拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

東洋思想勉強会・感想

2020年10月06日 | 一撮レポート

9月16日のブログで案内した勉強会『東洋思想』が9月26日に行われた。

相方も参加して合計7人を前に馬骨の名前で約2時間半、途中休憩を交えてここ数年にまとめたはずの考えを披露した。

人前で話すのは、ガイドをしていた時以来…つまり18年ぶりだろうか?ホコリ高いというよりホコリ多い環境(引越し屋+倉庫勤務の宿命)で15年間みっしり務めたためか、喉が狭まったようで、最近声がでなく、2時間も続けて話すのは可能であるか心配でマイクとスピーカーをこの勉強会のために購入することを真剣に考えたが、相方に5,6人を相手に話するのにスピーカーは不必要と一笑され、ぶっつけ本番で話すことになった。

なにせ、こういう形で東洋思想というか仏教について話するのは初めてで、アウトラインは考えていたが、一つのことを話しているうちに頭にそれについて突っ込んだアイディアが浮かんでそれを話しているうちに、どんどんアウトラインから離れていくのが自分でもわかりながらも流される一方の自分が怖かった。

いずれにせよ、サブタイトルが『考えるな、漢字ろ!』で初めて『馬骨』の荒唐無稽な話を聞く人々にとって、ボクのアウトラインが在るかどうかなど、わからなかったであろう。

途中15分の休憩を入れて結局2時間半話したが、自分では時間の感覚がまったく無く、自分の思う20分が実際には一時間ぐらいの感じであった。であるから、次回は時計を見ながらペースを考えながら話さなければ…と思っている。話している本人は夢中でも、聞いている聴衆にとって甚だ退屈であった場合2時間半というのはあまりにも長すぎであろう。

それに聞いている人々が全員マスクをしているため、普通の状態よりは彼らの反応がもう一つよくわかりにくいという特殊事情もあったであろう。

この日来たほとんどが、20歳代で日本を発ち、30年以上ヨーロッパに住んでいる女性たちであるから仏教についての知識というのはあまり無く、そういった意味ではボクの話は新鮮であったようだ。

結局、声がでなくなる心配は徒労に終わった。こんなに長く日本語を話したのは何十年ぶりだろう。

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我が家のスイス風和食、ご飯、味噌汁、納豆、のり・・・我々の東洋思想の真髄 What else?


Images Vevey 2020 の写真フェス

2020年09月20日 | 一撮レポート

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Images Vevey2020、 ローザンヌの隣街Veveyでおこなわれている。

今年はコロナのために2年おきに行われる写真フェスないんじゃないか〜っと思っていた・・・というか正直言うとすっかり忘れていたし、いつもだったらローザンヌの街角のアチラコチラにポスターが散見するはずなのに、今年は何故かほとんど見かけなかったので、先日たまたまVeveyの街に行ったのでこの写真フェスが行われていることを知った。

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駅前の小さな公園スペースに2枚づつ配置された写真…写真自体はどうということが無い・・・と思って何組かの写真を見ているうちにすっかり魅了されてしまった作品。一人の人の出勤風景スナップであるが、全て同一人物のほぼ同時間であるが日にちが違う2枚組写真。何組かの写真を見ていると写真家の意図がだんだんわかってくる面白さがある。服装はちがっているが、その人物の習慣(タバコやコーヒー)や心の持ち方までもまったく同じではないか・・・?と思えるほど、その人物の心境、或いは性格が時間の違う2枚組写真を見ることで透かして見ることが出来る気がするのが大変おもしろかった。

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小さな街Veveyで3週間行われる・・・無料で開放される『写真フェス』はバスまでも宣伝。

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今回の写真展で度肝を拔かれた作品。

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ポーランドの年配男性の作品。赤ちゃんの写真のベルトコンベアーがご覧のような状況でぐるぐる回るシステム・・・、作品としては写真というより、配置芸術(インスタレーション)であろう。コンセプトしては毎日たくさんの赤ん坊が地方新聞では写真入りで紹介されるらしいが、このことを新聞印刷機のイメージで視覚化して見せたい…というような主旨??らしい。

そして奥に見える電光掲示板の数字は上の黄色数字は今現在生まれた赤ん坊の人数、下の赤の数字は死亡者数・・・とのこと。とにかくこの規模を顧みず展示を実現させようとする心意気にボクはひたすら感心するのだ。

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この肝っ玉かあさんは、台湾の女性らしい。一番左の写真は一人息子の出産前の状態、以下息子の成長に合わせて数年おきに撮った母子の記念写真をどんどん背景に取り込んだ記録写真。

