拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Chat with 『 Her 』 の 近未来

2023年04月08日 | PC・IT・Aiライフ

             

                    我が街モルジュの『チューリップ祭』が始まったの図

 

  先日、相方ニコルの従姉妹の三男坊がカナダから嫁さんを連れてスイスに里帰りした際に、我が家にも立ち寄ってくれた。

  いろいろ話ているうちに、この二人がどのように出会ったのか?聞くと、プロテスタント系のマッチングアプリ・・・で出会ったと言う。

  そういえば、同次男坊も日本で結婚したが、マッチングアプリで出会い、結婚したのだった。

  最近は身近な所でそういった話を耳にし、我々の時代とはあらためて隔世の感をいだき、羨ましいような、そうでないような・・・。

 

  そんな複雑な思いでいる時に、たまたま観たYoutubeは、例の『Chat GPT』を利用している主婦の方が、人生の悩みなどを相談してみたところ

  じつに親身になって答えてくれ、人には言えないような愚痴をいろいろ書き込んでも、そのつど非常に参考になる意見を返してくれた…との事で

  感激しいている、というものであった。 へえ~・・・そういった利用の仕方もあるのか〜と私は感心したが、その時、9年前に観て感動した

  映画『Her/世界でひとつの彼女』を思い出し、この映画でスカーレット・ヨハンソンが声だけで演じた『AI・OSのサマンサ』こそが

  私達がいま現実に体験している『Chat GPT』のまさに『会話=Chat』できる完成版だよなぁ〜と、もう一度その映画を観てみた。

 

  この映画『Her』はスパイク・ジョーンズ監督作品で、2013年公開。私はスイスで2014年に観て非常に感動した・・・ 

   それについて書いたのが  ⇢   2014年12月14日のブログ〜拈華微笑(非言語の会話)

 

                        映画『her/世界でひとつの彼女』

 

  映画製作が2013年であるから、あれからちょうど10年後の今年2023年に『Chat GPT』が話題になっているというのも何かの因縁を感じる。

  現在の『Chat GPT』がチャットと言いながら、キーボードで打ち込むレベルであるが、あと数年で映画のような『AI・サマンサ嬢』が

  優しく親身になって対応してくれる時代を迎えるのは間違いないだろう。

  4年待って、私が75歳のときには映画のように『AI・サマンサ嬢』との恋愛も夢ではないかも・・・との妄想がわく。

  私の相方は生きている『仔犬』に夢中であるだろうし…。

  そしてさらに、80歳まで生きていれば、『ロボットのサマンサ嬢』がヨロヨロ歩きの私の腕をとってサポートしながら、私の冗談に笑ってくれるのだ・・・。

  忘れていたが、なんと今日は『お釈迦様のお誕生日』であった。 であるのに私の妄想は・・・  南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏!


連邦工科大学オープンday

2019年09月26日 | PC・IT・Aiライフ

  大学に行ってないボクにとって、大学というとなんとなく憧れを抱くが、

  特にローザンヌにある連邦工科大学(略してEPFL)は場所も風光明媚なレマン湖畔にあり、

  広いキャンパスには日本人建築家による図書館兼学生がくつろげるスペースとなっているローレックス・ラーニングセンターとか面白い建物があり、

  隣にはローザンヌ大学があって、それこそ世界中から生徒が集まる大学都市の一面を担っている。

 

  メトロを利用すればボクの家から20分もあれば行けるので、週一回で参加している日仏語交流会もこの大学の中心にあるカフェ兼簡易レストランで行われ、

  参加者の中にも学生がいるし、大学の雰囲気を味合うことが出来てボクは大変気に入っている。

  その連邦工科大学が2週間前の土日曜日にオープンスクールを開催したので見てきた。

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                2年ほど前に出来たかなり大きな講演ホール!ボクは初めて入ったが、あまりの立派さに絶句。

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               子供が科学に興味を持つように…工夫された設備に、大学生が熱心に説明している図

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いつも、この前を通るが、ここに建築科があるとはしらなかった。

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                            子供が喜びそうなロボット。

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          四足歩行のロボット、よくYoutubeでみかける式のロボットを実際に観る。

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                  ドローンもまだまだ開発の余地があるようで、あちこちのブースで様々なものを観た。

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                  人間の動作を線で視覚化するテクノロジー

