拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 今どきの少年・Y (その2)

2023年02月15日 | ヨーロッパの風

  昨夜、同じアパートの友人から連絡があり、一年半前に会ったY君が母親と一緒に来るので一緒にお茶でもどうですか?とのこと。

  Y君については 2021年12月22日のブログ記事『今どきの少年・Y』・・・で書いた少年の事で、独学であれだけ日本語が達者なガキは・・・

  というか、ガキそのものにそんなに出会う機会が無い爺にとって、今どきのガキがどんなんであるか好奇心もあり再会することに・・・。

  久々に会ったY君は、現在15歳でもうじき16歳になるという。

  『若いなぁ〜』と言うと、『自分でもそう思う…』とのことで、わずか15歳で、それってやけに冷めた視線で自己を観ているということか?

  最近はあまり日本語を勉強していない、とのことながら私が普通に話していることをほぼ完璧に理解し、返答をしてくる。

  6年前にブラジルからお父さんの国スイスに移住したから、隣に坐った母親とはポルトガル語で話していた。

  学校ではフランス語で英語も普通にできるとの事で、英語、フランス語、ポルトガル語、日本語それに彼が住んでいる州は

  ドイツ語とフランス語両方話す州なのでおそらくドイツ語もある程度わかるだろうから、5ヶ国語話せる少年・・・だろう。

  私は30年スイスに住んでいながら、フランス語もろくに話せず、ちょっとは話せた英語も30年間ほとんど使うこともなく退化してしまい

  母国語の日本語も独り言(脳内)が多く、ボキャブラリーはマンネリ化して、わずかに仏語(ぶつご)=一黙語に進展があるのみ。

  この調子では、91歳になる義父が言葉(人名やら場所名)を忘れて苛つ苦しさに悩んでいるが、私も70歳ですでに名前がすぐ出てこない

  状態であれば、90を待たずに、失語症如くになるであろうか・・・。

  とにかくY君の語学力というのはやはり、『Z世代』・・・というのが原因であろうか?もちろんブラジルとスイス人のハーフということもあるが

  インターネットを使いこなす能力が、私等『昭和世代』とは別次元なのはたしか。

  先日『Chat GPT』の話をしたが、語学を学ぶ者にとって非常に有効であるらしい…と耳にしたけれどそをどのように応用するのか

  私にはピンとこないような事が、彼等『Z世代』の連中には何の障壁もなく対応することができるのであろう。

  以前に会った時、『芸術家になりたい』・・・と言っていたのを覚えていたので、どの分野のアートに興味があるのか聞くと

  音楽、絵画、文学・・・と多方面に興味があり、一つに絞れないのが目下の悩み…とのこと。

  で、明日からタイ式ボクシングを始めるそうだが・・・それを聞いて、やっぱりガキはガキか・・・なっ、と思った。

  爺も、格闘技には案外詳しいから、是非Youtubeで『Breaking Down』を観るように・・・と勧めておいた。

      

      プロフィール(横顔)はやはり、15歳の少年だ。対面の私はやはり、70歳のジジイだ…の図

  

  


  小さな巨人 BD版

2022年03月21日 | ヨーロッパの風

  『小さな巨人』・・・使い古された表現だが、昨日の『バトミントン・ヨネックス・全英オープン2022』での山口 茜(あかね)さん

  の活躍はまさにそれで、私のような小さな者にとって彼女は『小さな巨人』で、世界中の小柄の者をどれほど勇気づけたであろうか。

 

                                                           

  バトミントン選手にとって『全英オープン』…は数ある世界選手権のなかでも最も重みのある世界選手権で、オリンピックに次いでしのぎを削る大会だ。

  私自身、40歳代でバトミントンをはじめ、引越屋時代は中断していたものの退職後再びダブルスを週一で楽しんでいる者であるが

  体の大きい者がやはり有利であるスポーツの一つで有ると認識している。特にシングルは背が高く、手足が長いほうが断然有利なスポーッである中で

  身長156cm…で、大きく動きの早い選手達を次々に倒してゆく山口茜選手を観るのは爽快であった。(Youtubeで見られますよ!)

