駅から広島駅まで(3時間52分)に相当する。航空便が多ければ、時間的には日帰りできる圏内にある。残念ながら便が少なく、徳之島町商工会の講演が午後7時半から9時半までだったので、現地で1泊させてもらった。
◆わざわざ出迎えていただいた経営指導員の秋丸一志さんの乗用車で、島内の名所旧跡をまずは「北回りコース」で案内してもらった。気温20度、彼岸桜は散った後だったが、採り入れ真っ最中のサトウキビ畑が広がる車窓風景を楽しみながら、高橋尚子ロード記念碑→ヨナマビーチ→ムシロ瀬→金見ソテツトンネル→畦プリンスビーチ→第46代横綱朝潮太郎記念像→富山丸慰霊塔→亀徳新港を経て亀津に入った。ハワイ島にやってきた気分である。なかでも、畦プリンスビーチは絶景。今上天皇陛下が皇太子時代に訪問されたのに因んで「プリンスビーチ」と命名された由緒あるリゾート地域である。昭和47年5月15日に沖縄が返還されるまでは、新婚旅行の人気スポットだったという。この島は、闘牛が盛んで、各地に闘牛場がある。獅子文六の小説の主人公「ぎゅうちゃん」を思い出す。
翌2日は、午後0時25分発の鹿児島行きのJAL機で帰路についた。それまでの約2時間、「南回りコース」で見学させてもらった。闘牛場→喜念浜海水浴場→泉芳明記念像→歴史民俗資料館→泉重千代翁像→犬田布岬・戦艦大和慰霊塔→西郷隆盛上陸地→徳之島空港へ。飛行機の出発時間という制限があり、駆け足だったけれど、全島一周を果たした。
とくに戦艦大和慰霊塔にお参りできたのは、まさに「念願が叶った」気分で大変嬉しかった。戦艦大和の生き残り士官・吉田満さんの「戦艦大和の最期」の一節を思い出し、感無量であった。「徳之島ノ西方二十哩ノ洋上、『大和』轟沈シテ巨O四裂ス 水深四百三十米 今ナホ埋没スル三千の骸 彼ら終焉の胸中果たして如何」
ここまでわざわざ連れてきていただいた秋丸さんにひたすら感謝するのみ。
◆以上を総合すると、徳之島は、「観光資源の宝庫」ということを痛感させられた。東京―徳之島の往復航空運賃が、大人1人10万円というのが、大きなネックになっている。沖縄本島などに観光客を奪われ、ハワイ旅行の方が安上がりというのもある。
小泉前首相が、「観光立国」を提唱して以来、徳之島町も、懸命に観光客誘致に取り組んでいるそうである。折角の「観光資源の宝庫」を「宝の持ち腐れ」にしないための方策として、「闘牛」を活かす方法を考える必要がある。いまは幸い、俗化していない分、とっておきの「穴場」である。
おカネを持った団塊の世代にとって「治安よし」「人情よし」の「徳之島」は、最適のパラダイスとなる。
「そのまんま東旋風」を巻き起こした宮崎県の東国原英夫知事に見習い、徳之島から全国ブランドの有名人を鹿児島県知事に担ぎ上げることも考えてはどうだろうか。テレビカメラのフォーカスを徳之島に向けさせなくてはいけない。これは、決して冗談ではありません。
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劇団「圧力団体イクチヲステガ」の政治劇「幸福」は刺激的だったのでもう一度観劇してみたい

2006年11月03日 20時55分21秒 | Weblog
◆現代日本の政治問題に真正面から取り組んでいる若者たちの劇団がある。「圧力団体イクチヲステガ」という。「史上地上に始めて足跡を残す事を許された生物の一つ」が、イクヲステガであり、「我々は圧力をかけ少しでも豊かな世界の捉え方を提案し実現し実践しつづけていく団体である」という。
 この劇団が、9月28日、29日、30日、10月1日、2日の5回、東京都北区豊島7―26―19の「シアター・バビロンの流れのほとりにて」で、「幸福~Beyond the Fortune~」と題して公演した。最終日に観劇して、大変感動した。