息子が20歳ぐらいになった2020年の記念写真が最期に展示されていて、彼らの生き様と肝っ玉かあさんと息子の人間としての成長を見ることで、時間が人に催す影響を見るようで興味深い作品だった。

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この作品は写真集になっていて、ボクは最初にそれを見たが非常に面白かった作品。

作者は日本人で住んでいたベルリンのアパートから見える一台の卓球台をめぐる人間物語…ともいえるような作品。

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まともに卓球をプレーしている写真がほとんど無く、物を置く場所になったり、椅子の代わりになったり、台の上で踊ったり、ストレッチ体操したり様々なことが起こる。

写真集の一番最期の写真は この卓球台が取り外しされている写真であったが、もし市の役員がこの写真集を見ていたら、多分この卓球台を取り外さなかったであろう…などと想像。

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教会内に設置されたスクリーンにどう見ても立体的に見え、重厚な音楽とともに刻々と変化する映像のクオリティーに驚愕した作品。

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以前にベニスの有名な展示会ビエンナーレに出品された作品とのこと。

…その他、素晴らしい作品が街のあちらこちらで展示されているので一日では全部は見ることができない規模のヴェヴェイの写真フェス、コロナ騒動の中、室内ではマスク着用が義務付けされ、入り口、出口には消毒液が設置されている中での開催は予想を裏切る素晴らしいものであった。


ローザンヌ・ユースオリンピック2020

2020年01月12日 | 一撮レポート

わりと突然降って湧いたようなユース冬季オリンピックがローザンヌで行われる運びとなったようで、1月9日〜22日までこのオリンピックのシンボルカラーというのかピンクと水色のノボリが街中にあふれている。

何でも、70ヶ国の15〜18歳の少年少女1880人が参加しての第三回目の冬季ユースオリンピックとのこと、地元のボランティアも3000人参加しているそうだ。

それで、今日初めて女子のフィギュアスケート競技を見た。

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   カワベ・マナ選手(15)いつか大人の五輪に出場するだろうか…

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やっぱり生で観るフィギュアスケートはTVと違った。

氷のツルツル度は半端なく、転ばないほうが不思議だし、選手たちの緊張した様子が痛いように伝わってくる。

競技が始まって音楽に舞う選手を見ていて、目頭が急に熱くなったのは一見非常に華奢な彼女達が大観衆が見守る中たった独りリングで精一杯の演技する姿に…昔テレビで応援していた浅田真央ちゃんがカブってきて、国民の期待を一身に背負った彼女の重圧のようなものが初めて実感できたような気がしたからだ・・・。

 


紙が神と同じ発音のわけ…

2019年10月31日 | 一撮レポート

昨日、バーゼル(ローザンヌから電車で2時間のスイスドイツ語圏の街)にある紙博物館へいってきた。

その3階の展示場で製本作業を仕事とする友人が他の2人とグループ展をするというので、でかけたわけだ。

『紙博物館』…って、なんとなく地味な感じがしてぜんぜん期待していなかった。

が、それが案外ずっしりと感じるものがあった。

地下から3階まで紙の創始から始まり印刷、タイプライターと紙にまつわる進化を展示してあり、地下では紙を漉(す)いて紙の製作過程を体験させてくれる。

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このあたりまで、観てなんか感動してしまった。

昔の人にとって、『紙』はコンピュータであり、Ipadでありスマートフォン…であったのだ・・・とつくづく思うと、なんか有り難くて、有り難くて…

何年前のお経かしれないけど、『一切如来心秘密全身舎利子・・・陀羅尼経』と読める

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こうして、インド〜中国〜日本まで伝わったのか…と思うと。

『紙』が『神』と同じ言の葉であることが、納得できる。

『はじめに言葉ありき』…と、創世は神の言葉から始まった・・・・・

神= 申し示す…には紙の発明は必然であったのだ …

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というわりには、仏教経典ばっかりアップしているが…

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友人の作品を前に説明してくれる謎のヒゲおじさん、なかなか格好いい、と相方。

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メビウスの輪状の『無限本』は友人カリン・チュウさんの作品、素晴らしい!

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ボクが子供の頃…には使用されていただろうタイプのタイプライター・・・

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そして、バーゼルの風景は薄めの霧におおわれた風情でそこは外国のようであった。


 36年ぶりのヴェニス

2019年10月22日 | 一撮レポート

36年ぶり…って、どういうことなのか??