  彼女のライバルの一人である奥原希望選手も『小さな巨人』で2016、2021年に同大会で優勝している。  

  東京オリンピックでは期待の日本は、ほぼ全滅状態でかろうじてミックスダブルスで銅メダルであったから

  今年の『全英オープン』での、女子シングルス、女子ダブルス、ミックスダブルスでの 優勝は実に素晴らしかった。       

 

         

  昨日3月20日、久しぶりの春日和の日曜で沢山の人が湖畔を散歩。その中で一本の木蓮がこのような見事な花をつけていた。

  スイスに住む私にとって、『木蓮』こそが『桜』の代わりをしてくれる春の象徴。

  


 うかれない春

2022年03月09日 | ヨーロッパの風

  先月の26日は我々の結婚記念日・・・であった。

  式は挙げず、品川区役所で籍を入れただけの簡単な手続きで結婚して32回目の結婚記念日。

  いつもだと、春たけなわの季節、明るい気分でこの日を迎えるのが、70年ぶりの戦争が勃発

  せっかくコロナ騒動もヨーロッパではようやく一段落つきそうであったのに、うかれない春を迎えている。

 

  今年の新春に思いっきり『縁起がイイわい!』と宣ったばかりなのに・・・これが諸行無常というものか。

 

  今度の戦争が何故はじまったのか、理解できない人が大半のようだ。

  国家のリーダーの思い込みで戦争に突っ走ったような・・・。

  まぁ、私などが知る由もない理由があるのかもしれないが、昨日までなんの心配もなく暮らしていた大勢の人々が

  爆撃され、難民となって明日のあてもない人生になるなんて、シンプルにおかしいだろう。

  国家の指導者は、自国民の幸福が第一だろう。

           

            この記念日の日、いつも思うことだけれど、よくもまぁ、32年も一緒に暮らしてきたものよ・・・

               色即是空・・・で互いに『空気』のような存在

  

  


 一句詠みたし…ある冬の午後

2021年12月24日 | ヨーロッパの風

  ウトウトしそうな今日此頃、久々に一句詠わせる気分になった。 以下三句は同日に詠んだ句。

 

 

  『 モノノケに 不意襲われし 冬の午後 無邪気まとった 純白の犬 』 一撮

 

 

  昨日、田舎にある相方の従姉妹の家を訪ねた。

  談笑したり、付近のブドウ畑の道を散歩したりして、普段とは一味違う風景やら雰囲気を存分に味わい、

  おいとましようと玄関をでて従姉妹夫婦に挨拶しているまさにその時、後ろから白くフワリとしたモノが体当たりしてきた。

  俺ぁ、ビックラこいて振り向くと、狛犬の如きでかくて真っ白な犬が纏わりついて来ていたのだった。

  近隣の頬の赤い若奥さんが笑顔で『バイカル!』と名を呼んでいた人懐っこい犬の不意の仕業に、ビックリのプレゼントを頂いた様。

 

 

  『 漆黒の 闇夜の空に 舞い上がる 風船待てと 子の泣き叫ぶ 』 一撮

 

 

  明日はクリスマスイブ、毎年その前夜は21時までお店は開き、普段朝市が開かれる通りにはクリスマス用の売店が立ち並ぶ。

  日本人の友人が古着を利用して作った和風製の財布や布サック、や手作りの着物各種を販売。

  寒い夜に頑張っている彼女を応援しようと魔法瓶に紅茶をいれて差し入れした。

  そのあと、他の店を眺めながら相方と歩いていた時、

  ある売店の真ん前、大の字で上を向いて寝転んでいる2、3歳の女の子が、手を空に向かって振りながら大声で泣き叫びだした。

  あまりの大声に何事かとよく見ると、彼女の上空3、4メートルのところにドーナツ状の飾りのついた銀色の風船がフワフワ舞い上がっていくではないか。

  子供の泣き声が一層大きくなるにつれ、風船も高く闇夜に舞上がっていった。

  この子供の悲痛な泣き声のドタバタ劇に、周りの大人達は笑った。真っ先に大笑いしたのはたぶん、私だったと思う。

  『諸行無常』の一夜の出来事に、大声で泣き叫んで抗議するこの子に、私も喝采の大笑を送ったのだ。

 

 

   『 流し目の 色っぽいのが 君の特技よ 人笑わせて 幕を閉じつつ 』 一撮

 

 

  同日の夜、寝床につく頃、相方の知り合いの旦那さんの訃報を聞く。彼はここ一年ぐらい癌を患っていた。

  彼はコロンビア人で、赤鼻をまとうパントマイム主体のコメディアンだった。

  女医の奥様と一緒に劇団を立ち上げ、病床の子供たちを支援するチャリティ公演をした。私達も2回観劇、大いに笑わせてもらった。

  天性のものなのだろう、彼が舞台に上がってくるだけで私は笑い転げていた。笑いの裏に『慈愛』が秘められていた。

     


  今どきの少年 ・ Y

2021年12月22日 | ヨーロッパの風

  昨日、相方が立ち上げた『お早う御座います−日本語会話会』第三回目をそばの喫茶店で行なった。

 

  相方が言い出しっぺの会で、『日本に行ったことがあり、ある程度日本語ができる人の集まり・・・』という第一条件でアプリを通して

  募集したが、結局同じアパートの住人、カナダ人のアリさんのみの参加で、私と相方とで3人で 1、2回目をおこなった。

  若い頃、カナダから京都の立命館大学へ交換留学生だった…と言う割には、一つ単語を思い出すのに27秒ぐらいかかるか、

  思い出せないときには英語でべらべら説明する始末で、う〜ん、思ったような会にはなりそうもないと、我々は覚悟をしていた。

 