◆現在進行中の「憲法改正論」や「国防論争」、さらには、「愛国心問題」などを批判的に、かつ皮肉に捉えながら、ドラマを展開していた。あらすじは、「圧力的補足」(世界観)と称して、以下の通りまとめられていた。
 デカルトとの戦争に敗れて65年。書き換えられた憲法と非武装の精神はデカルトの軍事的傘の下で経済的繁栄と共に謳歌されてきた。しかしサカモトは経済至上主義の弊害と国際関係の変化により徐々に国内外にズレを生じさせていった。国外では極東アズカストの覇権を巡ってベストが台頭し、軍事的均衡を維持するためデカルトとベストが対立を深め、ゼッカルの政治的崩壊を危惧し憲法改正論や国防論争が俄かに沸き立ってきている。国内では少子高齢化、格差の拡大、デカルト軍事基地問題等難題を抱えたまま、サカモトは自主独立国家として誇りと存在を問われる過渡期に差し掛かっている。
 サカモト・・・極東アズカストの海にストの海に浮かぶ島国。65年前デカルトに敗戦し、国体を造り変えられた。武力放棄を憲法に記してはいるが専守防衛の軍隊を保持もしている。 
 デカルト・・・サカモトとは大きく海を隔てた自由主義大国。近代主義思想から成立した実験的多民族国家であり、世界一の経済大国。
 ベスト・・・・極東アズカストで最大の規模を持つ共産主義国家。農村部と都市部の貧富格差が拡大し深刻な問題になっている。
 ゼッカル・・・サカモトの隣国。独裁国家だがその体制は限界に達したといわれて数年、サカモトとの間には数々の未解決問題が横たわっている。
 アズカスト・・地球の陸地の半分を占める巨大大陸。サカモトは陸続きではないが極東アズカスト地域に含まれている。
(サカモトは日本。デカルトはアメリカ。ベストは中国。ゼッカルは北朝鮮。アズカストはユーラシア大陸を明らかに示している)
◆「CAST」は、次の通り。
ロナ・ネド 豊田加奈子
デコ 矢嶋辰徳
リオ 渡辺毅
バスチアン 戸張祐介 
アンドレイ 岡野康弘
ディディエ 珍竹
ズラタン ヨロレイヒ~♪
セスク 8
ジュン 愉快痛快
サイレス G・F藤田
◆「STAFF」は、
原案 イクチヲステガ
作・演出 放蕩詩源
演出・小道具 G・F藤田
演出・振付け 愉快痛快
音響 加藤プラズマ小百合
舞台監督 アンチェインちゃん
照明 小泉献子
美術・宣伝美術 竹内悠
制作 愉快痛快 G・F藤田
(CAST、STAFFからもわかるように、まさしく手作りの演劇であるところが、実に微笑ましい)
◆「愛国心」について、主役のロナ・ネドが、「みんなの心のなかにあるもので強制すべきものではない」という趣旨の発言をしていたのは、説得力があった。国会で教育基本法改正法案、日本教育基本法案の審議が行なわれている現在、改めてこの演劇を思い出しながら、政治に無関心でいると知らず知らずのうちに、新たな政治状況が着実に造られ、不可逆な事態に陥ってしまいかねないと心配がましてくるのを覚える。と同時に「幸福」というものが、うかうかしていると得たいの知れない権力や政治勢力から根底から覆させられる危険があることを痛感させられる。「幸福」は、それほどひ弱なものであるからこそ、日常生活のなかで流されるままでいるのではなく、大事にしなくてはならない。この点で、この演劇は、間違いなく時宜を得た秀作である。
◆舞台の背景に、火焔地獄のなかで巨大な「牝鶏(めんどり)」が大きな声を上げているような図をメインにしたセットが終始配置されていた。牝鶏で想起されるのは、中国の故事である。10月31日に逝去された立命館大学の白川静名誉教授の「字源」を紐解くと、こう解説されている。「牝鶏 [書、牧誓]古人言ヘること有り。曰く、牝鶏は晨(あした)すること無し。牝鶏の晨するは、惟(こ) れ家の索(つ)くる(滅びる)なりと」