初めてヨーロッパに来た時、(1983年)当時のスイス人ガールフレンドに連れられて来たはずのヴェニスのボクの思い出は完全に『モノクロ』になっていて、その記憶というのは本当に断片的なもので、『死んだ街』というのがボクのヴェニスのイメージだった…。

ヴェニスから帰った翌日、偶然にもそのガールフレンドの妹に30年ぶりで駅で対面した時、『誰だかわかる?』と突然声をかけてきた老婦人の笑顔にはまったく覚えのない顔であったが、相手はボクの名前を呼んで、ボクを確信をもって知っている様子なので笑顔の彼女の顔をじっと見つめ…ボクの脳の記憶装置をフル回転すると果たして・・・あゝ…昔の彼女の妹、、、と、尋ねると『そうよ!』と答えてくれた。

 

まぁ、36年ぶりとは…こういうものである!、ということを神様はこの偶然で教えて下さったのだろうか?

先日(16、17、18日)そのヴェニスに2泊3日で行ってきた。

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今回はしっかりと何もかもカラーで観えたヴェニスでは、かの『ヴィエンナ−レ展58回』が11月中旬まで行われていたので、それを中心に観ることにしていた。

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昔来た時は、夏であったにもかかわらずとても寂れた感じで、観光客もほとんどいなかったように思う…、交通の便は街を網の目状に取り巻く運河をいく有名なゴンドラという小舟か、モーター付きの渡し船で、ヴェニスというと当時のボクにとっては沢渡朔という有名写真家と彼が撮ったナディアというイタリア女性の連載写真にあったゴンドラに横たわるナディアのイメージ…しかなく、ガールフレンドに突然連れられたヴェニスがどこなのか??も知らず、夜行列車で一泊して着いた夕暮れのヴェニスは、車が走る喧騒もないやたら古めかしい建物が不気味なほど物静かに建っている様は完全に映画のセット風であった。

しかし、36年後のヴェニスは違っていた。観光客で賑わっていたが、それでも最盛期のシーズンよりはよほど少なかったに違いない。

『ヴェニス・ヴィエンナ−レ展』というのは昔から名前だけはずーっと聞いたことのある有名な展覧会であるが、それを実際に観ることができたことは良かった。

規模もさることながら、オーガナイズもよくヴェニスという島自体がこういった展示にふわわしい空間を提供している。

普通の街であれば観るものが多すぎる…と、くさすに違いない量の展示だが、喧騒の一切ない街で、ゆったりしたスペースとよくオーガナイズされた展示は本当に作品を観る楽しみだけに集中できる環境なのが、ヴェニス・ビエンナーレがこんなに長い間名声を博している理由なのだと思った。

今回のタイトル『May you live in interesting times 』…というものだが、まさにドンピシャの題名のような気がした。

面白い作品が沢山あったが、そのほんの一部を観ていただくと、

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片山マリさんの作品は大きく2箇所に分かれているヴィエンナ−レ展の両方に展示されていた。インパクトの強いセルフ・ポートレートにサイボーグ時代の西来を思わせる。

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宇宙の卵…と題された作品は日本館が展示している深いもの。

4人の各分野の日本人が協力してできた企画作品。

この写真一枚では何がなんだかさっぱりわからないであろうが、ソファ状のバルーンから送られる空気で上にぶら下がる縦笛が演奏される仕組みで、ボクには雅楽の笙(しょう)のように聞こえた。横文字の説明文を面倒で読まずに展示を観るとさっぱり解らず、監視している女の子にぶら下がっている装置について聞くと12本の『縦笛』であることがわかり、なんとなく謎が解けたような気がした。自分が最近研究している『和らぎ』『観音』などのキーワードにやはり通じるのが日本の存在であることを確認。

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これは、ヴィエンナ−レとは別なExposition。

あまりにも見事に磨かれがガラスの塊はまるで水が溢れ出るようで触ろうとしたら、この写真で真中に立っている監視女性が『ドント、タッチ!!』と大声で怒鳴られ久しぶりにビビった一撮であった。

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オペラ劇場・フェニックス… 昔、相方はオペラの舞台監督助手をやっていた時代があったということで、懐かしがっていたが、にわかに信じがたい事実である。

