旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

425 ロコモ (毎土曜日 更新)

2015-07-25 03:47:38 | 目標
 色んな過去を背負っている高齢者の人達と接して、人生80を過ぎるとこんなにもボケると人がいるのかと思い始めました。毎朝、「今日は何月、何日、何曜日」そして「毎日日曜日だから関係無い」と納得して、それを何度も繰り返し聞いている人がいます。
 その人には他の人が集まる前に、何度も「今日は何月何日何曜ですか?」と聞いています。その成果が表れて、やっと一回だけ皆に聞くようになりました。そうで無ければ他の人達が迷惑で、その方にテーブルの他の人は全員、大正生まれと言っても自分の同じ苦労話されています。又、それを毎朝、しかし自分の意見と違う事を言うと、大声で否定するのを、根気よく辛抱強く聞く人の優しさに自分は恥ずかしいです。
 
 先日、言うべきか悩んだ末、最近、早々に退散する大正生まれの人に当然しっていると思って彼女は認知症だと言いました。何時も同じ話をしているけど、今後は聞いてあげないといけないと、全く知らなかったと驚いていました。

 入居している高齢者が急病になっても救急車を呼ばなくていい、呼ばないでくれと家族の人に言われたら貴方だったらどうします。幸いというか、朝早くて、その方が隣室の人がいる所迄行って、そこで倒れて救急車に乗せられて難?を逃れました。その場になったら矢張り救急車を呼んだに違いないです。
 本人はそうは思わなくても、介護施設を現在の姥捨て山と勘違いしている人がいたのには驚かされました。そのように、自分の親を施設に預ける人が多くならない事を願っています。これも自分の心配をしなくてはと思っていますが、こんなに良い施設に入れないし、入ろうと思わないです。
 私の兄も延命治療はしないでくれと言っていました。病院に行き、そこで医師からどうするかと最終判断の決定するのが普通だと思います。

 ところでロコモーションなら聞いても、「ロコモティブシンドローム」は知りませんでした。和名「運動器症候群」。運動器とは、体を支え、動かしている骨、軟骨、関節、椎間板、筋肉、神経などのこと。これらの能力低下で、他の人の手助けが必要な要支援・要介護になる危険性が高い状態が「ロコモ」と言うらしいです。

 要介護となる原因は、骨折・転倒が11.8%、関節疾患が10.9%、両方合わせると22.7%で、1位の脳卒中の18.5%、2位の認知症の15.8%を上回って、骨関係が一番多くなっています。

 年取った人の話が多くなりますが、これから益々高齢社会になっていく日本。私も先ず、骨折には注意をしなくては、勿論ボケも、この注意、これが難しいですが、他人ごとでは無いです。
 
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424 世界で最も貧しい大統領  (毎土曜日 更新)

2015-07-18 03:50:48 | 目標
 「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」この言葉で皆さんに紹介したいと思いました。
  
 大統領と言っても、左派ゲリラとしての活動で幾度も逮捕され、「刑務所の中で人生を学んだ」と振り返っています。1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されており、軍事政権側の人質として扱われて、2009年11月ウルグアイ大統領選挙に当選し、2010年3月 1日より2015年2月末まで、同国大統領なった人です。
 南米の小国ウルグアイに、質素な生活や地に足の着いた態度が国民に支持されている、それがムヒカ大統領です。豊かさとは何か、人生で大切なこととはなにか…生き方・考え方に共感しました。

 郊外の静かな農場で質素に暮らし「世界一貧乏な大統領」、それは収入が少ないのではなく、収入の9割近くを寄付して、自身は家とトラクターだけで生活しているためと言われます。彼の個人資産は2010年の段階で、18万円(1987年型フォルクスワーゲン・ビートルの査定額)というから驚きです。しかし、マリフアナ合法化や、同性婚合法化など先進的な政策を進めている事でも知られています。

「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。」

 「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。」

 「人は物を買う時は、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ」

 「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。」

 「人間はもっと良い暮らしを持つためにものが必要なのですが、それを達成するために消費と仕事をどんどん増やさなければ行けない計画的陳腐化や底を知らない消費主義社会にイエスと言ってはいけない」

「お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです」

 「金持ちは政治家になってはいけない」今日のはネットの抜粋が殆どですが、いい言葉は残ります。生きている間に、何が自分にできるか、と考えている間に人生終わるかも知れないです。でも見えない未来に向けて、頑張ります。
 

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423 11万のアクセスを振り返り

2015-07-11 04:56:41 | 思い出日記
 ブログサイト、有難い事に、昨日、1週間分、そして今までの総アクセス数も知る事ができます。その数、今日明日には11万アクセス、嘘っぽいので数字を細かく言うと、109,904なっています。
末尾迄細かく言うと本当らしいと詐欺師、これは失礼、これに近い友人に言われた事を思い出しました。でも、実際本当の数字です。ここまで来たのは読んで下さる方、皆さんがいてと感謝しています。偶々、選んだサイトが素晴らしく私に合っていました。

