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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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幸福的滋味

2021-10-02 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

知恵滋味感じられるような設計にしたい…常日頃、こんなことをペンタクラスタキーボードのカラクリ設計をしながら考えています。

「滋味掬すべき」(じみきくすべき)っていうのが最近のお気に入りの言葉でして
この「滋味」=持ち味がにじみ出ることによって感じるおいしさっていうのがいいんですよね。
受け身の感受性ではなくてこちらから探りを入れる気づき、
背後にある作り手や提供者の意図が使っていくうちにわかるような奥深さ、首肯合点がいく納得感
っていうのが大変にドラマティックなのですよ…言葉は地味ですけれど。

この奥行きのある語感に引っ張られて、ついつい造語フレーズを考えてしまいました。以下ご覧ください。

・知恵滋味感じるインターフェイス
・おもてなし滋味感じるアメニティ
・デコ滋味感じる縄文土器の装飾文様
・レシピ滋味を感じる分量設定
・加藤清正が築いた築城滋味感じる難攻不落の熊本城
・工場で「○○ヨシ!」みたいな安全確認っていらなくね、と思っていたのが実は正しい動作への誘導を促し致命的なエラーを回避するためによく練られて作られた合理的な手順だとわかったときのような手順設定滋味を感じるルーティン


この例では製作意図を推し量って理解するニュアンスの表現に絞っていきましたが、人物の品格や芸の熟練度などの高みを評するときにも使われます。
"○○滋味"という単一の複合語にしてコンパクトにあらわすというのが当世風で良さそうなのでありますが、長いフレーズや語呂の良さをとりたいときは
滋味が溢れていて・滋味を感じる・滋味に感じる
みたいに適宜助詞を挟んでいっても構いません。元々は味覚の表現であったものですが拡張的に慣用しようということであります。

まあ、何だか偉そうにのたまっておりますがこれはゆる言語学ラジオで知ったスティーブ・ジョブズの言葉「Connecting the dots」(点と点を結び付ける)からヒントを得て思いついたものであります。
壮大なる伏線回収、点と点が思いもよらなかったところでつながる…堀元さん曰くコネクティングザドッツみがあるねー、なんていう使い方にユニークだなーと感心したものです。
拙案の「○○滋味感じる」では、伏線回収に重きを置くのではなく、「○○滋味」とすることで対象分野・トピックの提示が自然に導入できるイディオムとなっておりますので
より話題を転がしやすく使いやすいものとなっているというのが自慢です。…言葉は地味ですけれど。

さて今回は設計理念を見据えたつもりのただの雑談になってしまいましたが
良かったら皆さんもこの言葉使ってみてはいかがでしょうか?なんてありきたりのクリシェでは終わらせませんよ。
なぜならペンタクラスタキーボードには「接尾語(を含む語句)の変換」(三属性変換ハ万)というのがあるのですから。
皆さんが「○○じみ」と打ち込んでハ万キーを押したら、もちろん筆頭変換候補に「--滋味」があがってくる…これはマストです。
接尾語に当たる語を単漢字変換でいちいち探し出すのは大変な労力です。(あるいは膨大な変換候補の中から)
それに一見穏当そうに見える「地味」のほうの候補を出すにしても、これが語尾末端で使われる接尾語とは自覚すらせずに、単にパーツの連結というだけで「--地味」なんて言う結び方をする語句が成立するなんていうやっつけ仕事では語句の性質を御するというには致命的に観察不足であります。というよりもはや怠慢の域でありますね。
三属性変換に抜け目なく「--滋味」を格納しておけばこれはもちろん接尾語片を含むチャンク全体が収まり良く、しかも語尾であるということをキッチリ自覚しながらユーザーに変換候補を提示するわけですからまさにこれは人力による労力の賜物であります。
このような知恵の宝石を一つ一つ地道に収集し格納しインターフェイスに反映していくこと…これが何より大切ですね。

もちろんこのブログでひねりだした数々の言い回し/造語などもバシバシ織り込んでいくつもりですので今後も三属性変換の作り込みによりいっそう精進していきたいと思います。

 


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「打ち言葉」の自由獲得の為には「生産力のある辞」の入力手段を拡充することが重要

2021-05-18 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

ネットやSNSの隆盛で近年注目されることとなった「打ち言葉」というワード。
ツイッター全体では1日に8テラバイトものデータが生み出されており、話し言葉でもなく、書き言葉でもなく、タイピング文字入力によって生み出されたテキストはもはや物理・紙テキストのもつ情報総量をやがて上回らんとする勢いであります。
打ち言葉は、そのトピックの新奇性からかコミュニケーション文化の文脈で語られていることが多く、純粋に「タイピングでいかにさまざまな表現に対応していくか、そのインターフェース論」という観点からもっと深く検証してみようというのが今回の記事の試みであります。