  でその三回目に、アリの旦那さんの子供の頃の同級生だった人の息子、14歳が日本が大好きで日本語が出来るので、

  我々の会話に参加したい…旨の連絡がアリからあった。

  指定の時間に喫茶店へ行くと、黒マスクに茶色のトレーナーとジイパン姿のY君が待っていた。

  14歳…と聞いていたが、イメージしていたより大人の雰囲気+あまりにも流暢な日本語・・・に私はビックラこいて目が点になってしまった。

  それが、日本には一度も行ったことが無い!・・・というのだから、30年もこちらに住んで満足にフランス語が出来ない当方としては立つ瀬がない。

  

  2007年生まれ・・・の14歳。まぁ、、、ここがポイントだろうか? 生まれた時から、『情報通信機器』に囲まれて生まれたガキども・・・ならぬ『我・機』ども

  来年古希(70歳)を迎える私が『我・機』=スマートフォンを手にしたのが、2011年であることを考えると感慨深いものがある。

  我が青春の二十代の時に、『我・機』があれば・・・あれもこれも成就したであろう『恋愛』のことどもを想うと、いまだに残念無念でならない気がする。

 

  この14歳の少年、実はブラジル生まれで、父はスイス人、母はブラジル人のいわゆるハーフ。10歳までブラジルに住んでいたからポルトガル語が出来る。

  その他、英語、フランス語ができ、今住んでいるところがフランス語とスイスドイツ語の二ヶ国語使われている州にすんでいるのでドイツ語も少し分かるという。

  そのうえ、このハイレベルの日本語!!

  この少年が特別なのか? 或いは今どきのガキどもはIT機器のおかげで誰もが天才的であるのか?・・・子供の無い私はわからなくなってきた。

  で、全く日本語レベルの低いアリを相方に任し、どこかスノーデンみたいな顔つきのY君に、漢字こそ日本語文化の最奥を解く方程式であるよ・・・と。

  『考えるな、漢字ろ!』の馬骨論の一端を紹介すると、彼の目が爛々と輝きだした・・・その時、我が相方が横からブーイングの如く

  4人いるんだから、4人皆で会話しないと意味がない・・・と言い出したところで、ちょうど時間となった。

       

   後で思うと、そういえばハリーポッターに似ていたような・・・そして彼等が手にしているのは『魔法の棒切れ』ならぬ『我・機のスマートフォン』

   であったことは、ある意味時代を読んだ、先駈けの現象であったか。 ならば、『ハリーポッター』も研究せねば…2022年も忙しくなりそうだ。

      

  

 

  

  


 初雪や・・・

2021年12月10日 | ヨーロッパの風

  昨日のブログで載せた『新型最高級棺』・・・の写真は、おそらく沢山の人にショックを与えたのでは?・・・とちょっぴり心配していたところ。

  案の定、今朝の別な新聞がスイスで『自殺ほう助業』を営む2社『Exit・Gignitas』のうちのExit社が、

  この新型安楽死Boxを制作した会社Exit-Internationalに対して抗議の記事を出した。

   (社名がほとんど同じなのが紛らわしいが全く別物とのこと)

 

  確かにあの写真を観ただけでは、なんとなくスイスという国では、安楽死を安易に許容している印象を人々に与える・・・気がする。

  現実には、医学的見地から自殺希望者の病状など医者を始め各病理の専門家の意見をもとに審査したうえで可否を決定している。

  そういった総合的見地から考えても、この『サルコ』と名付けられた『新型棺マシン』の使用には賛成しかねる・・・旨の反対意見であった。

 

  SF映画好きの自分としては、この『棺マシン』に似た、宇宙船物語を何度も見ているせいか、抵抗感が薄く、既視感で親近感を覚える自分が恐ろしい。

 

     

     一夜明けると、朝から雪が降っていた・・・そこで一句

       『 初雪や 新居定めた 田舎街 御破算でゆけ 純白の道・・・』 一撮

  我が街モルジュの小さな旧市街のこの道は、歩行者天国…で、かわいいカフェが両脇にある…これは相方にとって大事なポイント

  

  


 『サムライ伝説』を観る

2021年11月12日 | ヨーロッパの風

  昨日10日、友人に誘われてスイスの首都ベルンの歴史博物館で11月4日から来年6月5日まで行われている、『SAMURAI-Legend』という

  日本のサムライが戦闘のとき身につけた鎧兜・・・などを中心に『サムライ文化』を紹介したアメリカはダラスにあるプライベートコレクション

  Anne&Gabriel Barbier-Mueller を持ち込んで行われている展示会を観てきた。

  先日、私自身のブログでヨーロッパ中世祭りを紹介、武士の写真をアップしたり、一週間前に今世界中で上映サれている映画『最後の決闘裁判』

  (リドリー・スコット監督、マット・ディモン、ジョディ・カマー)の中世の決闘シーンを観たりして気分がなんとなく中世へ飛んでいる時に

  スイスの首都ベルンで日本の中世を代表する『サムライ文化』を展示する・・・ということで、タイミング的に意味ありげなので期待して出掛けた。

    