そういえば相方ニコル退職後初めての旅行となった。 


震えるタイプ

2019年08月27日 | 一撮レポート

  先週、我がスイスのバーゼルという街(ローザンヌから電車で2時間)でなんとバトミントン・ワールドカップが行なわれた。

  週末の準決勝、決勝は入場料も高いだろうし…ということで、木曜日に見に行ってきた。

  チャンピオンになった桃田賢斗も見たし、女子シングル2位奥原希望も見たし、女子ダブルスで優勝した松本・永原組の試合も見ることができた。

  ただ、今回是非見たかった女子シングルの世界ランキング一位の山口茜さんが最初の試合で敗退したとのことで、その点はガッカリした。

  それとちょっと驚いた、というかちょっとガッカリしたことに、入場の際、カバンをチェックされ、カメラを持っていたが、

  カメラを持って入場『できません!』と言われ外に設置されたロッカーに置いていかなければならなかった。

  この春にあったSwiss OpenのときはカメラOKだったのに…、やはりWorld Cupだからだろうか??

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                     携帯はOKのようで、この日唯一の写真…まさに一撮。

  桃田賢斗選手とインド人選手の対決で、背が高く手足が長くどうみても理想的な体格と技のありそうなインド人選手が強そうなのであるが、

  メンタルと試合の読みの速さ+深さそれとサウスポー…etc、で桃田選手は楽勝した。

  しかし、インド人選手は近い将来チャンピオンの位に定居するだろう。

 

  ところで、入場切符を買う際の話であるが・・・

  とにかくオーガナイズが悪い点として、前日の夜にネットでチケットを買おうとしたがホームページ全体はドイツ語、フランス語、英語の選択があるのに、

  いざチケット販売の場面になるとドイツ語のみって…なに?、それでもGoogle翻訳を駆使してなんとクレジットカード決済まで行ったものの、そこでエラー…となり諦めた。

  それで当日販売の窓口で買うことにしたのだけれど、会場のオープン11時になっても窓口が開かず、40分してようやく販売が始まった、

  という体たらく、なんとかしろ…と言いたい。(試合はすでにはじまっているのに)チケット販売窓口で並んで待っている時のこと。

  二人ずつ一列に並んでいる列は、案外すいてきれいな列になっていた。そこで、ボクは水色の派でなシャツを着たスペイン人の男二人組の後ろについて並んだ。

  10分ぐらいしてほぼボクと同世代のオッサン二人組が近づいて来て、ボクの後ろに並ぶというよりすぐ横に一人はボクに背を向ける形で

  立ってもう一人と何やら話し込んでは、時折開かない窓口をジッと見つめるのだけれど、なんだかだんだんボクの前に割り込んで来る様子。

  あれ〜っと、思いつつ10分ぐらい様子を見たが、ほぼボクの前に割り込んでいた。

  まぁ、些細なこと…と思いつつも、あまりにも図々しいオヤジ共に『こりやぁ、言ってやらなにゃあかん!と一大決心して

  『ボクが最初に来て、並んでいるのになんで割り込むだ!』…的なことをドイツ語ができないので英語で言ってみた。

  その時、ボクはほとばしる『怒り』で全身がワナワナと震えていた…のだ。かといって、頭は冷静なのだけど身体は意に反して怒りで震えていた。

  そういえば、ボクと相方の間では有名な逸話があって三十数年前、東京のアパートに住んでいた時、禅の修行で顔見知りになった女性を招いたことがあって、

  その時具体的にどういう話でそうなったかは残念ながら覚えてないが、ボクがその女性に対して怒り心頭になった時も全身がワナワナと震えて、

  あとで相方と笑い話になったが、心底怒るとボクの全身は震えるタイプのようなのだ。

  頭に血が登っても、冷静なもう一人の自分が自分を含めた周りの状況を見ているので、カーッときて乱暴をするということはないが、

  身体は火を吹くがごとく怒りで震えるので自分でもちょっと恥ずかしいが、身体は正直で仕方がない。

  相手の二人のオッサンは同じ年齢のアジア風のオッサンが震えて怒っているので、さぞ驚いたことであろうと思う。


ローザンヌ新美術館MCBA

2019年04月08日 | 一撮レポート

この週末、正式には2021年2月オープン予定の州立美術館(Musée Cantonal des Beaux-Arts Lausanne) が土日の2日間だけ一般公開した。

現在のローザンヌ駅のすぐ横に昔あった旧駅の場所に、2016年〜今年2019年まで新美術館がスペイン・バルセロナ設計事務所『Barozzi Veiga』による設計で建築された。

建築現場近くに住んでいた友人が『騒音・粉塵』でまともな生活ができない!…と一ヶ月前に嘆いていたけれど、それがようやっと完成したわけだ。

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一見すると、なんだかコンクリートのでかい塊に84柱状スリットのある無味乾燥(ボクの中では何故かベルリン…という言葉が想起)な感想をもった。