打ち言葉は即応性が顕著で、そこが推敲性吟味性のある書き言葉との最大の違いであります。
しかし打ち言葉はそうしたモバイルだけにあらず、もっと広い観点で捉えてみると
モバイルSNS日常作法などの即応性主体のものもあればフォーマルの書き言葉のようにもっとスタティックに生成される本来の書き言葉に近い打ち言葉もあります。
打ち言葉は「おk」「うp」「草生える」のような一時のネット流行語みたいなものであって、自分にはあまり関係ないような…などと考えてはおられませんか?
打ち言葉は音声口語のように音だけ言えばいいのではなくて、必ず表記の選択、かな漢字変換のプロセスを伴っており、いわゆる視覚的コミュニケーションの色彩が色濃く出る知行だという側面があるのです。
つまり端的に言えば「打ち言葉」には以下の2系統の様式をもつのだと定義できます。

A群.即応性コミュニケーションの中で生まれた視覚的スラングとしての打ち言葉
B群.インターフェース要因によって出力文字に得手不得手、出しやすい文字列とそうでない文字列とにある程度制限を受ける性質としての打ち言葉

いずれにしましてもカギになる要因は「文字入力の制限要因や入力煩雑さ回避」という文化・コミュニケーションとは関係のない機械的事情に縛られているというのが本質的要因であると言えるでしょう。文化論などは後付けの話であります。
今回注目していこうというのはもちろんB群のほうの打ち言葉、より個人の力量であるとか趣味嗜好の特性の顕れやすい、正統的書き言葉の発展形ともいえるテキスト基盤について語っていこうと思います。

まず誤解されやすいところなのですがはっきり申し上げさせていただきますと「打ち言葉」は話し言葉と書き言葉の折衷ではありません。
また誤解を恐れずに言うと、パンフレットや文庫本、あるいは看板などのように物理媒体のテキストだからと言ってそれが必ずしも書き言葉の地位に安住できているかと言えばそうでもありません。
今時の媒体はすでに作成のプロセスの時点でほぼ全て「打ち言葉」の工程を経ています。パソコンで文書を作るのですから当然な話ですね。
われわれはもうそろそろ話し言葉と書き言葉の折衷という素朴な2項対立の構図からくる発想を手放さなければいけません。
そもそも「打ち言葉」というのは語呂はいいですけれど使い勝手がどうも悪いですね。A群の用法とB群の用法が混用されていて弁別の用をなしていません。これについては記事結びで触れようかなと思っています。

さてB群の用法をもっと深掘りしていきますと、「打ち言葉(B群)」にはさまざまなレイヤー/チャネルから従来の話し言葉、書き言葉にはなかったいくつもの制限が付き纏ってくるというのがわかってきました。
1.「物理的障壁」
2.「入力方式事情的障壁」
3.「アプリケーション的障壁」
4.「UI的障壁」
5.「学習/辞書/設定状況的障壁」
6.「編集配置的障壁」
という、広く見ればアーキテクチャ的影響要因にかなり左右されている実態があるのです。いわば異次元のファクターです。

…これらは主にデスクトップ環境を念頭に置いています。簡潔に解説いたしますと
1はキーボード盤面の物理配置によるもの。母音のaeとuioが左右盤面に分かれているのは日本語ユーザー的に戸惑うなど、運指困難な打鍵順序(awkward sequence)など
2はローマ字入力では入力しにくい文字列、あるいは親指シフトでの1文字1アクションなどの利点、あとはそれぞれの方式のキー配置の初期学習負荷度合い
3はIMEの誤変換/誤区切り、アプリごとのIME連携が不具合をきたす、ダウンロード追加辞書などを入手する手間など
4はかな漢字変換候補の提示UI、単漢字変換がしにくい、選択フォーカスまわりの使い勝手
5は間違った学習やっちまったあるある、ユーザー登録単語の面倒さ、各種設定による挙動の変化
6は縦書き文書の淘汰危機、スペースの文字数がカウントしづらい、プレーンテキスト編集ではレイアウト的にあまりいじれないなど不便、ルビの問題


ブログ主ぴとてつが展開しているペンタクラスタキーボードというものはまさにこういった諸課題に応えるためにいろいろな試行錯誤を練って、新たなコミュニケーション時代の入力環境を模索しているものであります。
言葉は時代を映す鏡だとも言われておりますが時事問題から専門用語まで日々さまざまな新語が生み出されており、まさに万物流転・諸行無常ともいえます。
しかしわれわれのもつ文字入力機構には限界がありもとよりIME辞書に当該語句がそもそも未登録の場合であったり(未知語)、
単語単位では検出できていても複合語をなすとうまく当て込み配置ができない場合があったり(未知複合語や「臨時一語」「即席合成語」)、
一時で消えてしまうような未定着の語句・フレーズにまで対応しなければならないのかという問題(登録採用コスト)
などさまざまな問題があります。