 そして、2度繰り返す間違いを少なくしてくれるのが、1年前ブログに書いたブログをメールで送って来るというサービスを知りました。 偉いもので1年前ついこの前の事?、見事に忘れていました。我ながらいいことを言っていると思っても、言った事を忘れては仕方ないです。

1年前に「ボケる人ボケない人」を題材に、そんな話もしたなと思ったなのが、ADHDです。このブログを400話以上続けていると以前に話した事を繰り返すようになるかも知れないです。その誤りをしていないと自信がありません。その節は、前回の話をより詳しく書いているとお許し下さい。

  358話で言った話ですが、ADHDとは「人の話をしっかり聞かず、忘れっぽくて、計画的に物事を進めれない。注意力を持続できない、気が散りやすい、物をよくなくすなど、落ち着きが無くしゃべる、思いたったら後先考えずに行動する。私の事を言っているのではありません。この症状は、主に小児の症状と考えらるADHDは注意欠陥多動性障害というのだそ...」今また、新聞記事になっていました。

 気づか無いのはどうかしていますが、私は正真正銘のADHDでした。この症状は、主に小児の症状と考えらるADHDは注意欠陥多動性障害というのだそうです。薬もあるという事で、大人になって急に発症することはないのですという事です。子供の時は、薬が無かったのでしょう。納得。しかし最近特に物を良くなくします。朝からもの探しが始まります。そのような事で一日が始まります。

 考えてみると、最近では無くてズ~と以前からでした。小学生の時にお年玉を無くして泣きべそを、その時に母は又くれた事を思い出しました。これは生まれついてのもので、今までの無くした額は人に言えない程になっているかも知れないです。
 兄はそのような私を心配してくれますが、心配していると癌の心配があると、私が兄の事を心配しているありさまです。

 考えても仕方の無い事を心配するより、明日を考えて行かなくては...11万もありがとうございました。
  
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422 遠い昔

2015-07-04 03:56:02 | 思い出日記
 コペンハーゲンは心の故郷。ロンドンは映画演劇ファンの私にとって忘れられない所です。一度ロンドンに1泊してレスタースクウェアの周りにある映画館を梯子した事がありました。それが自慢です。

 書いたことが多くなりますが、ロンドンの劇場で日本人が切符を買う際に通貨を30ペンスと言うところを、ちょっとの違いが大きく間違って30ペニスと言っていました。イタリア人の友達と行きましたが、そこでやっていた演劇が超飛んでいると「オオカルカッタ」。その日本人は演劇内容を知っていたのかも知れないです(^^♪

 出張でロンドンへ行く機会がありました。東京からダラス、ロンドン、そして夕刻便の東京行きにのれば、機中泊だけで仕事が可能と分かりました、若さに任せそれも可能かと思えましたが、無論、そんな馬鹿なことはしませんでした。念のために付け加えてきます。
 
 初めて12月のニューヨークのウオール街を歩いた時、台風のような風の強さに驚かされました。摩天楼の間を身体全体を斜めにしても倒れない風でした。それと街で売っているピッザの大きさに驚かされました。何にでも驚く若さがありました。

 社会人になってから、研修でシンガポール人と東京の人とNYCに行った時、JFK空港から市内へバスから降りた時、親切にも道案内をしてくれて、付いて行って法外なチップを要求された事もありました。
 それ以来、ニューヨークに着くとタクシーを利用することにしました。乗るといつもどのルートを使うのか聞いてきますが、毎回どのルートが1番いいのか分からない為、情けなりですが、とりあえず2番目にドライバー言ったルートに決めていました。今は事故で飛んでいないと思う、JFKからLGA迄のヘリコプターは忘れられないです。

 忘れられないのが、私を名誉市民にしてくれたニューオーリンズ。今、どうして行ったか毎日フェリーに乗って町まで行ったのですが、何処から乗ったか等何も覚えていないです。忘れてしまったことが殆どです。

 コペンハーゲンとロンドン、それとニューヨーク、ニューオリンズ、東京と何処か京都と違うのでした。それら全ての都市、良く考えてみると山が見えないです。

 川端康成は、今のうちに京都を描いて欲しいと東山魁夷に頼んだ時は、昭和30-40年代でした。京の街を歩きながら、山が見えない、山が見えないとつぶやきつづけて悲しんでいたものだったそうです。その気持ちが良く分かります。

 京都が好きな理由の一つに、何処の通りにいても山が見えた事です。生まれ育ったところはいい、京都は我が故郷です。

 「ふるさと」淋しいですが、言い換えれば、もう住むことをあきらめた所、全てが、夢の話となりました。
 
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