  これらを観て少し驚いたのは、英語がメインランゲージであったこと。

  說明してくれる学生たちは、なんの躊躇もなく英語で話しかけてくる…この大学では英語がメインであることを実感させてくれた。

  先生も、生徒も世界中から集っている。

  ボクも英語をやろうかな?? やっぱ。


2009年をふりかえって−2

2009年12月31日 | PC・IT・Aiライフ

 今年をふりかえってみると、生活スタイルを変えた画期的出来事は、やはりコンピュータ時代に遅蒔きながら我々夫婦も完全に巻き込まれてしまった事!!! だと言える。

 ボクの写真の現像も今や、Macでフォト・ショップだし、日本のニュース、TV、ドラマ、もネット。そしてこの11月から始めたブログもコンピュータ。仕事から帰って食事をしたあとはだいたいコンピュータに向かっているという生活スタイルになってきている。幸い,仕事をしているときはコンピュータに向かってってないのが救われる。

 今,10,20歳代の生まれながらにコンピュータ世代の人達と我々その画期的出来事を戸惑いながら,その変化に驚きながら、楽しみながら、見守りつつ受け入れてきた世代の人達、その流れに乗るにはちょっと遅すぎた世代の人達。などなどを考えると、新しい何かを我々は得たものの、その代償として何かが失われているのも事実だろう。

 だけどこのコンピュータ時代は人間の招来した道であるとボクは思う。今現在起こっている事は数十年前まではSF映画や小説の話であったけれどもどんどんイロイロなことを実現させていてその傾向は加速され,誰も予測すら出来ない猛スピードで突き進んでいる。これが為にベルリンの壁も崩れたろうし、その他の目に見えない様々な壁も崩壊しつつある。

 コンピュータ,ケータイと言ってもそれは結局,他人とのコミュニケーションの発達であり,ブログやメールによってこれまでは考えられない形で自分の考えを簡単に他人と分かち合える素晴らしい面も多々ある。

 ただ問題は常に他人とのコミュニケーションに終始して、真の自己と対面する機会がだんだん失われている事を我々はもっと意識するべきだと思う。他人とのコミュニケーションが広がる分,静かに何の介入もなしに自己を見つめるという行為をもっと,もっとこれまで以上にそういう時間,文化を意識して大切にしていくことが、このコンピュータ時代において偏った人格にならぬ為の必要不可欠の要素であると思う。

 それ故に," 脚下照顧 ”であり ” 喫茶去 ”であり ” マトリクス ”である。


スカイプとブラックホール

2009年11月29日 | PC・IT・Aiライフ

 2009年、スカイプというコンピューターの最先端技術を使って長らく閉ざされていた縁のうすい姉弟の会話は必然的に互いの心のブラックホールへといざなう。

 父も母もなくなった今、血縁とよべるのはこの二人。しかし幼い時期は別々に暮らし、ボクは小学校一年、姉は中学一年の時初めて一緒に暮らすようになったもののボクは学校が終わりカバンを家に置いたら直ぐ育ての母の所へ行き泊まって、翌朝実母の家へ行きカバンを持って登校するという時期が小学校高学年まで続いたようだ。

 今日久しぶりに姉からスカイプがあり何時もの如く、互いの記憶違いをかすかな記憶をたどって検証する。姉の記憶には小学生の弟と共に暮らした思い出は全くないと主張したが、小学2、3年の頃ボクの誕生日に仲のいい友達2人を家に招いて実母がヨモギ餅を作ってくれた話や実母と一緒に寝てよくキツネや狸に化かされる話を覚えているのだから、ボクが全く実母の家に存在していないというのはやはり姉の記憶違いである。

 今日二人で改めて感心したのは、二人とも実の両親のこと、それにボクは里親のことも、彼らについてほとんど何も知らない・・・ということ。何だか不思議な気もするが世の中には、もっと数奇な境涯に生まれ育った人がいる事を考えると、まあよくある話的な感じで、深く考えない事にしている、というか実際あまりそのへんのことをふだん考えた事がない。姉からコンタクトをもらわなければ、自分には姉がいた事すら忘れてしまっている。

 それと対照的なのが、わが妻ニコル。彼女の両親も、一人の姉も皆おなじローザンヌの町に住んでいる。先日、両親宅に例のチーズフォンデユをごちそうになりに行った時、今年の春頃から彼女のお父さんが準備を進めていた昔の8ミリフイルムをDVD化する作業が済んで、これを今年のクリスマスのメイン・イベントとして今から心待ちにしているのを、ちょっとだけよ!と1時間半あるDVDの20分程を見せてくれた。