ペンタクラスタキーボードを標榜するこのブログでは、それらの問題に対処するためにさまざまなアイデアを提案・検討してきました。
・最近では悩ましい単漢字変換の使い勝手を改善すべく、音-訓トランス解釈の新たな文字列入力の下ごしらえ方策、「代表変換」「パズルのピースをはめる変換」などを提案しておりますし、
・さらには「カナ語幹+る」型の動詞(キョドる、カニバるなど)などの新語にも即席で対応できるように「ル形動詞別口入力キー:[○Rキー][×rキー]」などハードウェア的リソースを割いてまで専用特化キーをしつらえています。
・膠着語の宿命として語句の末尾にニカワのように付着する各種の接尾辞あるいは先程のようなル形動詞の活用語尾も視野に入れておかねばなりませんが
一番頻度が高くて一般性も高いコピュラ動詞(=だ、です)については未知語と語尾との境界混淆トラブルの種を元から根絶すべくこちらについてもハード的に「別口入力キー:[だ][でs]」を構えております。
・さらには誤変換誘発要因として悪名高いサ変動詞連用形「し」もさまざまな造語新語を形成する重要な文法要素ではありますがこちらもサ変動詞弁別用の特任キー「便利キー・『し』」を提案してみた、といった具合であります。

要するに頻度の高いもの、基本ルールとして組み入れられるべきものについては大胆に取り入れて、新語未知語に対応すべく応用がきく、臨機応変に対処できることの範囲をある程度確保しようというのが全体を通しての創造・設計理念なのであります。
この設計理念は「あざまる水産」や「ヨクバリージョ」のような接辞性がうまく取り込めない破格の新語にはさすがに対応できる目途は立っておりませんが、
漢語の接辞は合成法則から言ってもある種の"型"をもっており自由な造語の中でもせめて法則性のある生産性については積極的にこれを見出し、定型的な操作文脈に取り込んでいくこともやぶさかではありません。
そこで最後に重要なギミック、「三属性変換」のハ万の挙動にも注目していってほしいと思います。

三属性変換は従来単一であった変換キーを複合化・重層化してより立体的に変換の利便性を向上させようとの狙いで考案されたものであり、品詞に準えた「よろづ」という素性カテゴリのもとで分類した

イ万 … 主に体言・名詞の変換のときにこれを押下する(例:高校)
ロ万 … 主に用言フレーズの変換のときにこれを押下する(例:航行・煌々)
ハ万 … 主に接頭辞接尾辞を含む語句を変換するときにこれを押下する(例:フォロワー孝行)

の三属性を立てて変換文字列・語句のカテゴリ分けをしたものであります。
これら三属性でユーザーの意図する語句を特定/推定し変換の助けとする機構に加えて、従来通りのプレーンな変換をしたいときには通常変換を押下します。
たまに複数カテゴリにまたがった属性を兼任している接辞なども見受けられ、その場合には

ぷりしら城、ぷりしら錠 … イ万とハ万を兼任(つまり名詞でもあり接辞性でもある)
ぷりしら嬢 … イ万とロ万とハ万を兼任(嬢は人物も表すが叙述成分として人の持つ属性を様態的にあらわすという解釈もできる)
ぷりしら上、ぷりしら状 … ロ万とハ万を兼任(様態性、構文機能接辞)
ぷりしら乗、ぷりしら条 … ハ万のみ(抽象度高い)
ぷりしら場 … イ万とハ万を兼任するが抽象度高いのでハ万でのオーダーを重視

などのような未知語形成の接辞ワードであっても、所属属性を複数個所の三属性キーを押下遷移することによって目的の接辞のカテゴリへと誘導し自然に候補を絞ってオーダー提示してくれるというインターフェースの提案もなされています。

漢語の単漢字接辞に加えて、「縦長映え」「光映え」みたいな動詞連用形の語尾であっても意欲的に接辞範疇に組み込んで、接辞としての運用を三属性変換で統御してやれば利点も多いはずです。
先述の例だと「タテナガバエ」「ヒカリバエ」みたいに名詞造語(ハエの一種)としての接辞なのか、様態叙述としての「映える」の生産的用法なのかが使い分けられてよろしいかと思います。
また単漢字のみにとどまらず「この話題一色」「一斉/ボイコット」「ウマ娘狂想曲」のように二文字以上あるいは長尺の漢語接辞であったりであるとか
「犬スタンス」「新劇イズム」みたいにカタカナ語の接辞なども検出してやれば区切り判定の大きな材料になるのでありとあらゆる生産力を個別場当たり的に処理するのではなく三属性ハ万というひとつの軸をもって統一的にとり捌くことができるのは大きな価値の創造であると自負するところであります。
既存の既知語だけではなく、辞書にない未知語を半ば機械的に、語尾だけを見て(属性遷移との兼ね合いもあるが)荒療治的に専断してしまうというこのシステムですが、こうしてみると案外有効に機能していきそうな展望も望める便利な仕掛けとなっているのではないでしょうか。
なにより頻繁に変換したい語尾なのに単漢字選択のところでつまづいて煩雑な候補選択をしなければならない悩みから解放されるということはまさに僥倖というほかないでしょう。

