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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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映画「LOVE LIFE」でパール兄弟の「世界はGO NEXT」を知った

2023-12-19 | 番外編の番外編

最近やたらと「予防線的会話」を挟む補足話法や「もし…でもよければ」などパーミッション話法がぎこちなく振る舞われている現状がある。
今の人は昔の人のようにがさつではなく、気を遣うし優しくなったのだ。
とはいったものの、水面下の要因として「ネット空間の殺伐」が深い影を落としていることは否めないだろう。
巷では過激な言葉や逸脱称賛などがあふれているが、リアルの世界では皆が思うのとは違い、いたって平和であるし人々も穏やかである。
だが現実社会での人々の温厚さは実は立ち回りのための厳しいサバイバル術として生まれた「苦い処方箋」だったのではないか?
ちょっとでも脇が甘いといともたやすくフレーミングに巻き込まれクレームや非難が持ち込まれる。
言葉は額面通りの言語内容だけが含意を持つのではなく、場(語る相手)と時(そこに至る物語・文脈)・身体(心身のコンディション)が合一して起こるかけがえのないものなのだ。
あらゆるものの齟齬は、そこから生まれる。
(のちにエクリチュールとパロールという哲学用語を知る)
日常場面での自然発生的なこうした振る舞いは意識下無意識化に関わらず確実にネット世情が地続きにつながっていて、まるで「言霊虫に包囲されている」という感じだ。

Z世代は、論争や攻撃的な言葉を好まない傾向があります。そのため、まったりとした雰囲気のあるネット空間を求めることがあります。
例えば日本経済新聞によると、Z世代は職場内で上司世代とのコミュニケーションが十分に取れていないとの声が多いそうです。
…とのことですが、これは画期的なプロミネンスであり、極に対して極で対抗するという不毛な議論からいい加減学習して、人々は新たな"トリートメント"(待遇・取り扱い)を模索するフェイズに入ったのかもしれない気がする。
私はまず第一球として極端な論理や逆張りの不快感を押し付けるという場面は忌避され、初手から「極の論理」を提示することは、この先かなり抑制されてくる・言動規範が変わってくる日がもう近いと思うのであります。
問題は世代間の共感性/感受性の違い。
生きているときの異なる2つの世代の隔てはいやが応にもジェネレーション・デバイドを浮かび上がらせます。
若い世代は前のめりに、古い世代は省みながら、それぞれのスタイルは異なるのですが
パロールがエクリチュール化することに対して漠然とした不安があって、取り繕ったり身体性に回帰したりというねじれが生じてしまう。

最近動画配信で「LOVE LIFE」という映画を観て、このへんのディスコミュニケーションをうまく言語化したやり取りがあって
ひどいことを言った後に神妙に謝ったり言葉を補足するにはするのだが、何だか浮いていて心がこもっていないというと語弊はあるかもしれないけれど会話が空々しく感じてしまう描写はなかなかエッジが利いていた。
映画内容にネット社会がなんたら…なんていう要素は一切ないんですけれど地の会話がなんだかとても痛くて、互いの視線も噛み合っていないというのが現代のコミュニケーション不在をよく表しているな、と思う。

コミュニケーションや言語がテーマのエンターテイメント記事については、以下に過去記事で「LOVE LIFE」も採り上げていますので良かったら見てみてください。

「ペルシャン・レッスン」公開近し・言語トピックはまだまだあるぞ[第3弾] - P突堤2


さて、ここでパール兄弟のアルバム「パールトロン」である。ここからは明るいトーンの話題になります。

ぼくの中の貧相な音楽地図によれば、パール兄弟は聞いたことはあるがあまりよく知らない、異色な孤高系な方々なのかな…ということで平沢進やフランク・ザッパと同じ象限のアーティストさんだと思う。
解説を借りると
80年代を代表する無国籍ロックバンド、パール兄弟が1987年のポリドール時代にリリースした2ndフル・アルバム。サエキけんぞうのシニカルでコミカルな歌詞と、窪田晴男が生み出すポップでソリッドなギターサウンドが迫ってくる。(CDジャーナル データベースより) 