  ベルンという地名はその昔この辺りに生息していた熊を表す。であるからベルンでは州旗をはじめ、至るところに熊の絵や彫刻があるのであるが、

  『サムライ伝説』と銘打った展覧会を引き立てるのに、赤い鳥居を入り口に設置した彼らは、その前の門に控える二頭の熊が我々日本人にはあたかも

  『狛犬』に観える・・・というところまで、考えたであろうか?

  それにしても、『鳥居』は親日家の外国人にとって『日の丸』そのもの、のように観えるであろう。

  日本の神聖で神秘的なモノの象徴として、これ以上ない・・・くらい優れたデザインといえる。

  それが、『門』という字と組み合わせたとき、神秘な門が開かれる『仕組み』が、実は素晴らしいのだが…。

 

  いやー、よくこれほど鎧や兜類を収集したものだ!・・・と友人と感心しながらの鑑賞。さらによかったのが優れた展示方法と『サムライ文化の多様性』についても

  ビデオや、オーディオ機器を随所に配置し、腰掛けて周囲の雰囲気を味わいながら視聴できるようになっている。

        

  例えば『桜』・・・サムライといえども、というかサムライであるからこそ、鮮やかに咲き、鮮やかに散る・・・みたいなところにロマン以上の思いが

  あるといえるが、そういったところにも注目して『桜』テーマにしたコーナーがあって心憎い配慮。

  かと思えば、鎧一式準備してコスプレできるコーナーがあり、小さな男の子に小さな兜を、パパは大きな兜をかぶり、ママが携帯で写真を撮っていた。

  我も負けじと、 爺いが一撮⬇︎⬇︎

       

     暗い場所なので、兜の角状の金属の反射光で一撮! 兜はやたら重くて、鉄鍋をそのままかぶっている感じ!

  このエクスポのカタログにサムライの時代が7世紀続いた・・・というのを読んで、ちょっと眼から鱗が…の心境。

  『サムライ』・・・と聞くと、派手やかな面をイメージし、『侍』だと地に足のついた『たそがれ清兵衛』的な堅実はイメージが起こるのが面白い。

  しかし、漢字でサムライを『侍』と書き、読ませるところが一層面白く思える。

  『侍者じしゃ』は目上の人に仕える人という意味で、『侍』にはそういった面と、生き死にを絶えず意識して『生死の問題』に

  『土ど』+『寸すん』と腑に落ちる覚悟を持ち合わせる人・・・で、『人偏+寺=侍』・・・という面もあることは間違いないと思う。

  私の家は家系図どころか、そもそも両親と子がバラバラに分解した家庭であったので、祖先は『侍』であったか、『百姓』であったか『商人』であったか?

        

  


 絆のビリヤード

2021年11月09日 | ヨーロッパの風

  一昨日、相方の両親宅へ訪ねたとき、いつものように義父とビリヤードをしたが、今回は1 勝 5 敗 で私は大敗した。

 

  4,5年前の私の定年退職と義理の両親の老齢化にともない、私は2週間に一回のペースで両親宅を訪ねるようになった。

  義父は昔、ヨーロッパでは結構名の通ったオペラ歌手、義母はフランス語教師で二人共ある意味典型的『西洋人』であるが、

  こんなに頻繁に彼らに接するまで、私の周りに西洋を特に感じさせる要素が特になかったので、意外に身近なところに『西洋人』がいて

  それを観察する『歩く東洋人』馬骨がいることの『縁』を感じぜずにいられない今日このごろである。

 

  何せ初めの頃は、私はフランス語も全く話せず、彼らの社交の入り口である『クラッシック音楽』とは無縁x1000の10乗…の距離にあり、

  彼らにとって、私は典型的日本人?無口でニヤニヤして何を考えているかちっとも解らない系・・・の人間であったから、家族が集合した時など

  最初の2,3の質問のあとは、あまり話しかけてこなく、それはそれで有り難かった。

  皆ワインで乾杯してから何杯か飲む習慣があるので、酒に弱い私は誰よりも早く酔って眠くなるので、

  サロンのソファで堂々と横になる非常識権を獲得し、後半のデザートの時間まで放置していただいた。

 