そして端的に言えば造語新語のキャッチアップに素早くついていきますよ~という後手の対応に頼るのではなく新語造語が作られるまさにその瞬間から生産的操作手段を駆使してその場でビルドする、錬成するという言語のDIY術を提供していこうということであります。
よく「必要は発明の母」などとは言われます。しかし私の言うアイデアというものは対症療法のような急場の措置というニュアンスとは一線を画すものであります。
さらにもう一つの格言を引用してみます。

「授人以魚、不如授人以漁」
老子曰く、人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、
     人に釣りを教えれば一生食べていける。

…この言に従うところでいう「釣りのやり方」、システム推進力を与える…この視点を日本語入力にまるまる持ち込んでいきたいのであります。

ソー活
令和婚
福祉犯
エンジョイ勢
日ナレ生
ゴルシちゃん沼
巻き込まれ体質
キャンプめし
コロナ脳
カットオフ値
筋トレ欲
マイカー回帰
香害
リラ安
牛乳悪い教
ANA機
耽美心
微アル

[「打ち言葉」の自由獲得の為には「生産力のある辞」の入力手段を拡充することが重要]、今一度この言葉に立ち返って論を進めてまいりますと、
これら生産的接辞を含む新語は日夜生み出されてきており流行語に限らず符丁語や蛇の道は蛇ならではの踏み込んだ言語表現などもひっくるめて未知語のまな板にのせる必要があります。
人々は「自分流の言い方」を懐中に持ってはいますが出来の悪い物理インターフェースのせいで当意即妙にタイプできない不満を常々抱えながらコミュニケーションしているのです。

ペンタクラスタキーボードは単語の境界を明瞭にする仕組みが入力のライン生成の段からして厳として備わっております。助詞やコピュラ動詞は別口入力がうまくさばいてくれます。
つまり(自立語)単語終端部を容易に推定することができ、末端だとわかれば当然接尾辞に当たりをつけることも自然の成り行きとなりこれをさらに三属性変換ハ万のサインをユーザーからはたらきかけることによって複数の接辞候補からも絞り込みがしやすい設計となっております。
従来型の入力メソッドや構文解析はいまだに単文字助詞助動詞の区切り見当違いによる誤変換につまづき汲々としてリソースを消費している有様です。
まずはここからはじめなければいけません。
助詞別入力も三属性変換も冷静に考えればこれしかないというくらい力強く、シンプルな解決策です。
構文の解析という迷路に立ち入ることよりも下ごしらえを整えるというのがより重要なのではないかということであります。それは物理即物的でもあり人間=機械系という世界観でもあります。

もうすでに散々っぱら、「打ち言葉」という言葉はSNSやLINEのコミュニケーションを想起させる用法が一般的になってしまっているのでわれわれは「打ち言葉(B群)」の用法を掘り起こしてこれを峻別し、インターフェース談義の橋頭保としての新語をあてるのはどうでしょうか。
すでに候補は決まっています。
それは、前回記事でも掘り下げた新概念・「ホワタリ」であります。
「打ち言葉」に対置する並びの良さを取るなら、少々不本意ではありますが「ホワタリ言葉」という表現をとることも許容はします。
しかし何と言いますか、話法を変えて使っていこうという含みと広がりをこの言葉には持たせてやりたいのです。
「書き言葉」「話し言葉」「打ち言葉」「ホワタリ言葉」などと並べていったところで個性はかえって埋没しただのワンオブゼムに成り下がってしまいます。これは認知モアレという現象であります。
「モアレ」とは、二つの規則的な模様が重なった際に起こる幾何学的な干渉縞のことでありますが、微妙な差異を持つ織り様であるならばかえって重ねたりはせずに別のパート、別のフィールドでこれを使うべきであります。
なにせ完成している系に紊乱要因をもちこんでもただの浮いた異質性だけがいたずらに注目されてしまうだけであって、これでは事の持つ本質にたどり着けないのです。
ならば
「ユーザーはタイピングに苦労する事よりもホワタリに苦労することの方が多い」
「緩急のついたホワタリで助詞を間に置きながらタイプする」
「ぎなた読みも気にせずホワタれる」
といった、構文・話法からして軽快にその枠を飛び越えて自由なテーゼ句としての用法に活路を見出していけばいいんじゃないでしょうか。

ことばは、渾沌とした連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の分節を与え分類するはたらきを担っている
「ものとことば」著者:鈴木孝夫