ぼくにはあまり縁がない感じかな…と思っていたのですけれど映画「LOVE LIFE」の中で謎のカラオケ場面があって、教会のシスターさん達が主人公のホームパーティーに招かれていてほんわかと熱唱する場面が印象的で
1コーラスぐらいしかそのシーンはなかったんだけど、ノリがピンと来て何回も巻き戻し再生を繰り返して歌詞を追って検索でサーチしたらこのアルバムに出会ったというわけ。
目当てはアルバムの2曲目の「世界はGO NEXT」。

んで、某通販ショップで取り寄せて買っちゃったんですよ。物理CDはなかなか入手困難かな、とも思ったのですが無事入手できました。
とにかく突き抜けた明るさと肯定感で、イントロのギターもカッコいいしクロマティックなオカズ合いの手も独特で好きです。一発でマイ生涯ベスト群の一角に入った曲です。うーん、マンダム。
音楽管理ソフトMusic Center for PCでもすっかりヘビロテで、「LOVE LIFE」っていうプレイリストを作ってしまって脳内にも再生されています。

ついでにちょいちょいDLもして補完曲をラインナップして気分がいいのでプレイリストを以下に挙げておきます。

【プレイリスト:LOVE LIFE】
1.bloom/ネクライトーキー
2.堕天/Creepy Nuts
3.外道讃歌/FantasticYouth
4.私のヒミツは/harmoe
5.AXIOM/降幡 愛
6.HACK/Shuta Sueyoshi
7.聖夜、蛍の光/マイナス人生オーケストラ
8.Here/JUNNA
9.リフレクティア/eufonius
10.世界はゴー・ネクスト/パール兄弟

映画「LOVE LIFE」は今年サブスクで観た中では出色のデキだったので詳しいネタバレは省きますが興味のある方は事前に検索でネタを仕込んでから各配信サイトでご視聴ください。
プレイリストは全部その時のモメンタムでちゃんぽんで選んだものなので何も脈絡はありません。良かったらこちらもyoutube等で検索してみてください。
というわけで冬至、クリスマスときて年末まで無事に過ごしていきましょう。では。

 

 





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すこやかびとは「PLUTO」を、まろやかびとは「スコット・ピルグリム」を見るべし

2023-12-02 | 番外編の番外編


最近NETFLIXに立て続けに新作が入って、スキマ時間に視聴を楽しんでいる。
近年は伸び悩んでいるような声も聞かれるがNETFLIXもまだまだ捨てたもんじゃない。こうして刺さる作品をぶっこんでくるから油断できない。

先に観たのは「PLUTO」。
手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」の人気エピソード「地上最大のロボット」を浦沢直樹がリメイクしたマンガ『PLUTO』がアニメ化されたもの。
ロボットが人間に危害を加えることができないという設定が上手く活かされていて、単純に勧善懲悪でとらえることのできない葛藤や捜査線上の進展に大きな影響を及ぼすドラマ展開が見ものです。AI倫理とは何か?ロボットと人間の関係性について深い示唆を与えてくれる良作です。

そしておとといから見始めたのが「スコット・ピルグリム テイクス・オフ」。
「スコット・ピルグリム」は、カナダに住む売れないバンドのベーシスト、スコット・ピルグリムが、理想の女性ラモーナと出会い、彼女と付き合うために邪悪な元カレ7人を倒す必要があるというよくわからんストーリーなのですが、
アートスタイルが独特で定型に収まらない予想を裏切るプロットが秀逸でなんだかよくわからないがスゲーもんを見てしまった…という気分にさせてくれます。
まだ3話しか見ていませんがアニメ表現の可能性をひしひしと感じます。もちろん視聴継続。

というわけでおすすめのネトフリアニメ2作品を紹介しましたがついでに今年劇場で観た映画をちょびっとだけ書き記しておきます。年の瀬なんで。
サブスクアニメはいろいろあり過ぎたので省略です。映画館で観たやつだけです。

【今年映画館で観た作品】
・Winny
・福田村事件
・君たちはどう生きるか

来年はもっと劇場へ足を運びたいな…。
みなさんのブログにも寄らせていただきますんで、いろいろアンテナ張り巡らさせてもらいますよ。
あとはグラコロバーガーでも食べて、残りの2023年を精いっぱい楽しんでいくぞ!