  義父とはこんな感じであったので、年に5,6回、顔を合わせるとき、義父は彼の書斎の横にある小さなビリヤード台に私を招き、

  私の知っているビリヤードとはだいぶ趣の違う、よりゲーム性のつよいミニビリヤードのやり方を教え、会うたびにこのゲームをするようになった。

  およそ30年の歳月が流れ、ついに私もビリヤードに開眼したのか最近急に強くなったのと反比例して、義父の腕は衰え、不調のときは敵方の私の玉を

  誤って突いてしまう時があるほど軽いボケが彼を襲う。

  昨年義母が長期入院していたときは不調の絶頂のときで、玉を突かず、キノコ状に立っているピンを玉と勘違いして突くこともあった。

  最近はそんなボケもなくなったが、それでも私が若干手加減をすることが多くなっていた。

  しかし、一昨日は義父自身が何度も頭をひねるほど、昔の完全無敵の義父になって絶好調であったのだ。

  音楽以外はこれといった趣味があるわけではない義父にとって、2週間おきの私とのこのビリヤード対決は案外、彼の人生に少なからぬ刺激を

  与えているのかも知れない…。 

  言葉を介す必要のないビリヤードが、娘婿である私、東洋人と西洋人の彼との一種の『絆』となっている。

       

  義父は禅の老師といっしょで、これまで30年間『無指導』で教えることがなかった。

  最近ようやく、私は全体を感じることができるようになり、勝つことが増えてきた。・・・でも、それが彼の『教え』であったのだろうか?

          

  

  


 野生へのロマン

2021年10月23日 | ヨーロッパの風

  秋になると、ヨーロッパの各地で『中世祭り』が盛んに行われるのだが、これもコロナ禍の影響で影をひそめている。

  どんな祭りかというと、ヨーロッパの時代を中世にさかのぼって、お城のある地方では城内外の一角を17〜19世紀そのままの

  雰囲気を醸し出すべく、村の志願者が一体となり、当時の騎士や様々な職種の商人、農民、王族貴族などに変装して週末を楽しむもの。

 

  我が街モルジュにも小さいながら城があり、そこで先日小規模の中世祭りがあった。

  人間を撮ることが何よりも好きな『撮家』として、私は20年ぐらい前からスイス各地の『中世祭り』へ出向いては撮影しているので

  勇んで出掛けたのだが、スペース的にあまりに小規模であることと、観客の対象がやや子供向け…のようで、正直気が抜けてしまった。

 

  コロナ禍が収まれば、昔のような本格的な『中世祭り』がヨーロッパ各地で復活するに違いないが、

  それにしても何故、人々は『中世祭り』が好きなんであろうか?…とふと考えたりしてみた。

      

  この写真は私がまだデジカメ以前のカメラを使用していた時のもので、スイスイタリア語圏の村で撮った若き青年武士の肖像

  野生のロマンの香りをフンダンに発揮していた。

  コロナ禍の前は本当に『中世祭り』が盛んで、なかにはプロ集団がいて彼らはヨーロッパ各地の城を巡回していたりする。

  2年おき、あるいは4年おき・・・というふうに資金を貯めては村おこし的規模の『中世祭り』が行われていた。

  そういった村の『中世祭り』の人々はそれぞれ役に成り切っていて、見に来た観客も中世の街なかに飛び込んだ気がして楽しい。

 

  観る方も、扮装している人々も皆生き生きとした表情をしているが、何故なのだろう?

  現代からみると、何も無いに等しい時代に何故人は憧れるのか? 野生の時代に何故人は憧れるのか?

  『野生へのロマン』に人は魅せられる・・・

  そこには『便利さ』の甲冑で己を保護するあまり裸の自分が見えなくなっている現代人?・・・そういった自分に人は気付いているのだ。

  人は真っ裸になった時、自分が求めていたものが観えてくる。

    

     この人の場合、『格好だけ…』ではあるが、それでも野生への思いはやはりあるようだ…

  

  

 


 人生は己を探す旅

2021年10月10日 | ヨーロッパの風

  昨日、4年前退職以来私が所属している『Care team Japan』という日本人相互助け合い…的組織の、ジュネーブ支部による声掛けで第2回散歩会に参加した。

  ベルソワ市に長年住んでいる会員の方(日本人女性)による案内で1時間半ほどの散歩会であった。

  ジュネーブの隣街のベルソワには、引越し屋として働いていた時、何度となく行き来した街なので、だいたいの雰囲気は知っているが

  今回のように裏道というか、原生林の如きベルソワ川沿いの散歩道の存在にあらためて驚かされる、楽しい散歩となった。

 

  そもそもこの会のメンバーは99%女性・・・という国際結婚事情をそのまま表した具合でとにかく日本人男性は希少であることは

  間違いないが、価値はどうであろうか? 入会する際、女性ばかりのグループに若干抵抗はあったが、会の支部長と知り合いということもあり、

  退職すれば、日本人との交流も薄れるであろうし、なにかにつけ助け合うことは大切であろうと、会員になった。

    