 ニコルの両親の婚約パーティから始まって、地元スイスの山村への新婚旅行、そしてニコルの姉の誕生、そしてニコルの誕生。今もあまり変わらないふっくらとした頬を持つ無邪気そのものの赤ん坊のニコルを見た時、なんと幸運人々なのだろう、昔よく見たアメリカのホームドラマそのままの『家庭』、いやもっと地にしっかり足の付いたスイスの一家庭を見た思いがし、ボクはそれを心から祝福した。


侘び、寂びの歳

2009年11月24日 | PC・IT・Aiライフ

  昨日は初めてブログを書くというので世界の皆にこんにちは!みたいな気持ちが高ぶってしまってよく眠れなかった。


  というのは大袈裟だが、これまでの井の中の蛙状態から、ここでモニターに向かって自分が勝手に書き連ねる事柄が、

  見知らぬ誰かのおメメに止まるのかと思うと、いままでの苦節18年というのは何だったのか・・・!と、

  どうしても思わざるをえない、このヘンテコな気持わかってもらえるだろうか。


  喩えてみれば、いきなり監獄から引きずり出されて、娑婆の変化に驚く前に、俺は今まで監獄に入っていたのか!!・みたいなショック。

 とにかくこの娑婆にもいずれ慣れきってしまう状態が来るのだろうが、この衝撃はジックリと味わう価値がありそうだ。

 生きていてよかったみたいな感想をしっかり記録しておこう。


 さっき瑞西のTVニュースを見ていたら、刑務所に携帯電話を持ち込む、或るいは誰かが外から投げ入れるなどして

 受刑者が娑婆との絆を取ろうとしている、という話をしていたが、何だか身につまされる、と同時にこの往生際の悪い囚人に反省を求めた。



 さて、今日のサブタイトルだが、侘び寂びの歳・・・と言う事で、ボク写楽斎の年齢は明かさない事にした。

 しかし侘び寂びの歳っていったい何才ぐらいなんだろう? 

 ボクは結構、年齢フチ?で写真学校へ行った頃から、自分の作品はもちろん、あらゆる記録に自分の年齢を記す癖がついてしまっていた。

 犬が徘徊をする時、しっかりとその足跡を印すようなどこからとも言えない深い所から来る欲求のような気がする。



 そんなわけで割と自他の年齢にこだわる写楽斎なのだが、この娑婆世界では、人様から一切の先入観を持ってもらいたくない、と思う。

 この侘び寂びの歳・・・と言うのは、つまり歳という結界を超えた歳と言う事にしておいてもらいたい。


こんにちは、日本!

2009年11月23日 | PC・IT・Aiライフ

  ヨーロッパのほぼ真ん中は瑞西に住んで早18年になる。

  その間いろいろあったようにも思えるし、アッ!と・・・いう間でもあった。

  しかしなんと言っても、僕にとって最大の出来事はインターネットを含むコンピュターの驚異的発達が自分のような山猿にも普及してしまったという事実である。 

  現地語もろくにできず、日本の情報からも遠ざかっていた数年前までは僕の脳は縮小する一方で、二十数年前に初めてレマン湖畔を散歩した時、

  こんな極楽みたいな所にいたらボケるだろうなあー・・と言う感想はほぼ実現しつつあったのだが、わが仏はそれを許さなかったようだ。



  だいぶん前に読んだトフラーの『第三の波』は今や大津波となってあたかも今上映中の映画 ”2012” の如く地球上をくまなく覆い尽くし、

  多くの人が職を失うカタストロフに見舞われている事実、この映画の最後に唯一人類に残された土地がWebも届かないアフリカ大陸の高台の一部であった事は,

  映画”猿の惑星”の印象深いラストシーンを思わせたが、このインカの予言とやらはその意味では正に予言的中と言えるかも。



 そんな時だからこそ“拈華微笑”なのだと写楽斎は言いたいのだ。PCを使いこなしつつ人間性に迫る、そんな時代を我々は迎えつつある・・・

 そんな予感を抱いてこの日記を書き始めようと思う。

 TVでは、この国のヒーロー、フェデガーがロンドンの試合でスペインのヴェダスコに苦戦しているようだ。