と現代文の教科書にも取りあげられている非常に示唆深い文章といったものもあるではありませんか。
ロジックとはジュースであります。本質だけが本体で言葉はその流動性に富んだふわふわしたものをつなぎとめるかりそめのアンカーにしかすぎないのです。
ならば逆のパターン、本質自体がフィットする言葉を欲している、新味のないタイピカルな言葉ではなくて神妙なるオシャレなラッピングを施してほしい
――こういった"心の声"が実はわれわれの耳に届いているのに、聞こえないフリをしているだけではないのか…
発する事ではなく、聴き留める事、文章入力インターフェースにおける「傾聴力」この視点が大事になってくると思うのです。

接辞やル型動詞などを使った生産力の高い何か新しい言い回しをユーザーは必要としている…これはユーザーのタイピング意図、「筆法サイン」なのであります。
物理配置やIMEはその受け皿である器であることをもっと自覚してすすんで道路を整備してやらねばなりません。
テキストいとなみ隆盛時代の真のブレイクスルーはすぐそこまで来ているのです。
ちょっとそこの奥さん!「革命前夜」はいらんかね~今ならお安くしときますよ~。

以上、悪筆乱文長文失礼しましたぁー。

 


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日本語をリンガ・フランカにしようなどとは虫のいい話、もっと自分から乗り込め!

2021-03-06 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

数年前ある調査で、「Twitter上で日本語は2番目に多い言語」だというニュースを知ったときは「なんだ、日本語もなかなかやるじゃないか」とにわかに浮かれたものですが、
まあ何といっても世界の文化・通商において圧倒的な存在感で躍り出ているのは紛れもなく英語-イングリッシュだという事実は揺るぎのないものでありますね。
しかし中国語のように絶対的な人口数があるわけでもないですし、ラテンアメリカ地域に広く使われているスペイン語のような土台があるわけでもないです。
世界の片隅のほんの一部、オタクカルチャー・サブカルチャー領域でニッチに広がる、あくまでマニア向けの需要の受け皿として日本語がささやかに息づいている、という程度の認識であります。
ただ日本語の話しことばに関して言えば発音は簡単でありますし、変化の多い格を助詞の付加で簡単にあらわせる、時制、冠詞、女性名詞男性名詞などのややこしさとも無縁など非母語とする学習者にもとっつきやすい要素は多分にありますし、動詞も規則的あるいは数が比較的少ないなど利点はいろいろあります。
国際言語になれるかどうかは別として、ポテンシャルは結構あるのかもしれません。ただし書き言葉ともなるとこれは難しいでしょうね。

共通語とも言われるリンガ・フランカは、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語に由来し、
それから転じて、共通の母語を持たない集団内において意思疎通に使われている言語のことを指すようになったのだそうで、現在においてその地位にあるのはもちろん英語であります。
近年のテクノロジーの進歩でポケット翻訳であるとかWeb翻訳は日ごとに進化していますし効率的な学習教材プログラムもニーズが高まっています。
なので外国語学習や理解の敷居は下がってきているのかもしれませんが言語を文字通り血肉化するためには不断の反復鍛錬が欠かせないものとなっているのは相変わらずです。

…そこへきてこのペンタクラスタキーボードを掲げるブログ主ぴとてつにおきましても、国際化の波にどう対処していくのか、その真価が問われる局面であることをもっと自覚しなければなりませんね。
テキスト営み・言語営みはこのコロナ時代にシフトしたとしても依然としてその重要性は増すばかりであります。
入力インターフェイスであるとか物理キーボードの大きな枠組みもユーザーの多様なエクスペリエンスを満たす懐の深さをもっていなければただの面白ガジェットに終わってしまう顛末になりかねません。
大事なのは、普遍性。普遍性とは世界と人間との関わり。それがもっとも端的に表れるのは個々の生活場面よりも実は立場の転換を暗に内包する世界設定・レンマ設定に依って立つ広い視野が必要なのではないでしょうか。
例えて言えば昔のパソコンにはアプリケーションよりも何よりも果たして役に立つかどうかもわからないBASIC言語が標準で搭載されていたことを引き合いに出してみますと、
物事の草創期には用途も輪郭が見えていなかった手探りの中で、こうしたBASICのような抽象的、そしてシステム包括的な足がかりをまるでそれがアイデンティティであるかの如く秘蔵していたものであります。
入力機構の草創期にあってもまずは大風呂敷から。その精神が、ひいては目先のコンセプトを超越するバッファの源泉となるかも知れないのです。

ペンタクラスタキーボードは新しい入力機構として、もっぱら日本語利便性に最適化してオペレーションをおこなう目的で各種のコンセプトを磨いてきました。
しかし同時にアルファベットだけは排除できずにむしろ独自の液晶スクリーンを鍵盤部中央に据え、領域的にも処理的にも特段のリソースを割いて物理配置を固めていくに至りました。
日本語はすでに漢語はもちろん英語やフランス語、ラテン語などからも数多くの外来語を取り入れており表記的にも原語を尊重して綴りや付加記号に至るまで忠実にカタチを重んじるお国ぶりがあります。
それは商品名や音楽グループなどの名前、作品名などに巧みに取り入れられ先進イメージやオシャレなニュアンスを出すのに一役買っています。
つまりこのテキスト中心時代においてさまざまな語感デザイン的な仕立ての利便性に対する配慮を、入力機構はその要請に十二分に応えていく使命があるのです。外国語はそのまさに本丸であります。