  ベルソワ駅の裏にこういった森林や川があることに新鮮な驚き…そしてそれを分かち合う仲間とワイワイ言いながら歩き、

  途中でシートを引いてのおやつタイムは、子供の頃の遠足を思い出して本当に楽しかった。

 

  写真のいくつかをニコルがアイパッドのアプリでコラージュしたのが上の写真であるが、『人生は己を探す旅である』のコピーは

  アプリからそのままの引用。これまでの自分であれば、『あっそ〜ぅ』で川に流してしまう臭いセリフ・・・と思っただけであったろうが

  今はこのセリフが切実なものとして私に響いてくる。『人生は必死に己を探す旅』・・・であると。

  

  


  アップル村のパンプキン

2021年10月08日 | ヨーロッパの風

  秋の気配が強くなり、朝は8〜9℃、日中が15〜16℃ぐらいの気温で、今日は晴れていたが、風が冷たいので少し驚いた。

  今日は朝から我が街(Morges)モルジュの北の山側方面、電車やバスで30分ぐらいの村へ初めて行ってみることにした。

  電車で行くつもりでホームに行くと、故障のためバスで行ってください…とのことで、途中までバス、その後電車に乗り換えて村についた。

  その村の名前が『Apples』でアップル・・・という例のアップルと同じ発音。ただスペルの最後に『S』が付くだけ。

  こういった時、私はたぶん誰よりも言葉や文字にこだわる質であるので、フランス語圏のこの村の名前がなんで『Apples』なのか早速く気になった。

 

  今回なぜこの村に来る気になったかと言うと、新居モルジュに住んで2ヶ月、お店の店員さんとか、市場で出会った人、散歩していて

  出会った面白い人達が『私はアップルに住んでいます』…というのを何度も聞くので、二人共いつか行ってみたいと思っていたのだ。

 

  人口 1,200人 の村へ着くと、確かに田舎で北風が強い中、人影もほとんどない淋しげな気配。

  ナビゲーター役のまれにみる方向音痴のニコルは早速スマートフォンを取り出すも、どちらが村の中心の方向であるかも判断できず

  まったく当てにならない彼女の『感』に従って、車が行き交う幹線道路がゆるやかに下る方向に歩みを進めた。

 

  こういった時には成り行きに任せることにしている私は、彼女の後を追う形で冷たい風を受けながら早めに帰りたい…気持ちが湧いていた。

  とにかく風が冷たいし、まずカフェへ・・・というのは常に二人の意見は以心伝心するまでもなく一致していたので、たまたま車を下車した女性に

  カフェの場所を尋ねると、数十メートル先に村のカフェがあります、とのことで村のホテル兼カフェに入って一服した。

  30分ほど新聞を読んだり、トイレをすまして村の散策を開始。(結局このカフェはニコルが事前にチェックしていた、目標のカフェであった…偶然というか)

  一時間後に帰りのバスが来るまで村をブラブラして、この村から別な村へのルートなども今後の散歩道を開拓する為の研究に資しようという考えもあった。

  10分ほどブラブラしていると、『かぼちゃ販売』という絵看板が見え、そちらのほうへ歩みを進めると、陽に明るく照らされた『かぼちゃ群』が眼に入った。

     

  なんとまぁ、沢山の種類の『かぼちゃ』がこんな感じで棚に陳列されていて、日本人の名前『ショウキチ・シロ』という種のかぼちゃもあった。

  相方はすっかり興奮して歩み寄り、あれこれ手にとって品定めしたり、携帯で写真を撮ったりしていると、棚の向かいにある家から出てきた年配のマダムは

  販売をしているオーナーで、我が相方に親切にも、料理の仕方とかいろいろ説明をしてくれた。

  基本的に無人店なので、自分で重さを測って価格表で値段を確認して携帯で入金・・・というシステムになっていた。

  奥の方では、畑から採れたての大きなオレンジ色のかぼちゃを水洗いしている若い女性がいて、声をかけると気さくに話を始め

  彼女が洗っているのはまさに、『ハロウィン用』とのこと。それにこれだけの種類のかぼちゃをここ一軒で育てるのだそうだ。

    

     長身で美人の農家の方に出会えただけでも『アップル』村に来た甲斐があった図

  

  


  植物園

2021年10月04日 | ヨーロッパの風

  たぶん27、8年ぶり。 ジュネーブの植物園に行って想定外に癒やされてしまった。

  