俗に、女性が政治向きのことに嘴を入れるようになると世の中は乱れ、国家が滅びる、と古来から言われてきた。
この「幸福」というドラマでは、主人公の女性に、政党の党首を演じさせているが、女性が政治に関与して、強い発言力を持つ世の中の危うさをも、暗に示唆していたのかも知れない、と気付かされる。そういう仕掛けも面白い。その意味でもう一度観劇してみたい。
◆なお、「圧力団体イクチヲステガ」は、「2007年早春」の次回公演テーマを一般募集している。併せて、「構成メンバー・制作さん」も大募集中である。興味・関心のある方は、下記に連絡してみてください
〔連絡先〕070―5020―9624 03―3900―0220(FAX)
東京都練馬区小竹町2―34―16 フラット35D―127号
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満州に侵攻し、北方領土も強奪した国・ロシアのプーチン大統領らに謝罪に求め、「歴史認識」追及を

2006年08月18日 18時37分23秒 | Weblog
 ロシア国境警備隊が、日本漁船を銃撃し、乗組員の盛田光宏さん(35歳)が死亡、船長ら乗組員が密猟と領海侵犯容疑で訴追されることになった事件で、日本外務省の怠慢とロシアの相変わらずの凶暴ぶりが改めて浮き彫りになった。
 安易な日露友好ムードに慣れ、ビザなし渡航まで許してきた日本外務省は、まるで凶暴な熊の前に身をさらす馬鹿な羊に似ている。 第一に、戦後61年も経過しているのに、外務省は、旧ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して、中国・旧満州と北方領土(4島)に侵攻し、日本人多数を虐殺し、満州では残留孤児を生んだことへの謝罪を求めることを止め、しかも、北方領土が「日本の固有の領土」であるとの正しい「歴史認識」からロシアのプーチン大統領らに追及しようとしてもこなかった。
 韓国左翼政権が日本に対して、「日韓併合条約の無効」と「日韓基本条約の不平等是正」を求め、日本人の「歴史認識」を韓国人の「歴史認識」に改めさせようと執拗に抗議しているのと比べれると、まったく手緩い。この際、韓国政権の「対日外交戦略」と「しつこさ」を日本外務省も見習うべきである。日本人は、あまりにも、「物忘れ」が激しい。
 第2に、鳩山一郎首相がソ連に赴き、1956年10月19日、日ソ国交回復に関する共同宣言に調印して、50周年を迎えている今日に至っても、「日露平和友好条約」の締結は実現していない。形式的には未だに「戦争状態」が続いている。ロシアの「野蛮性」は変化しておらず、「凶暴な熊」であるにもかかわらず、外務省はロシア人に「ビザなし渡航」を許すなどして、奇妙な日ソ友好ムードに酔ってきた。シベリアやサハリンの石油や天然ガスが欲しいという「打算」のみで、戦後処理、すなわち「北方領土返還」という外交のケジメもつけてこなかった。
 第3に、日本の政治家は、「ロシア利権」の争奪に専念し、真の国益である「北方領土返還」を軽視してきた。「森利権」「安倍利権」と呼ばれるものである。鈴木宗男衆議院議員が、営々として築いてきた「鈴木利権」を奪い取ったとも言われている。せっかく、鈴木衆議院議員が「ムネオハウス」と呼ばれる施設を国後島につくり、ロシア人とのパイプを築いていながら、外務省は、鈴木衆議院議員を「犯罪者」に仕立てて、追放したものの、「パイプ」まで失ってしまっている。これでは、まともに「ロシア外交」を遂行できるはずはない。
 こうした状況下で、今回の不幸な事件が起きてしまった。漁に夢中になり、海流に流され、待ち伏せしていたロシアの国境警備隊の凶弾の犠牲になったというが、何とも痛ましい。日本国民は、ロシア人の凶暴性、野蛮性を決して忘れてはならない。