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お悔やみ記事でも、「いいね」を押してあげてください。

2023-12-01 | 番外編の番外編

 

アニソン関連のニュースで急遽訃報が入った。
音楽ユニットeufoniusのサウンドプロデューサー、菊地 創(きくち はじめ)氏が心不全で亡くなられたのだという。
幻想的で清涼感のある中にも芯があり力強いサウンドで何と形容していいか独特の持ち味がある人だな
…と思っていたのだがアニソン収集の駆け出しの頃からマイ・フェイバリットに幾曲もピンしているくらい、外せない音楽だった。
謹んでご冥福をお祈りします。

当ブログのアニソン特集記事100選の中でも
1.きらきら/ひまわりっ!!/作詞 - riya / 作曲・編曲 - 菊地創 / 歌 - eufonius
51.Idea/ノエイン もうひとりの君へ/作詞 - riya / 作曲・編曲 - 菊地創 / 歌 - eufonius
がrefしてあります。

巷ではeufoniusの名曲と言えば「リフレクティア」「Idea」「メグメル」を挙げる人が多いかとは思いますが
本稿でも採り上げた「きらきら」という曲を皆さんにも伝えたいです。ちょっとマイナーですけれど…。
この曲はeufoniusお得意のアクロバットな転調というのではなく、冒頭のチップチューンみたいなピコピコが印象的な
それでいて童謡みたいな多幸感とやさしいストリングスとの調和のある、素朴な曲です。
記事下にYoutubeを貼っておきますので、この類まれな佳曲をじんわりと摂取してください。

タイトルにもありますように、私もたまに間違って悲しい記事に「いいね」をしてしまった失敗とかがあるのですけれど
ご多忙の方でも躊躇ごかししてしまわぬよう、またこの瞬間において素敵な曲を聞けて良かったよ、
…と感謝と寄り添いをもってリアクションしていただいたほうがいいのではないか?
という意味を込めてぜひ曲を聴いた後には「いいね」を押してあげてください。
みなさんのささやかな一時が祈りに変わっていくだろうと思います。

きらきら


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「カムカムエヴリバディ」完走できた よかった

2023-11-27 | 番外編の番外編

おはぎが好きになる。
回転焼きが食べたくなる。
ジャズのトランペットに聞き惚れる。
時代劇がかったセリフに大立ち回りの殺陣。
ノストラダムスの大予言を真に受けてしまう。
ラジオから聞こえるアメリカさんののんびりした日常。
道化ばかりじゃなくて一途な思いも温かな気づきも届けてくれる。

母娘孫三代にわたる100年のドラマ
家族の愛と絆がここにある


…と、いうわけでNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」やっと完走できましたよ。
評判に違わず誠にご立派な物語でした。
ロングスパンの人生模様が描かれていながら、その時代時代の女性の生き方が現代らしい着地点へとつながっていく
…この物語では「あんこ」と「ジャズ」と「時の流れ」が真のメインキャストだったのではないでしょうか。