  ジュネーブの植物園といえば、引越し屋時代、毎朝通勤電車の窓からそれとなく見ていた場所だ。

  昔、観光ガイドを始めたばかりの頃、ニコルと散策した記憶がある。

  植物園だなんて、素敵な場所なんだろうなぁ…と思ったかどうか? 引越の仕事のために現場へ向かうトラックから横目で植物園をチラ見していたけど、

  いま考えると『植物園的癒やし』・・・みたいなモノに対して、心のどこかで封印していた自分がいたんだなぁ・・・と思う。

  仕事をしていた頃は、なんかかんか責任をはたさなければならない気持ちが絶えずあったせいなんだろうか

  芯からホットすることを自分に許していなかったのだろう・・・

  というか、仕事からすっかり開放された経験なんかなかったから、そうなって植物園に来てみた時、その『癒やし力』に圧倒されてしまった。

  

    早い話が、じじいばばぁ…になってしまったということかな。

  

  

  


  ヨーロッパに観る 『 丹電力 』

2021年09月29日 | ヨーロッパの風

  先日、我らの第4散歩コース…電車で26分+徒歩30分の中世のゴシック教会で有名?な『ゴマモチエ』という地名の

  小さな村にて彫刻展示をやっている。

  義母の知っているアーティストとのことで是非見に行って、『私からよろしくと言っていたと言って頂戴ね』・・・と頼まれていた展示会だ。

  案内の写真を見ると、私好みの作品のようで是非観たいと思っていたExpoだった。

  

  『ドラゴンとダンス』・・・というタイトルの像  粘土で塑像して窯で焼いた作品。高さ50cmぐらいで、私のお気に入り作品、金があったら買いたかった。

  

  『丹電力』が表す私がイメージするシンボルマークは『🌀』渦巻である・・・(昔から)であるから、この作品はまさに二人の丹電が合致した姿であった。

  やはり、誰でも結局、おなじイメージに行き着くのだ・・・と妙な感動をした。

  

  『L'homme antenne』というタイトルで『受発信する人』・・・という意味になるだろうか。

  彼の創る作品の男女どれであっても、素晴らしく『丹田』が堂々と生き生きと表現されていて、西洋人も『丹電力』を掘り下げているのだ…と感動。

  

   Galerie de La Grange    Rte de Vaulion 52   Romainmôtier

          ( Jusqu'au 03 Octobre)    Sentiers de terre    Jean-Marie Borgeaud

 

  義母の知人…とのことで、もっと年配の人かと思っていたが、私より2年若い67歳、Jean-Marie Borgeaud(ボルジョウド)氏。

  本当に気さくな人で、つい人見知りする私もすぐ打ち解けた。この作品、顔はアジア人、横から見ると見事な丹田腹になっていた。

     昔、日本人から野口体操を習ったそうだ。ヨーロッパからインドの間の国々をたくさん旅をしてそういった国々の彫刻の影響を受けているという。

  スイスで有名な旅行作家ニコラ・ブービエの本を読んだらしく、松尾芭蕉の『芭蕉』はバナナの木から由来している・・・と私に言うので

  その談義に一花咲いてしまった。バナナは戦後の人々の間でも羨望の果物であったはずで、江戸時代にバナナなど在ったはずが無い…と主張したのだが

  彼、ジョンマリーはいや、ニコラ・ブービエがそう書いているのだから・・・となかなか譲らない。  愉快な一日であった。


 南小島への船出

2021年09月27日 | ヨーロッパの風

  一昨日の9月24(金曜)は、スイスの『隣近所祭り』の日で、我が新築のアパート(162世帯)でもスイス人男性とカナダ人女性の

  夫婦のリーダーシップにより中庭で持ち寄りパーティーをした。

  40人〜50人ほど集まっただろうか、何せ皆が皆ほぼ同時に入居した新参者であるので、友人とまでも行かなくとも親しい知り合いぐらいの

  関係を作ろうかとする人々がそれぞれ飲み物とスナック菓子を持ち寄って集まってきた。

  相方はいざ参加しましょう・・・という時、急に引っ込み思案になったが、逆に普段引っ込み思案な私はせっかく機会を作ってくれたカップルの

  思いに答えようと、相方の手を引くように中庭に降りた。

  最初は4,5人しかいなかったのでオーガナイズしたカナダ人の女性に話しかけたが、彼ら夫婦のここに至るまでのストーリーが凄いので我々はすぐ

  彼らの話に引き込まれ、照れ屋の質は引っ込んでしまった。カナダ人の奥さんと、スイス人の旦那の出会いは京都であった。その後、旦那の仕事の都合で

  アメリカ、シンガポール、オーストラリアと移動し、このアパートもオーストラリアからインターネットで申し込み、一ヶ月前にスイスに来たとのこと!

