哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

選挙結果の寸評(その2)

2005年09月12日 | Weblog
選挙結果の寸評(その2):

 ジョージオーウェルの小説『1984年』を『2005年9月11日』として、あの仮想国”イースタシア国”を日本と解釈するとき(正確には日本と中国、韓国、台湾、インド、その他を含む合衆国となぞらえれば)、そのイメージの正確さは恐ろしいものがあるのではないでしょうか?

残念ながら、”ルビコン川”は越えてしまいました。”食べてはいけない果実”を食べてしまいました。(薪共同約聖書 外伝:エズラ記(ラテン語)も参照)

後は、わたしたちひとりひとりがそのことの深い意味をどれだけ洞察することができるのか、それだけです。

尤も、100年前、ニーチェもキルケゴールも、ドストエフスキーも、カフカも、そのことをすでに正確に伝えてくれています。また、ハイデッガーも同じことを伝えてくれています。(微笑のニヒリズムとして…)

やがて、天然ゾンビとしてのわれわれだけでなく、人工ゾンビも出現してくるでしょう。
そして、天然ゾンビと人工ゾンビとの相互インタラクションが始まるのではないでしょうか。 少子化問題などは人工ゾンビによって大きく解決されるかもしれませんが、問題は天然ゾンビである人間そのものの”劣化”です。

ゾンビ、ジンボ、スーパーゾンビ、スーパージンボ、スキゾゾンビ、スキゾジンボ…といった一連の天然あるいは人工のゾンビがどのような現象世界を展開させてゆくのか、想像するだけで恐ろしいことではあります。

しかし、われわれは実際にそのような社会に向って驚くべきスピードで進んでいるのです。

  参考: 『解明された意識』(ダニエル・デネット)、『ダーウィンの危険な思想』(ダニエル・デネット)、『たちつくす思想』(田川建三)、『文化のフェティシズム』(丸山圭三郎)、『沈黙するソシュール』(前田英樹)、『虹の解体』(リチャード・ドーキンス)、『悪魔に仕える牧師』(リチャード・ドーキンス)