脚本の藤本有紀さんは「ちりとてちん」「平清盛」「ちかえもん」とかなりの傑作を世に送り出している名匠でもあります。
「カムカム」でも終盤にかけての怒涛の伏線回収はじんわりと来るカタルシスでした。
このブログの読者の方へご忠告しておきますと
やっぱり序盤の安子編の物語が涙、涙で…。戦時中を背景としていましたが時代に翻弄されるあまりに過酷な境遇に
鑑賞中何度も感情がヒリヒリしてしまって、見ているのがつらかったです。
しかしそこを乗り越えると新天地での娘・るいの人生も動き始めていくことにより没入感もノッテくると思いますので、このしなやかな物語の連綿たる流れと一体になれていけると思います。
ネタバレになるのでふわっとした言い方しかできませんが、この物語にはターニングポイントになるような場面とか絆を確認するような験(しるし)を思い出す場面だとかに
繰り返し、繰り返し、印象的なセリフのリフレインが効果的に出てきます。
別に一言一句聞き逃すなといった断片的なものではなくて、噛んで含めるように丁寧にリマインドさせてくれるのでムラなく見ていればちゃんと思い出せるので大丈夫です。
登場人物の気持ちに感情を委ねて物語の流れを楽しみましょう。


今回は雑多報告なのでそれほど突っ込んで語るほどのものではないでしょうが最後に補足情報としてこの作品に出合った経緯を申し上げますと
私は数年前から動画サブスクでU-NEXTに加入していて、今年の頭くらいから毎月もらえるポイントが余って使い道に困ってしまいどうしようかと思っていたところ
990円/月のNHKまるごと見放題パックをそのまま手持ちのポイントでまかなってしまえばいい!これいいわーということで
「どうする家康」の記事も書いた縁もあってそのまま継続してついでに100分de名著とかねほりんぱほりんとかも見れる!と大活用時代に突入し
そんなこんなで漂流していたら8月ごろNHKの朝ドラ「らんまん」の話題に触れているブロガーさんがいたのでなんとなく興味が出て終盤だというのに一から追っかけ視聴を始める!
→そして見終わった達成感をステップにして同じく朝ドラの名作名高い「カムカムエヴリバディ」を満を持して鑑賞開始
というわけで1話15分というフォーマットがうまくはまったのか朝ドラとの出会いが幸いにして2作とも傑作でしたので
こんどは「ちりとてちん」か「ちかえもん」を見てみたいという欲求に駆られています。

P突堤2を運営するぴとてつにとっても、「カムカムエヴリバディ」はラジオの英語講座という縦糸が見事にテーマ性を帯びており
ことばを題材としたエンタメとしてまた一つノートしておかねばならない作品が増えました。
以前からカムカムは「ことばネタ」案件だなー、とマークはしてはいたのですが、今回無事に視聴できたことによって
単なるカタログ的な記憶から「血の通った記憶」にすることができて内容も堪能することができたのでとても満足しています。

いやはや、もはや朝じゃなくても朝ドラが見れる…いい時代になったものです。
それではまた。


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現代社会の実生活においてはとかく政治の話題というのは煙たがられ

2023-09-21 | 番外編の番外編

るんですけど、ネット弁慶はともかくとして生活上でおおっぴらに政治の話をすることが許されているシーンというのが2つほどあります。それは
床屋談義とタクシーでの世間話です。
あんまりプライベートの事をぺらぺらしゃべるより、こうして他人様にどうでもいい話をするのにはちょうどいい題材なのです。
(私はスポーツの事とか芸能の事はあまりよくわからないので)
政治や社会問題だからといって決して重い話とかいうのではなくて、日常感覚の一部としてカジュアルに話せば転がしようもあるってもんです。

先日、とある事情でタクシーに乗ることになったんですけどこんなことがありました。
以下、会話調で話を進めます。

(いつものバスが来なくて仕方なくタクシー乗り場へ移動、数刻後乗車)
最初は何の気なしに今日はたまたま○○なんでタクシーに乗ったというわけなんですよ、といきさつを軽く伝えようとして
俺:「祭日が月曜になっているとバスの運行ダイヤが変則で次のバスまで45分もあるんですよね~失敗失敗、この祭日のこの時間なのにタクシーがなかなか来なくて苦労しましたよ。」
俺:「でもバス会社もあんまりダイヤを変えないでほしいですよ。前は祭日でも平日と時間差ほぼなかったのに…困りましたね~」
って調子でぼやきガラミをかまして様子を見る。