  次にブラジル出身の独身女性は2階に住んでいるが、天井が話題になり、なんと高さが3m30cmもあるという。そもそも1階2階は店やオフイスとなり

  ほんの一部だけを賃貸アパートになっているが、そのせいで天井がやたらに高いへやになっているらしい。

  次に話をした中年女性はメキシコ人であった。スイスに来るまでにベトナムに2年、スイス・イタリア語圏、ドイツ語圏を経てここフランス語圏のモルジュ

  の新居にやってきたという。詳しいことを聞く場面ではないのでわからないが、どんな経過をへてここスイスまで来たのか好奇心が湧いてしまった。

  大学生の息子は小さい頃から日本が大好きで、夢は日本に旅行することだそうだ。

  次はオリジナル出身は見るからに若いインド人男性であったが、アフリカはモザンビーク生まれで、現在はチューリッヒで働き、ジュネーブにいる奥様と一緒に

  住むところとしてここモルジュの新居に移転したという。フランス語がペラペラ、おそらく英語もドイツ語も達者なのだろう・・・

  次は相方が紹介してくれたのは、我々の真向かいに住んでいる80歳ぐらいのスペイン人女性で、近くに住む彼女の娘さんとその息子が一緒にいた。

  とても小柄なおばあちゃんで、肩を痛めて手術をしたばかりだそうで、アパートの入り口のドアが重すぎて一人で開けることが出来ないそうだ。

  カタコトのフランス語で少しの間お話した。その他、学生カップルがいて、男性の方は今年卒業して目下就活している。女性はいかにもオリジナル出身が

  ウクライナ方面…という感じの眼の美しい女性だが、大学に入ってからずーっとリモートワークであるのが、辛い・・・と嘆いていた。

  お菓子をめがけて、我々の足元にやってきた妖精のようなカフェ色の肌をしたマリアちゃん7歳は、あまりに可愛い!!ちょっとお話していると若く

  美しい黒人のお母さんがやってきた。彼女自身はスイス生まれ、旦那さんはアフリカのギニア出身だそうだ。

           

  他にもスイス人カップルとも話をしたが、とにかくじつにインターナショナルなアパートのようだ。

  皆さん一様に言った事は『この新しいアパートが大変気に入っている』…ということであった。

  建物の名前ではないが、ilot-sud(イロスッド)といって、モルジュの都市計画でイロは区画・(小島)の意味があり

  『モルジュ駅南側都市計画』…の元に出来た建物なので通称『イロスッド』と呼ばれる。

  フランス語でイロ(ilot)は小島の意味もあり、そして建物は7角形で中庭を取り囲む大小2つの塔(16階と11階)が船の塔のようにそびえ立つので

  私は我が家のガラス張りのテラスに手をかけて中庭や遠くのモンブランを眺めるとき、

  『船』に乗っている錯覚をいつも覚えるのだが、『南小島』を目指しているのだろう。

  

  

  

  


 二人の少女

2021年09月22日 | ヨーロッパの風

  昨日、電車で20分、相方の従姉妹の家にお邪魔して、昼食を従姉妹の旦那と4人で頂く。

  従姉妹夫婦には3人の息子がいるが、それぞれ長男がカナダ、次男が日本、三男がカナダ・・・と遠くに住んでいて

  昔のにぎやかな5人家族の時代を知っている我々には、彼ら夫婦二人だけの家はやはり寂しげだ。

 

  旦那の方は新聞をよく読んでいるのか、地元の政治やその他のことにも詳しく、ほぼどんな話題にも対応し

  自分の意見を持っているようで、妻以外の客人が来ると、話応えがあるのかよく喋る。

  彼はワインが好きなので、よく食卓に出る。私はほとんど飲めないのに、カッコつけて一杯だけつき合うと

  彼の話の盛り上がりに比例して、私は眠くなり…いつも一人居間のソファに横にならしてもらう・・・というルーティン。

 

  食後の短い昼寝のあと、『デザートよ〜 !』の声に起きて、コーヒーとビスケットを頂く。

  デザートのあと、旦那は物置でなにやら整理仕事。

  従姉妹は地元の古本市で掘り出し物の絵本を買ったとのことで、同じ作家のネズミが主人公の絵本3冊を我々夫婦に見せてくれた。

  その絵本には、一匹のネズミしか描かれていなくて、文字は一切なく、ということはそれを子供に見せる時は自作の物語を語るしかない

  ように出来ているらしい。

  3人の息子を育て、一時期子供に絵を教えていた経験のある従姉妹は、そういったアドリブの物語を語るのは得意で

  3冊のうちの一冊を開いて、声色を変えながら即興で物語を語り始めた・・・その様子が面白くて私も相方も大笑いして聞いていた。

 

  そして今度は我が相方が別な一冊を広げて、物語を始めた。

  子供を育てた経験など無いものの、子供のように夢物語に入るのは、現役の子供そのもの的、相方にとってなんの問題も無く

  1ページごとのネズミの絵の仕草に合わせて、適当な物語を物語っていく相方とそれを大笑いしながら見守る従姉妹

  すっかり66歳の少女の二人になってしまっている様子は、観ていて楽しかった。

          

            妄想なら私も得意だが、即興でネズミになりきって・・・というのは、出来そうもない。