 日露平和友好条約の締結に成功すれば、時の首相は、歴史教科書にその名を刻むことができる。だが、古くは中曽根首相も、今日では小泉首相のその偉業を打ち立てることができなかった。
 安倍晋三官房長官は、旧ソ連外交に熱心に取り組み、サハリンの石油・天然ガスの開発を着手した政治家だった父・安倍晋太郎元外相の遺志を継ぎ、日露平和友好条約の締結に意欲を燃やしていると言われているが、その成否は、未知数である。
 ロシアが信頼しているのは、鳩山家である。この意味で、ロシアは、日露平和友好条約を締結するならば、鳩山一郎元首相の孫である民主党の鳩山由紀夫幹事長と考えているはずである。北方領土返還を実現し、北の海を平和な海にできるのは、おそらく「鳩山由紀夫」ただ1人であり、その時期は、「鳩山由紀夫首相」の誕生まで待たねばならないであろう。自民党ではこの問題は解決できない。鳩山民主党政権によって初めて、道が開かれ、実現できる。こう断言してもよい。
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極秘に建造され、極秘に出撃し、極秘裏に撃沈された「戦艦大和の悲劇」を語り継ごう

2005年12月19日 17時58分30秒 | Weblog
正月映画一斉封切り、「大和」には徹夜組も (読売新聞) - goo ニュース

 映画「男たちの大和」を鑑賞した。角川春樹氏の姉・辺見じゅんさんの原作だけに、「男たちの大和」というばかりでなく、むしろ「女たちの大和」という感じの方が強かった。
 私は、呉市の旧海軍工厰(戦後一時、NBCに接収、後に石川島播磨重工業)を眼下に見下ろすところで生まれただけに、休山、三峰山を背景にした呉造船や海上自衛隊の潜水艦基地などの風景にまず、故郷に帰った気分になり、胸が踊った。と言っても、11月に広島市内に講演に行った帰りに、足を延ばして、久方ぶりに帰呉した。その際、JR呉駅近くの海岸縁につくられている「大和ミュージアム」を訪れて、10分の1の戦艦大和の模型や沈没した海底から拾い上げられた遺品などをじっくり見てきていたので、その続きを見せられたようであった。
 戦艦大和の実像を見た日本人は、少ない。建造に携わった海軍工厰の関係者、乗組員、疾走する雄姿を目撃した人々、それに攻撃して沈没に成功した米軍兵たちである。
 戦艦大和は、巨大な鉄の建造物によって包み隠され、そのなかで秘密裏に建造された。海軍工厰を見下せるあたりの道路には、海岸近くから休山や三峰山に至るすべてに人間の身長よりも高いコンクリートの塀が造られていた。その残骸が戦後、長い間残っていた。呉市民はもとより、余所から来た人のだれも、海軍工厰のなかで、何が建造されていたかを知ることも、見ることもできなかったのである。私の親戚の伯父さんが、うっかり海の方を眺めていたら、憲兵隊に発見されて、「何を見ているのか。お前はスパイか」と怒鳴られ、思い切り殴られたという。
 戦艦大和が沖縄特攻に向けて出撃したことも、「軍事機密」であり、おそらくは、見送りにきた乗組である将校や兵士たちの家族もその行く先は知らされていなかったはずである。一部の兵士は、特攻の行く先を感づいていたかも知れないが、大部分は、上艦して初めて「行く先」と「作戦目的」を知らされ、一瞬青ざめたと言われている。
 終戦の翌年、昭和21年8月7日生まれの私も、当然、戦艦大和は撃沈された後であり、その雄姿を見ていない。すでに伝説上の戦艦であった。
 「戦艦大和」は、極秘に建造され、極秘に行動し、極秘のうちにアメリカ軍機1000機から落とされた爆弾や発射された魚雷の餌食となり、蜂の巣のようになって撃沈されたのである。