並ぶのが大嫌いなニコルが傘をさしながら忍耐強くゲットしたガイド付き館内ツアーチケットでホットしている図(この後凄い人混みとなった…)

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建物: 145m x 21.6m x 22m(高さ)で、全12.500 m2 のうち展示場 3.220 m2 

内 常設展示場1.560 m2 ,  特別展示場1.240 m2  3階建て建造物。3階は天窓で柔らかい光線が入るよう調節出来るように工夫されている。

床の木材はすべて柏で、ドイツ産50%、スイス産50%だそうだ。

広々とした館内の壁が真っ白・・・の状態であるのを見るのは今日のみだろう。

いっそ、ボクの写真でもデカくして展示したいような…。

ここは今現在、ローザンヌ市内3ヶ所に散在している美術館二つ、エリゼ写真館一つが2021年にはすべてここに集合する美術館となり、しかも駅のすぐそばということで招来するであろう観客の数は今とは比較にならないだろう。

ローザンヌの駅自体も現在改築中で新ローザンヌ駅も完成すれば、この駅付近の雰囲気もずいぶん違ったものになるのかもしれない。

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MCBA館の3階から見える景色。晴れていればアルプス山脈、レマン湖がくっきり、しかも国鉄マニアならずとも電車の風情も楽しめる絶好の展望場となる図

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建築視点上、面白い!…と納得する場所のひとつ、2階から3階への階段の3分の2がちょっと腰掛けて休んだり、談笑したり、天井が広々と高く、名作に集中して疲れた気持ちを緩める場所となっている、今日は特別で下の踊り場で男性が熱唱〜それが3階にまで歌声が響く図。外はまだ工事中であるのがうががえる。


 インスタレーションと写真(Festival Image Vevey を見て)

2016年09月14日 | 一撮レポート
  2年おきに行われるVevey 市の Photo festival Images うっかり忘れるところを、TV ニュースが思い出させてくれて早速でかけた。
 
  室内の展示が11時:00オープンなので、天気もいいので、まず、Veveyの湖岸へ行ってみた。
  ここには、毎年必ず、屋外展示写真があるからだ。
  あった、あった。 遠く離れたところからでもよく見えるどでかい写真・・・には、海を航行する船を俯瞰する角度から撮った写真のようだ・・・
  それが近づくにつれ、テーブル上に設置されたプラモデルの船であることが認識出来るようになる。
  すべてがスタジオ内で作られたシチュエーションであった・・・ということがわかるよう種明かしが写し込まれた写真なのだ。
  非常に巧くできているのに、作り事である、ということが見て取れるところが面白い・・・という作品であった。

     

  そういった大型作品が15枚くらい展示してある。
  これらは、写真の為だけに作られたシチュエーションなのか?どうか? どの作品もプロの手による工作であると充分わかるだけに
  写真家自らが作ったのか?或いはこのアイディアを基に誰かその道のプロに制作を頼んだのか・・・
  おそらく、そういった点は説明文を読めば、分かるのだろうけど、面倒でいまだに読んでいない。兎に角、見応えのある展示だった。

  そのあと、もと城館だった大きな展示場へ。2年前は大変面白い鏡を利用したビルの窓辺に子供達がぶら下がっているように見える仕掛けがあつたところ
  で、期待があったが、大いに期待はずれだった。地下では、ゴーグルのようなものを目に装着するバーチャル映像をみたが、この夏すでにアルルで
  体験したので、ここでの元になっている映像が陳腐でなんの感動も起きなかった。2階にはなんと猫の写真があったが、中途半端な展示に呆れた。
  
     
      屋外展示は基本的に防水性のビニール状なものに写真をプリントしたもので非常に大きい。

     
      今年は?・・・こういう感じの写真・・・、何考えているのかよくわからん写真

     
      レマン湖に設置された・・・これは富士山+波・・・ということで、
      かの有名な北斎の富嶽三十六景の例の大波に富士に感化された作品のようだ。

  そして、その後に見たのが 大賞をもらったアメリカ人の作品はこんな感じの作品
     
  まあ、説明文を読んでないので、もしかしたが、誤解もあるかもしれないが、
  今は廃屋となった、もと雑貨屋の写真、それをもとに写真展示場に写真とともに、廃屋にあった商品を展示してある。・・・

