旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

600 昭和に生まれて(次回更新予定 7月6日 第一土曜日) 

2019-06-15 04:32:55 | ブログ
「筍(タケノコ)医者」これから育って藪になろうという腕が悪いとの段階にさえいたっていない医者、面白い!
昔々その昔だったら小学生6年で盲腸で完全に死んでいました。その何年か前、兄も同じ盲腸で少しの違いで麻酔する事なく手術。時は流れ、そんな馬鹿な、本当かな? 兄は赤穂の討ち入りの日が誕生日、全員が腹切りとは...作り話のような本当の話です。(関係ないですが、マッサン婦人の誕生日も12月14日)

 旅行会社の方が添乗員としてハワイの帰国便の中で腹痛、到着後、救急車で結果的に盲腸で膿が肺まで回って緊急入院。お見舞いに行きました。伊丹空港近くで病院が古く部屋も狭く、一層、気の毒に思いました。退院後、「見舞いに来てくれる人みんな、驚いた顔...」と言われました。その後、見舞い行ったら、重病な時程、明るく心掛けています。しかし長兄に最後にあった時は声も出なくて、会った後、涙がこぼれそうでした。 
 
 白黒テレビで「あの人に会いたい「古今亭志ん生」」、驚かされたのは、73才で立派な年寄りでした。もう直ぐあんな風に見えるのかとがっくり。1月12日に亡くなった「追悼 梅原 猛」を見て、古代、アイヌ研究、最終的にスーパー歌舞伎を立ち上げた、日本の哲学者、学会の風雲児と迄言われた人を長兄がどうして?何故、あんなに気楽に親しくあの人の事を話していたのか、ずーっと疑問に思っていました。
 どう考えても長兄と彼、哲学者とは結び着かなかったです。番組の中で、他の人なら流して見た、子供の頃、野球将棋と云うものを熱心にやっている姿を見て、梅原さんが野球に興味を持っていたと確信しました。70年 立命館大学文学部教授を学生運動で辞職される迄、野球部の顧問であったかと思うのです。その時、兄はキャプテン、そして助監督をやっていましたから、一つ謎が解けました。

 腹切りの兄ですが、最近読んでいた本の中で落研(落語研究会=最近は、これを書かないと分からない人もいるので!)の話が出てきて、大学で落研を立ち上げたと言っていた事を思い出しました。小学生の頃、剣道の道具を芝居に使うと家に持って帰った事があって、凄いと遊んだ覚えがあります。同じ頃、忘れる事のでき無い図工の宿題で顔の彫刻を代わりに彫って、まるで他人事ですが、素晴らしいものでした。
 大人しく何を言っても許してくれる兄でした。でも考えてみると、全然私の思いと違う活発な兄であると気づいた次第です。毎日顔を合わしていてもの程度。遅いですが、兄弟でも僅かな時間一緒にいただけのことに気づきました。それでも何時でも兄は兄です。一人っ子が増えてこの感覚、分からなくなって行くのが淋しいです。昭和が益々遠くなってしまいます。

 マンボズボン、ラッパ、だぶだぶ、細身ズボン等、それぞれの時代の流行りを知り、戦争知らずの昭和生まれで本当に良かったです。


  

 
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番外編 600話を前に第一話を...(次回更新予定日 6月15日 第三土曜日)

2019-06-01 01:41:44 | ブログ
2009年10月2日ここから始まった第一話。懐かしくコビーしました。
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 何も知らず、何も分からず、市川雷蔵とポール ニューマンが好きと言う京都人。その昔、船旅で始まった世界一周の旅に出ました。こんな昔があったなーと思いつくまま書いていこうと思いました。
この旅で私が京言葉を話すことを知り、又、どういう訳か話せ無くなりました? 子供の頃は、石あて、石けり、釘さし、メンコ、蝉取り、駒回し等々遊んでばかりの子が、無謀にも横浜から船に乗ってソ連ナホトカへ、ハバロフスクからモスクワ、東欧を列車で通過してヨーロッパ、そしてアメリカに。それも1ドルが360円当時でした。

 こんな時代だったなあー、と振り返り、今なら絶対、無理、知り過ぎて行けそうに無いです。そうです、若かったのです。何も知らなったのでした。ただ、もっとこうすれば良かったかなと思いますが、やっぱりその時は必死だったのです。

現在は無事にアメリカン航空を定年退職。それまでに、広いアメリカ、ハワイ、アンカレッジ、シアトル、リノ、ポートランド、ラスベガス、グランドキャニオン、フラッグシップ、ロサンゼルス、サンデェゴ、ティファナ、モントレイ、カーメル、ラスベガス、ダラス、ワコ、タルサ、名誉市民になったニューオリンズ、サンアントニオ、アルバカーキ、アマリロ、ニューヨーク、ボストン、ワシントン、バルチモア、フィラデルフィア、キーウェスト、ナッソウ、セントオーガスティン、デートナビーチ、オーランド、マッコンブ、シカゴ、デンバー、トロント、バーミュダ、メキシコシティ、カンクーン等々、そして欧州へはデンマーク、スウェーデン、アムステルダム、ロンドン、スコットランド、スペイン、スイス、イタリヤ。アジアは、シンガポール、マレーシア、マニラ、ソウル、プサン、タイペイ、カオシュン、ビルマ(ミヤンマー)、バンコック、ホンコン色々良く行ったと思います。
 思い出しただけでもざっとこれだけの国と都市に行きました。(現在10年経つと行った事を忘れている都市も出てきました)

   今、そんな私が60歳になってアメリカン航空を定年退職、
     その昔、学生の時初めて旅に出た頃はどんなだっただろう。
      旅先であった人たちはその後どうなったのだろうか、
        みんな元気でいるのだろうか? 
          元気ですかーー、私は元気一杯、勿論、健康第一です。

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 ここから160話続け旅の話を終わりました。その後、タイトルはそのままで171話を第一話として、日々思いつくままの話を始め次回で600話になります。
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