 国民のほとんどが、何も知らされていない間に、生まれ、そして海の藻屑となった。この悲劇は、戦艦大和の生き残りの一人「吉田満」が戦後まとめた著書「戦艦大和の最期」でやっと知ることができた程度であった。
 また、忘れてはならないのは、日本の艦船や徴用された民間船のの大半は米軍機や潜水艦の攻撃を受けて、戦艦大和と同じような運命をたどり、乗組員ともども「海の藻屑」と化していることである。
 私の母は、戦時中、呉鎮守府の人事部に勤務しており、真珠湾攻撃をした航空歓待の司令長官だった南雲忠壱中将の側で仕えたこともあり、母の務めは、艦船に乗組員の名簿から戦死者の氏名に線を引いて抹消することだったという。抹消する線の数が増え、作業は至って事務的になっていき、敗戦色がだんだんと濃くなるのが分かったと話していたのを思い出す。母の兄、すなわち伯父にも召集令状(赤紙)が届き、昭和20年2月、海軍の水兵服に身を固め、呉駅から軍用列車に乗せられて、宇品港から輸送船で出征した。戦艦大和はこの年の4月7日、撃沈されているから、母は、やはり事務的に3000人余の将兵の氏名を抹消、それから2か月後の6月ごろ、伯父の戦死公報が届いたころ、やはり母は、伯父の氏名に線を引いたことであろう。
 映画「男たちの大和」のなかで、懐かしかったのは、呉市営の「木炭バス」である。私も子どものころ乗った記憶がある。呉の海軍病院は、現在、国立呉病院になっているが、その眼下に「練兵場」があり、子どものころ、よく遊んだものである。
 戦後生まれの「戦争を知らない世代」が、大東亜戦争、そのなかでも太平洋戦争の悲劇を後世に伝えるのは、いまやかなり困難になってきている。それだけに、この映画は、百万言を費やして説明するよりも、効果が大である。
 反町隆史、中村獅童らの好演が、勇敢に戦ったであろう下士官、兵の奮戦ぶりをよく伝えていた。第二艦隊司令長官・伊藤整一中将を扮する渡哲也も、目先が利いてスマートな海軍将校姿を良く表しており、格好良かった。そして米軍機の空襲場面などの特撮は、迫真力があった。
 上演中、ハンカチを握りしめ、終わったときには、かなり湿っていたけれど、ただ一つ、残念だったのは、軍楽隊による「軍艦マーチ」や「海ゆかば」などの名曲が聴けなかったことである。


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なぜ「戦艦大和」は、現代日本人を引きつけるのか

2005年11月22日 14時53分06秒 | Weblog
 今年春、広島県呉市にオープンした「戦艦大和ミュージアム」の入館者が、早くも「100万人」を突破し、「大和人気」の根強さを証明している。旧海軍主計大尉だった中曽根康弘元首相が、オープンの式典に出席して挨拶したのが、全国に知れ渡り、「旧海軍出身者」や「戦艦大和愛好者」に混じって、若い世代が各地から連日押しかけている。
 映画「男たちの大和」の撮影に使用された広島県尾道市向島に行われた実物大の戦艦大和のセットも人気抜群。十二月十七日封切りの前から、見物客が詰めかけている。「長い不況」に泣いてきたの呉、尾道の両市ともに「町起こしに貢献している」とうれしい悲鳴を上げている。
 折しも「信念の改憲論者」と言われてきた中曽根元首相の悲願である「日本国憲法改正」が現実味を帯びてきている。この状況と「戦艦大和人気」重ね合わせて、いまさらながらに中曽根元首相の陰然とした影響力の強さをまざまざと見せつけている。
 だが、戦後六十年を経て、九州・徳之島のはるか西北方の深海底に眠る「「戦艦大和の亡霊」が蘇った感があり「軍国主義の復活に結びつかなければよいのだが・・」と戸惑う人も少なくない。
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