幸いにしてキーボード盤面のタッチ液晶部の表示レイアウトは常に自由配置、可変の文字入れ替えが可能、詮ずる所、文字の刻印の制限を受けないという最大の特徴があります。
これを英語アルファベットだけにとどめておくのは実にもったいない話です。
目下のところこのブログではペンタクラスタキーボードのコンセプト改定を大がかりに進めているところでありますがこうした英語以外の外国語に対するアクセシビリティについてももちろん大きなテーマに設定しておるところであります。
どのようなものになるのかはまだ思案中ではありますが、タッチ液晶部のパネルに「第2言語」への切り替えをおこなえるボタンを設置し、日本語の作成文中にちょこちょこコラージュ的に外国語のつづり字を適宜挿入できるようにする仕組みを考えています。
日本語はもともと表記において外国語字種混在のテキスト生成を好みますし、かなクラスタやでにをは別口入力につないで打鍵していけば字種の切り替えを特に意識することなく移行しつつ構文解析においても未知語ではありますが御せないほどの解析上の困難を生じさせる問題はありません。
これの延長上で、外国語だけにはとどまらず「顔文字作成パレット」にもなるパーツ構成のセットであったりだとか、
「ORβIT」「AᗺBA」「TЁЯRA」などのこだわり表記に対応できる「くせ文字対応パレット」のセットであるとかもカスタムプリセットしていけば良いのです。さらには
「コマンド ⌘」「リターン ⏎」「縦三点リーダー︙」「削除記号(*)」などのシステムまわりの特殊記号であるとかもそれ目的用のパレットを作ってやってユーザーのさまざまなニーズをシンプルな方法で実現できるバリエーションなども視野に入れています。

さて、話はまたリンガ・フランカに戻りますが、書き言葉を考慮に入れますと日本語がそのようなイニシアチブを握るなどということは懐疑的に受け止めています。
そもそも21世紀的趨勢においては旧来のリンガ・フランカのような覇権や威信などの世界観は協調と相互理解の文脈である今の情勢にはなじまないものでしょう。
私たちにできることはむしろもっと異文化のエッセンスを大胆に取り入れる事、入力機構が意思を伝達する身体の拡張ツールとして血肉化しようというこのフェイズにおいてもよりもっと引き出しを増やすことを選択する事であります。
考えてみれば日本人は古来から外国の文物を適切な距離感で受け止め、理解し、咀嚼し、アレンジして、自家薬籠のものとして独自に発展させてきた長年の叡智があります。
21世紀のテキストコミュニケーション隆盛のこの時代にもこういった知恵をうまく継承し、あらたなリンガフランカの様式、有り体に申しますと
「リンガ探究心フランカ」
を目指していけば良いのだと考えます。
つまり自己を標準とするのではなく世界の諸言語をこちらから乗り込んでいって探究してしまえばいいという能動的な在り方である…これが新たな理想形であります。

私なども日常でtwitterの検索などにも時折外国語つづりのテキストをよく見かけますが、あれはスマホからコピペして貼り付けているんでしょうか、それとも他言語IMEを導入しているのでしょうか?
ペンタクラスタキーボードの活躍シーンを彩る「ZOSIデバイス」ならば標準でこういった多言語混在環境を整えてありますので気軽に、存分に多国籍談義に花を咲かせることが可能になるかも知れません。
やれ情報発信であるとかインフルエンサーであるとか騒がしい世の中ではありますが、案外こういった井戸端談義的なものに自在にアクセスできる安心感を担保している
…このことが「リンガ探究心フランカ」のスタイルを開花させる重要なカギになるかも知れませんね。

今後も、ペンタクラスタキーボードの典型的使用シーンをもっと掘り下げて、想定を現実のものに一歩でも近づけていけるよう模索していきたいと思います。

 


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異業種フィールド横断ビジネスの最後のシナジーは『言語』である

2020-01-23 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

 

