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人生を楽しく生きるための試行錯誤

三角縁神獣鏡、中国で発見される

2015-03-02 15:49:40 | 邪馬台国

 河南省在住のコレクターで研究者でもある王趁意さんが、2009年ごろ、洛陽の骨董(こっとう)市で、市郊外の白馬寺付近の農民から三角縁神獣鏡と同じ形式の鏡を譲り受けたと発表した。魏志倭人伝に卑弥呼が魏から鏡を貰ったと記載されており、その鏡が三角縁神獣鏡ではないかという議論がある。三角縁神獣鏡がその鏡でないとする人たちの根拠の一つがが三角縁神獣鏡が中国で発見されていないということであった。もし王趁意さんの発表が正しければその根拠が一つ崩れたわけである。三角縁神獣鏡は大和を中心に九州から関東まで広範囲で発見されており、邪馬台国の場所を特定するための材料となっている。つまり、三角縁神獣鏡が卑弥呼が貰った鏡であれば、そのもっとも多く発見されている近畿が邪馬台国があったところである可能性が高くなる。
  

 


纏向で卜骨が発掘される。

2015-01-30 13:28:57 | 邪馬台国

奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀後半~4世紀初めに占いに使ったとみられる動物の骨「卜骨(ぼっこつ)」が発掘された。年代から言って、卑弥呼の後継者 臺與(とよ)の時代である。魏志倭人伝に邪馬台国では卜骨を使って吉凶を卜っていたという記述があり、この発掘はその記述をバックアップするものである。このような邪馬台国が纏向にあったということの根拠となるような発掘がこの10年ぐらい続いている。今までに僕が別の観点から、邪馬台国大和説を論じてきたが、これらの発掘はそれをサポートするものだ。とても嬉しい。


前方後円墳と前方後方墳

2009-11-14 09:39:34 | 邪馬台国

円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など古墳にもいろいろな形状のものがある。その中で前方後円墳と前方後方墳にフォーカスしてみよう。前方後円墳は3世紀から7世紀に築造され、天皇稜、皇后稜のほとんどが前方後円墳である。したがって前方後円墳の分布の推移を調べれば大和朝廷の勢力範囲の推移がわかる。これに対して前方後方墳は3世紀から5世紀に築造されている。その主要な分布は濃尾、東海、関東であり、前方後円墳の分布とは色分けすることができる。特に初期の墳墓の分布はその傾向がはっきりしている。つまり3世紀頃には2つの大きな国があったことが予想できるのである。前方後円墳勢力と前方後方墳勢力である。面白いことにこの2つの墳墓が共存する地域がある。特に大和朝廷が存在した大和においても前方後方墳が存在することは、その2つの勢力が融合したことを示唆している。3世紀と言えば邪馬台国の時代である。過去のブログで述べてきたことであるが、ヤマトに邪馬台国があったという可能性は高い。そうすればその頃の邪馬台国に敵対していたのは狗奴国であるから狗奴国は前方後方墳勢力と考えられる。前に、卑弥呼の外交によって狗奴国が邪馬台国連合に取りこまれたという可能性について書いたが、まさに前方後円墳と前方後方墳の築造年代、分布の推移がそのことを強くサポートしている。


卑弥呼の館?

2009-11-12 00:38:28 | 邪馬台国

奈良の纒向で大きな建造物跡が見つかった。複数の建物が直線的に配置され、一番大きなもの(今回調査)は東西12.4m、南北19.2mの大きさであった。これらの建物は3世紀前半のもので、ちょうど卑弥呼の時代と一致しており、卑弥呼の館である可能性が論じられている。このように規則的に配置された建物群はそれ以前の弥生遺跡にはなく国家としての形態が整いつつあったことがうかがわれる。何度か邪馬台国の位置について述べてきたが、この発掘はそれをサポートするものである。


邪馬台国と狗奴国の戦い

2009-10-31 15:02:53 | 邪馬台国

魏志倭人伝に邪馬台国と狗奴国が戦ったことが書かれています。でもどちらが勝ったかは書かれていないのです。そこで推理してみましょう。まず卑弥呼について考えてみましょう。卑弥呼が現れる前は倭国大乱ということで長い間倭国全体が戦争をしていたようです。そこへ卑弥呼が現れ、戦争を治め、倭国に平和を導いたのです。通常、戦争状態になった場合一方が一方を征服して平和が訪れるか、より強力な国家が仲裁をして平和が訪れます。古代の倭国には仲裁をしてくれる国家などないわけですから、強力な国が他国を征服して平和になるのが普通です。ところが卑弥呼の武勇伝は記録されていないのです。倭国大乱を治めるような征服の戦いがあったのなら必ず民族の記憶として残るはずです。でも残っていない。なぜか、卑弥呼は外交によって平和を導いたのでしょう。すごい女性です。有史以来最大の政治家、外交手腕といってもよいでしょう。卑弥呼以外にそんなことをした人を一人でも挙げられるでしょうか?このような偉大な政治家が狗奴国との戦いで命を賭けた戦いをするでしょうか?おそらく、小競合いはあったでしょうがその段階で利害をうまく調節し、対等合併の形で狗奴国を邪馬台国連合に引き入れたのでしょう。