タクシー:「今はバス会社も人手不足でねぇ」「(運行)本数減ってるみたいですね」
俺:「そっすかぁ、じゃあタクシーのドライバーさんも人手不足なんじゃないスか?」
そしたらドライバーさんに何かスイッチでも入ったか
タクシー:「お客さんも1000円とかそこらいくとなかなか気軽に利用できないですし」
タクシー:「体力的に続かない人もいますし、だって若い人がなかなかなりたがらないでしょ今(タクシー運転手に)」
タクシー:「私らだって50代60代の高齢者ですし全体的に高齢化してます」
俺:「定着率が悪いかもしれませんね」
という会話の流れがますます負のスパイラルに落ち込みそうになったのを感じたのだが、こういうときはあえてカブセテいく方向に舵取りしたほうが良さそうなので

俺:「なんか最近ニュースで読んだんですけど」
俺:「タクシー免許も持っていないシロウトに白タクみたいに人乗せてお金とってもいいように規制撤廃って話があって」
俺:「ライドシェアって言うらしいですよ」
俺:「副業だとかインバウンド対応の為だって名目で旗振りしているようですけど」
俺:「お上がおおっぴらに進めようとしてるんですよ」
俺:「そんなことしたらタクシーのドライバーさん商売あがったりじゃないですか!ひどい話ですよね」
とそんな調子で会話に熱がこもっていく。

実際俺はそう思っていたし、「ホントですよまったく」っていう同意を期待していたのだがドライバーさんの反応は思いのほかイマイチだったので逆にこちらとしては戸惑いを感じてしまったのだ。
反応が薄いというか、以前からそういう話が出ていて想定内なんですよっていう感触ともしやこのニュースすらドライバーさん初聞きなのか…知りませんでしたよっていう感触と
どっちか区別がつかないくらいびっくりするくらい当事者感のない反応。現状を追認することは聞かなかったことと同じじゃないか、そういう意味では区別はもはや必要なかったのかもしれません。

でもそれにしても釈然としませんよね。
それでも食い下がって
「空港近くや観光地で堂々と白タクが横行していて日本に金を落とさない」(後で調べたことだが渡航前の現地国ですでに周到にネット宣伝して安く利用できる、なんてやってる)
「繁華街の交通はタクシー会社の聖域にして保護して、ライドシェアの人は郊外の買い物難民だとか交通難民の救済人員として位置づけて制限をつけたほうがいい」
「ライドシェアを一般人に認めるとそういうおいしいところだけを食い荒らされて、郊外の交通利便は一向に改善しない」
「田舎のスーパーなんかバスの便が悪いから店独自の送迎バスを何往復も走らせているところもある」

とかいろいろ言ってみたんですけれど、「会社からはなんていうんですか、そのライドシェアの話って出てこないですねぇ」とか
またまた人手不足問題にリフレインしちゃったり、ほんとにドライバーさんには悪いんですけど情報アンテナ大丈夫か?感度悪くないか?
とこちらが心配してしまうくらい。なかなか想いが伝わらず歯痒い時間が過ぎていきました。

ちょっと矛先を変えて
「ドライバー業界も大変だし、飲食店もコロナで不況だし、IT産業はアップルとかGoogleにやられて国内のIT企業は育たないし」
「なんかこれから伸びそうな業界ってないですかねー?」
って今から考えると愚問なのかもしれないけれど聞かずにはいられないサガなので思わず聞いてしまったのだが
やっぱり
タクシー:「わたしはそっち方面の話題はよくわからないので…」
ってお茶を濁されてしまいこちらもすっかり意気消沈。

そんな一幕もあって、うちに帰ってからもちょっと考えてしまって、これはブログ記事にするしかない、って思い至ったんですけれど
タクシー代の元を取ってやるぞっていう謎のポジティブ精神とは裏腹にこれはなかなか根深い問題を孕んでいるな…と気づいたわけです。
その問題とは
「内面化」という言葉です。