早稲田大学ビジネススクール教授の内田和成氏による著書『ゲーム・チェンジャーの競争戦略 ―ルール、相手、土俵を変える。』を読みました。
企業間競争においてテクノロジーの進歩、物流の効率化、グローバル環境の変化、イノベーション発想の転換などによって既存の支配的だった企業が否応なしに競争に巻き込まれ
従来のビジネスモデルではうまくいっていたものが新しい局面では逆に変化に踏み切れない足かせとなって新興の競争相手に打ち負かされてしまうケースがみられてくるようになってきました。
競争のルールそのものを変えてしまう「ゲームチェンジャー」の出現にどのように対抗していくのか、この本では攻める側だけでなく攻められる側――既存プレーヤーの戦い方にも注目して戦略の鍵となる要素を我々に示してくれます。
なかでも印象に残ったのが競争を仕掛けてくるゲームチェンジャーの4つの類型
・秩序破壊型(Breaker)
・市場創造型(Creator)
・ビジネス創造型(Developer)
・プロセス改革型(Arranger)
のマトリクスの説明と各章がそれぞれのテーマを掘り下げて詳述してあるところです。
私自身の理解力と読み込みが足らなかったせいか「市場創造型」と「ビジネス創造型」の違いがよく分からなかったのがありますがこのブログで描く未来展望を念頭に置きますと大いに触発されるものがある内容でした。

最近特に気になるのが「プラットフォーマー」と呼ばれる多数の消費者や事業者の基盤となる製品やサービスを提供している企業とその動きです。
例えばGoogleは検索(とその広告)だけで食っているのではなくてMapやYoutube、AndroidOS、日本語入力なども手広くやっていてその影響力は今や私たちの生活に欠かせないものとなってきています。
Amazonもショッピングだけではなくてプライムビデオや音楽ストリーミングやAWS(クラウドウェブサービス)などその事業領域は多岐にわたっています。
両者に共通しているのは展開する事業領域が単一・専業ではなく、ITのシナジーを余すところなく活用し多方面に展開していながら経営資源がバラバラになるのではなくてトータルでしっかりと統合されている事です。
特にAmazonプライムのサービスなどはプライムビデオ動画と映像ソフト販売の食い合いも内包しつつの構えではあるものの、お急ぎ便やプライム配送料無料のメリットもさることながらKindle電子書籍からミュージックまで生活からコンテンツ環境全方位の至れり尽くせりぶりは見事というより他はありません。
彼らは異業種の垣根を取り払うことで有機的なシナジーを生み出し、ビジネスの総体を拡張しながらユーザー目線の巨大なエントリーゲートを構えて丸飲みしてくるかのようです。
これは私見ですが、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのNetflixやHuluのような専業的プラットフォーマーは今はいいですがこのままソリッドな形態のままでいると一気に形勢が動いてしまうリスクを裡にはらんでいるのではないか、と思っているのです。
動画サブスクリプション業界は目下競争激化で新たな参入者も控えておりせっかく育った市場ではあるのに消耗戦で焼け野原になってしまう展開が待っているのやもしれず、市場の動向は目が離せないところであります。
そういった意味では専業事業者にとってはややリスクが高いのではないかと一段下の認識を持っています。
もちろんプライムビデオのラインナップは前者に比べるとやや見劣りがしますがAmazonはサービス総体でいえばまだ情勢に柔軟に対応できるだけの方策のバッファがより大きいように思えるのです。
しかし専業では一本足であるところの脆弱性ゆえか突発的事態に対してできる選択肢が限られてくるのはよく考えれば自明の理でありますし今後の動向を注視していくことが求められていくと思います。

ここで今回の記事を作成するのに役立ったWeb上の記事、特に異業種をライバルとみなす現代の趨勢を読み解く記事があったので下にあげておきます。

Netflix「ライバルはフォートナイト。すでに負けている」と発言。TV画面の奪い合い激化 - Engadget 日本版
・私どもは、自分たちのライバルは何だと考えているかというと、「お客様の興味関心と時間とエネルギーを奪い合うすべてのものがライバルだ」と思っています。特定のものだけをライバルだと考えますと、「そのライバルにいかに勝つか」という発想になるんですね。(任天堂:岩田聡)
2010年6月29日(火)第70期 定時株主総会 質疑応答
トヨタ「ライバルはもうホンダではない」の真意 全ての企業の競争相手はGAFAである | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

さて、当ブログでもぶちあげているペンタクラスタキーボードの目指すシナジーとはいったい何なのか…単に日本語入力・IME・テキスト作成の枠内だけにはとどまらずいろいろ夢想しながら業界を股にかけていくのだ、と意気込んでおるところであります。
コンテンツ方面もマーケティングの新領域も手を尽くしたとばかりに腕組みしている場合ではありません!新たなフロンティアを模索しているのでしたら原点に立ち返って残された最後のシナジー、『言語』をもう一度見直してみてはいかがでしょうか?
業界関係者様、アカデミック方面の方々…コーディネートお待ちしております。


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ポメラの立ち位置が面白いのでこの方面の新セグメントを夢見る

2019-05-23 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

思いついた文章をさっと開いてパッとメモ…2008年に初代機が発売されて以来各所から絶大な支持を誇るデジタルメモツール、『ポメラ』(キングジム開発製造販売)。
文字入力専用と思い切ったコンセプトながら日常動作に優れており、バッテリー長持ち、開いて即起動、使いやすい日本語入力ATOK搭載、キータッチもメカ的に快適、黒バックに白文字にもできる。
…ヒットするのもうなづける、非常に練り込まれた商品だと思います。