邪馬台国と大和朝廷

2009-10-30 10:10:43 | 邪馬台国

邪馬台国が大和朝廷の前身であったかどうかは邪馬台国の位置を推理する上で重要なポイントである。日本書記に邪馬台国の女王卑弥呼が神功皇后であると示唆している部分がある。神功皇后は大和朝廷初期の英雄である。神功皇后が卑弥呼かどうかは別にして、自分の祖先の英雄を卑弥呼であると示唆することは大和朝廷が邪馬台国を自分自身か自分の前身と考えていた有力な証拠となりうる。それに対して邪馬台国のことが日本書記には出てこないではないか?もし邪馬台国が大和朝廷の前身であれば出てくるはずだという反論がきそうである。しかしこれは読み方の問題である。ヤマタイと読むから出てこないだけでヤマトと読めば日本書紀自体がヤマトの歴史を描いており、邪馬台国が出てこないという議論は成立しない。魏志倭人伝には「壱」の旧字体が使われておりヤマイ(ヤマイチ)が正しいという議論があるが、他の文献(後漢書など)では「台」の旧字体が使われている。ヤマトという発音に字を当てたと考えれば後漢書の方が正しいのであろう。


邪馬台国はいずこに(3)、地勢的条件 

2009-10-24 13:21:34 | 邪馬台国

人が生きていくには食物が必要です。海の幸、山の幸だけでは多くの人が生きていくことはできません。耕作、特に稲作が日本列島にもたらされて以降人口が一挙に増えます。住む場所も海岸や山の麓から稲作のできる平野に変わってきます。人の増加につれて、外敵の侵略に対する防御と犯罪者から個人を守るために国ができてきます。稲作のできる、川のある平野部には人が集まり国ができ、大きな平野には強い国ができます。大きな平野と川を有し、稲作に適した温暖な季候の場所を挙げてみると、関東、東海、京阪奈、岡山、広島、佐賀・福岡ということになります。邪馬台国もこれらのどこかにあったはずです。そしてそのころ倭国の勢力を2分する国、狗奴国も邪馬台国に近接して上のエリアのどこかにあったはずです。邪馬台国の位置が絞られてきました。次回以降ご期待ください。


邪馬台国はいずこに?魏志倭人伝について

2009-10-22 22:12:58 | 邪馬台国

邪馬台国といえば魏志倭人伝を思い浮かべる人は多いであろう。そしてこの魏志倭人伝を基にして邪馬台国の位置を出そうとする人も多い。しかしこの取り組み方はあまりよいとはいえない。なぜならば魏志倭人伝の書かれ方を推理してみれば邪馬台国の位置を出すための資料としては適切でないと判断できるからである。魏志倭人伝は、陳寿が魏、呉、蜀の3つの国の歴史を纏め上げた「三国志」の中の魏書の東夷伝倭人条のことである。この壮大な歴史書はおそらく資料を集め、人の話を聞き、そして当時の常識を基に資料間の関連付けを行い、不足している情報を推理補完して書き上げられたものであろう。当然曖昧なところや事実と違うところもあるに違いない。魏志倭人伝にいたっては、倭国が辺境の国であり、少ない断片的な情報を基に作り上げられたもので、正確に書かれているとは考えないほうがよい。実際、魏志倭人伝の言う通りに行くと海の中に邪馬台国が存在することになる。それをいろんなこじ付けをして陸地にもってくることはあまり意味のないことである。


三角縁神獣鏡と邪馬台国

2009-09-22 00:24:52 | 邪馬台国
鹿男あをによし 鹿男あをによし
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2007-04

魏志倭人伝には2~3世紀倭国に邪馬台国が存在し、その女王卑弥呼が多くの国を従えていたことが書かれています。卑弥呼は魏に朝貢し、その返礼として鏡を貰っています。古墳の発掘によると、魏の年号(ちょうど卑弥呼が朝貢していた頃の年号)の入った鏡が何種類か発見されていて、その中に三角縁神獣鏡があります。このことから三角縁神獣鏡が卑弥呼のもらった鏡であると推測する研究者もいます。しかし中国でこの鏡が発見されていないことや、間違った年号が入っていたりすることから、これは卑弥呼の貰った鏡ではないという研究者もいて、まだはっきりとした結論は出ていません。視点をかえてこの鏡の使われ方を考えて見ましょう。この頃の倭国の状況から考えると、三角縁神獣鏡の使われ方がはっきりしてきます。この頃の倭国は邪馬台国と狗奴国の2大国が敵対していました。邪馬台国は魏の権威をもって倭国を治めようとしていました。次に三角縁神獣鏡ですが、年号の入っていないものも含めると九州から関東までの広い範囲から出土しています。邪馬台国側の国が邪馬台国を無視して魏の鏡をつくるはずもなく、また狗奴国が邪馬台国を支援する魏の鏡を作ることもありません。つまり三角縁神獣鏡は魏からもらったものであっても、倭国で作られたものであっても、魏の権威を示すために邪馬台国の同盟国に配られたものだと考えられるです。そうすると三角縁神獣鏡の出土分布と邪馬台国の勢力範囲が重なってくるわけです。出土分布や他の考古学的な調査、文献調査を総合すると邪馬台国の位置はおのずとはっきりとしてきます。それは次回以降にしたいと思います。

「鹿男あおによし」はドラマにもなった小説です。史実とはまったく違いますが三角縁神獣鏡や黒塚古墳や卑弥呼が重要なファクターに使われている面白い物語です。