ここまで読んでくださった読者の方も、件のタクシードライバーの物腰に何か違和感というか悟りきった諦めというか
変にものわかりが良すぎていないか?と思った方も多いのではないでしょうか。
「内面化」っていう言葉はもともと自己責任主義/自己責任論について調べていた時に出会った言葉で

…何でも自己責任とされてただでさえ息苦しい世の中であるというのに
世間の風潮や教育の場において繰り返し刷り込みがおこなわれて異議を語るべき自分もすっかり自責意識に苛まされてしまい
しまいには自分自ら進んで
「努力が足りなかった」
「自分が悪いから誰にも頼ることができない」
「貧困は自助で克服すべき問題である」
と、強欲な強者の都合のよいままに物分かりが良くなってきてしまうプロセスが勝手に起きてしまい、結果、無惨にも押しつぶされてしまう
そんな現象を「内面化」というのだそうです。

この考え方は冷静に考えてみますとリスクにしかならないと思います。
貧困は自助で克服すべき問題であるという自由と責任のルールを展開していくことには限界があり、そこに新たな排除が生まれる。公的責任により彼らをいかに包摂していくのか
…この視点に思い至っていません。個々が分断されて見事に個人の物語にされてしまい集団としての物語を獲得しようにもできない状態なんです。
また多くの困窮者が陥った要因に関する自己責任論を語っているが、要因ではなく、(要因は確かに自分にあると言いたい人情というのはわかるのだが)
今後の解決に関しても自己責任論を語る当事者も少なくないことがわかってきている、というのです。
つまり解決策が外に開けていない状態。弱者が可視化されていないんです。

これを知ったときには何かうすら寒い気分になって暗澹たる時代性というのを感じてしまいました。
さらに追い打ちをかけるようにこれに少しでも異論を唱えようとすると、反旗を翻すような活性の片鱗を少しでものぞかせようとしてしまうと、
「なんでも人のせいにすればいいってもんじゃない」
って逆にたしなめられてしまうんですよ。ちょっとこれは異常なんじゃないですか。

…ちょっと頭に血が上ってしまい、つい語気が強くなってしまいましたがクールダウンにここで
平野啓一郎氏の辛辣なツイート(ポスト)を紹介したいと思います。
なんかリンクしか貼れなくて埋め込みができないので直接コピペします。

"平野啓一郎
@hiranok
「自己責任」という言葉には、発し手がいる。つまり、実際は「オマエの責任」だと言っているのだが、「自己」と言うことで、受け手がその捏造された「責任」を内面化するように仕組まれている。"

なんだかモヤっとしたところの輪郭を一気にシャープにしてくれるまさにぐうの音も出ない正論で痛快です。


話は戻ってさっきのタクシードライバーさんとの話の最後の1ピースに…

俺:「なんだか昔の小泉・竹中時代にタクシーの総量規制を一気に緩めてしまって今の供給過多のもとになっている、みたいな話がありましたよね。」
俺:「すごい20年くらい昔の事ですけどうろ覚えなんですが」
俺:「またあの悪夢の再来にならなければいいですけれど」
俺:「まあじつはすでに20年前から、今の苦境に繋がる”種”が蒔かれていたのかもしれませんね」

・・・・・・

悪いやつの考えることはいつの時代も一緒。「文句を言わないヤツから巻き上げる」
はたして時代が進んだとしてもわれわれの本質的なところは何も進歩していないのか。
その答えがわかるまでわれわれはまたもっと今後の20年先まで待たなくてはならないのか。とても待てそうにありません。

話を総括すると、あのタクシーのドライバーさんに私が勝手に感じた事なんですが
良き市民であるが、やっぱり「内面化」に丸め込まれちゃっている、ちょっと気の毒な人だなってことと、
今の若者が意外にも規制撤廃いいじゃないか、もっと競争すればいい
なんてちょっと聞こえのいいことになびいちゃっている人が割と多くいて、その温度差に自分もちょっとヒヤッとして
時代についていけていないのか、それとも消される存在の人々に無関心なのか自分でも腰の据わりが定まらなくて
それにしても沈黙を貫く現場の方々は日々の業務に忙殺されてネットに触れる機会すらままならないのかと少し心配も入り混じった複雑な気持ちになります。