さて我がペンタクラスタキーボードもデバイスとしての位置づけやユーザー層や使用シーンの想定など外的環境への目配りをしっかりしなければなりません。
当然冒頭で紹介したポメラからくるインスピレーションもあるかとは思いますがここまで割り切った作りには到底追いつけそうもないので、拙案なりの独自の道を切り開いていくしかありません。
ペンタクラスタキーボードはとにかくデカいので、ノートPCみたいに液晶開閉のブック型に収めるのは難しいので、タブレット+スタンド+キーボードみたいな形にどうやら落ち着きます。
要は、マウス+キーボードのインターフェイスを捨てずに、画面はタブレットPCみたいにスタンドアロンでも動作する…といった具合でなにやら面妖なシロモノではあるのですが、
現時点でも存在する取り外しもできるタブレット一体型PCとよく似た構成ではあるのですが、既存型のマルチ/分離タイプとは味付けが少々異なり、ビューアorマウス依存というべきなのか何だかよくわかりませんが主従関係が色濃く出ており、タブレットとしては検索窓に入力するぐらいはできるものの基本的にはWeb閲覧/メディアビューアとしての[見る]に重きを置いております。
他方、文章入力とマウス使いのWeb閲覧(コピペやページ検索)は通常の[見る]だけの行為とは一段別ものとして扱い、これを通時の使い方としてマウス複合オペレーションを[主]に置いたウエートのあるデバイス(キーボード稼働)が最適形なのかな、と思っております。
無論、問題はあります。
バッテリの問題、実質2デバイスであること、タブレット使用時の日本語入力はペンタクラスタキーボードの良さを生かし切れていないそっ気のないプレーンな変換システムとして併存させるのはそれだけのためにあるのはもったいない、起動の早さは望めそうもない、等々…。

普通なら中途半端に欲張ってて割り切りもない筋の悪いコンセプト。
コスト度外視のガジェット道楽ふぜいになりそうなシロモノ。
こんな立ち位置、市場として成り立つわけがない、などのお叱りを受けそうですが
やれ執筆だ創作だと肩ひじ張ったニーズのその手前に、数多の潜在マジョリティである、ものぐさ/無精/怠け者のニーズに応えるスタイルもあっていいのではないかと…。
ネットを徘徊しながらちょこちょことメモメモしたり→後でそれを切り貼りして適宜加筆してテキストを作り上げる、作業っていうのも発信型ではなくて蓄積型の人にはよく見られる使い方だと思うのです。
インプットの多い時代に情報の断捨離も求められる昨今ですが、溢れくる情報も捨てられない…そんな人たちへの受け皿となってくれるはずです。

先程のポメラは単体で成り立っている自己完結した製品であるところも特筆すべきところであります。
なにしろストアとかアプリだとか余計な事を考えなくて済むのがいいです。(最新機種ではiPhoneとの連携や無線LAN搭載などもありますが)
ペンタクラスタキーボードにおいてもあれこれ盛り込んで欲張ってしまうとエコシステムの構築・管理に多大な労力を割かれてしまうので、サードパーティを広く招き入れての"プラットフォーム志向"ではなく、
単なる道具に徹する"ツール志向"を貫いて、言い方はアレですけれど中央集権的に、ミニマリスト的に覚悟をもって処すことが肝要ではないかと思います。
この立ち位置を表すとしてもPC/スマホ/タブレットそれぞれの役割に収まりきれるものではなくあえて名前を付けるなら「ポメラセグメント」あるいは
メディアビューア、Web閲覧も織り交ぜてのペンタクラスタキーボードの有り様をより切り取る言葉として「ゾーシ(草子・ZOSI)デバイス」なるものを提唱したいと思います。
既成概念を打破するにはまず名づけから…ということで付けたこの概念ですが、拙ブログでは時々トンチンカンな事を言ってしまうのが悪い癖でして申し訳ありません。
ですがこの「草子」という言葉は娯楽的な書物という意味もあり、カジュアルなニュアンスももちつつ「絵草子」などのようにテキスト以外のメディアビューアのイメージの広がりにもピッタリだと思うのですが、どうでしょうか?
草稿・草案・起草といったドラフトの作成過程で使われる「草」の一文字を使うことにも大きな喚起力があります。
単体での読み方は「そうし」ですが、あえての意味を持たせるための際立たせの用をもたせるために「ZOSIゾーシ・デバイス」としてみれば、なにやら先進的でカッコいいものに見えてくるからなんだか不思議です。
こういった言葉は車輪の再発明というかすでに同様の概念があるかもしれませんがペンタクラスタキーボード界隈としましてはこの用語を使いたいと思います。

 

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