エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

幻の“柾葺き屋根”

2020-08-01 08:10:39 | 旅行・地域

60年ほど前 北海道の住宅は、ほとんどが“柾葺き屋根”でした。 その歴史は、明治時代の蝦夷地・開拓者の中に“屋根職人”が居り、開墾の傍ら副業として始めたと言われています。 なぜ、土を固めた“瓦屋根”でなかったのか? おそらく 当時の豪雪(現在の数倍)に、重い瓦では柱や梁が耐えられなかったと思います。 また、台風の被害が少ないのも、理由の一つと考えられます。 そこで、軽く加工し易い“エゾマツ”や“トドマツ”を薄く裂いた“”を、屋根の仕上げ材として使ったものと想像します! 

柾葺き職人”は、我が町に10人程いたと思います。 子供の頃は、職人の仕事を興味深く観察したものです。 丸太を1尺(30㎝)位にカットし、皮を剝いて幅の広い“刃物”で1分(3㎜)ほどの厚さで“柾目”に裂きます。 その手際は、まるで機械作業の様でした。 一軒の屋根に敷き詰めるのですから、大量の“柾”が必要になります。 柾が完成すると、厚めの板を下地にした屋根に、仕上げ材として柾を張るのが職人技でした。 左手で柾を並べ、右手に小さな金槌を持ち釘を打ち付けるのです。 その速さは、驚きでした。 一握りの小さな釘を口に含み、金槌を持った手で釘で柾を止めて行くのです。 口の中で釘を回転し、釘先を唾液で湿らせ 柾に付着するのです。 その口技で、機械の様な連打が可能になります。(素人の10倍速以上?) 正に 神業でした!

◎ 北陸では「木羽葺き」と言う様です。

Masa

“柾葺き屋根”の欠陥は、傷みやすく雨漏りが多い事です。 その都度 修理するのは大変で、応急処置しても家の天井は雨漏り跡が至る所に残り、ボロ隠しに新聞を何重にも貼っていたのが 記憶にあります。 朝起きて 天井を見上げると、去年?のニュースが読めました。 “柾屋根”の恐ろしいのは、火事です。 近隣で火事があると、火の粉が燃え易い“柾”に飛び火するのは、避けようのない現実です。 屋根材に 可燃物があるのは、明らかに危険です。 当時“火の用心”は、教育・躾(しつけ)の原点でした。 地震・雷・火事・親爺と 恐れられた原因が、そんな所にあったのかも知れません!  

そんな“藁葺き屋根”は、昭和30年頃に激減しました。 原因は、“トタン(薄鋼板)”の普及でした。 耐久性があるトタンは 雨や雪に強く、瞬く間に“藁葺き屋根”の座を奪ってしまったのです。(柾屋根の上にトタン板を張る工事は簡単) 残念ながら 神業と思っていた職人の仕事は、トタンの出現によって終焉してしまいました。 その後、北海道の屋根は高価な“”に変わる事はありませんでした。 何故なら 地震の多い日本において、柱や梁が耐えられない程の重い”瓦”は、“柾”より危険と判断したと思います。 正しい判断だと思います。 「頭でっかち」は、不安定なのです。 今では トタン屋根が、北海道の文化になっています! 

◎ 北海道では珍しい“瓦屋根”

       

“瓦屋根”の重量は、坪あたり“170キロ”になる様です。 仮に50坪の屋根であれば、8,5トン+化粧瓦+モルタル=“10トン”近くなります。 その上に“”が積もれば、屋根の重量は 20トン以上になる筈です。 木造家屋の限界かも知れません! 
北海道で使われる“カラートタン”であれば、縦葺きにしろ横葺きにしろ“500キロ”前後と、極端に軽い。 何よりの利点は、施工時間が短い事です。 50坪程度なら、職人が 5~6人で一日もあれば、雨から家を守る事が出来ます。(仕上げは 2~3人で 3日ほど) 「トタンやガルバリウムは、屋根裏の温度が上がり過ぎる」その問題は、断熱材によって解決できます。 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Happy-Linda-Linda)
2020-08-02 20:31:56
こんばんは。

>“トタン(薄鋼板)”の普及
>は昭和30年頃

思っていたよりトタン屋根歴史は浅いのになるほど~と。
知らないこと一杯!
筆者 (エゾ中村)
2020-08-03 14:55:22
コメントありがとうございます。

「トタン屋根の普及は、昭和30年ころ」は、一般住宅の事でした。確か 公共の建物(病院・役場)は、概ね“トタン屋根”だったと記憶しています。
戦後 北海道の経済発展は、本州に比べ10年以上遅れていたのは事実です。ですから、何処の家でも“屋根工事”をする余裕がなかったのでしょう?
風格ある“瓦屋根”は、昔から“高嶺の花”でした!
そんな歴史が、今の北海道には似合っているのかも知れません。
柾葺きは存在する (フルヤ ヨシアキ)
2022-12-02 08:18:35
五戸町の福萬稲荷神社は、2022年12月2日現在,柾葺き屋根で存在します。屋内での神社だったので、安政5年勧請札有りの、江戸時代形容を色濃く残る神社です。国内でも保存が少ない柾葺き屋根は、珍しいと感じます。

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