いやあ、でも「内面化」って貧困や自己責任以外にもいろいろ文脈があるんですよ。
たとえば「いい子を演じようとする子供」とか
「親子や夫婦/パートナー間の共依存関係」とか
「DVや虐待」関係とか
さらに広い意味に展開してみますと
「メリトクラシー」(能力至上主義)
なんて言葉も内面化に深くかかわっています。
私はこれらのトピックを語れるほど力量がないのには申し訳ないと思いつつも列挙だけに留めますが

せっかくなんで日本語入力の話にいきなり焦点を飛ばしますと
私は日々行われている誤変換に関するツイートをよく拾っているのですが
誤変換の失敗談がなんだか大喜利化してきているなーって。
不意打ちやめて…wwってはしゃいじゃったりしているのもあるし。
全体的に誤変換というシステムに対しての筋道立てた不満っていうのが全然出てこないんですよ。
誤変換とか構文解析の困難さっていうのはまさに日本語に根付くボトルネックだというのに何か緊張感が足りない。
いやもっと直球に言うと誤変換に対する憎悪が足りないんですよ。
端的に言うと

詠嘆で宿痾をやわらげ化するのやめろよ

ってことなんですけれど
これも内面化の一種だとは思いませんか?
ぼやいても、改善できないから日常の風景にしちゃう。
いやその日常こそ間違っているというのに。
もっとも近しい者同士だというのに相互排他してしまう。
せめて織姫と彦星のように1年に一度くらいは相まみえることがあればいいのに。

誤変換。根深い問題だと思うのですがね。


ここで記事中に私がドライバーさんに投げかけた質問
「なんかこれから伸びそうな業界ってないですかねー?」
に関して少しだけ我に返って気の利いた提案を贈りたいと思います。

これから伸びる業界、それはズバリ
「日本語入力関係の業界」です。

まず日本語入力は情報コモディティです。
食品や燃料のように常に一年中需要が絶えず必要不可欠な営みであり、そして近年のAIだ何だ言っている以前に基本的な枠組みが何十年も停滞して全く進歩していない。
何かイノベーションの予感がしますね。

そして包括のいとなみである。
個別のコンテンツタイトルとかトレンド商品とか一過性の種粒的なリーチの狭いものではなくてプラットフォーム・SNS・ディファクトスタンダードを巻き込んだルール作りの戦いだということ。
特に最近のtwitterの迷走からわかるように、1ユーザー1アカウント、課金エコシステムによる透明性などの再評価の動きも高まっているので無料の日本語入力がいつまでも幅を利かせていられる状況に楔が撃ち込まれた。

さらに日本語は読み手優位の言語であるということ。
ルビやアノテーション、助詞の認識、文意に沿った読み上げ機能、接尾辞の検出など、日本語プレーンなテキストを拡張して、言外のメタ情報やアノテーションをタイピング時から付加できるようなインターフェース。
キーボード盤面自体の根本的な改善もあいまって、読みやすくコンピューターにも言語解析しやすく、翻訳や検索便宜にも援護射撃できる操作体系。やれることはまだまだ大いにある。

・・・というわけで我田引水、手前味噌、牽強付会にも強引に結論付けてしまったのですが
この記事のメイン部分でちょっとしょっぱい話が続いてしまったので最後くらいは景気のいい話にするぞってことで良しってことにします。

そんなわけで今回は政治・社会情勢がらみの世知辛い話題となってしまいましたが
個人的なエピソードもあったので柄にもなく採り上げてみました。
今後も何か思うところがあれば時期折々で発信していきたいと思います。
画像は無しで。軽薄ですが精いっぱいの硬派な記事のつもりです。



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