  写真はモノであるから、もともと設置という問題があるわけであるが、
  写真の内容までが『設置=インスタレーション』になっていることを強く感じる Veveyの『Images』の選んだ写真群で
  ボクとしては非常につまらない傾向の作品であった。(Festival全作品をみてないので、そう言い切れないが)



  
  

 中国現代美術展『Chinese Whispers』をみて

2016年03月28日 | 一撮レポート
     
     この絵がポスターになっているのを2週間ほど前にローザンヌで見かけた

 それとポスターのタイトルが『Chinese Whispers』(中国人のつぶやき)というタイトルも気になって、行ってみたい・・・
 で、きのう日曜日の午後電車で一時間のベルンにでかけた。
 久々のベルンで、来てみるとやっぱり外国だよね、ベルンって、、、というくらいフランス語圏と雰囲気が違うんだよね。

 駅の裏にあるベルン美術館到着、24フラン!!というびっくりする値段の入場料を払い、地下のロッカーにカバンを置き態勢を整えた。

 見ている最中、コンテンポラリーを見るには『忍』の一字の必要性を痛感・・・根気よく各作品に設置されているオーディオガイドを英語で聞きながら進む。

            
             中国伝統的技法から発展させたような作品も多数散見

      
            
             今回、改めて中国文は漢字ばかりであることに驚く。
             (セクシーな会話がなされていて、それを中国と英語に訳されている画面をみる・・・のだが、やはり『忍』が
              足りなく、意味不明であった。ザンネン)

 異国で作品展を行う時、言葉の『壁』・・・ってあるよな~、イイ点もあるけど解ってもらえない点も確かにある、ここの美術館はこの展覧会の
 カタログはドイツ語しかなかった。

            
             僕的には比較的わかりやすい作品

            
             この作品は ボクのKanji World に近い感覚の作品 中国詩を盆栽に書き入れてあるという。

            
             今回の展示で最も気に入った作品。3つの映写機が7メートルぐらいの白壁に水墨画や書道や太極拳をしている人などが映される。
             それで、しばらく見ていると黒く墨が滲んだ人影のような絵が自分自身の影である・・・ということに気づく!
             サーッと見る人はそれに気づかずに通り過ぎてしまうぐらい水墨画として溶け込んでいる自分自身たちの人影
               だから、これは『道』の文字が現れたところで撮った自撮である。

 この連休で『復活』・・・とか、カッコつけてみるが、逆に疲れがドッと出て体のアチコチが痛むし若干風邪気味になってしまった。
 
             


ウエルナ-・ビショッフ展を見て

2016年03月06日 | 一撮レポート
 久々に地元ローザンヌの写真美術館『エリゼ』に行ってきた。毎月第一土曜日が無料になるので何をやっているのかも知らずに
 出かけると、なんと『ウエルナー・ビショッフ』の生誕100年を記念しての写真展であった。
 1916年スイスはチューリッヒ生まれの後にマグナムのメンバーになって活躍するが、1954年38才の時、訪れていた南米チリで
 自動車事故で亡くなった。
 
 今回のこのポスターは街中でよく見かけていたが、まさかあのビショッフであるとは思いもしなかった・・・という点で
 彼の写真展の広告としてこの写真を選択したのは疑問がある。

 ビショッフというと  
 これらの写真で有名で、むかしボクが最初に買った写真参考書『世界の写真家』にも彼の載っていて、懐かしい。

 エリゼ館には彼のオリジナル写真200点が展示されていた。
 38才に亡くなるまでの写真家としての時期を4つに区切って紹介されていた。

 かの有名なブレッソンやキャパなど4人で創立した写真集団マグナムが1947年で、1949年ビショッフが31才の時参加しているので
 マグナムのメンバーとしては初期に属していることがわかる。
 ビショッフの写真をこれほど沢山まとめて見れたことは幸運で、彼の才能の豊かさを充分堪能する。だからこそ、38歳という若さで死んでしまった
 ことは実に惜しまれる。
 日本にも来て、かなり気に入ったらしく妻も招き寄せて8ヶ月間滞在していたそうだ。かの土門拳とも親交があったという。
 広島に天皇ご夫婦が来た際に撮られた天皇夫妻の写真、それをお迎えしている子供の写真がいい。
 ヨーロッパ、アジア、南米などそれぞれ取材旅行した際の写真が主で、ヒューマニステックな視点で一環して撮られている。
 
 普段、このエリゼ写真館はコンテンポラリーな作品展示が多いので、1970年代に写真を始めたボク等が目標としうる彼のような写真スタイル
 は実に素直に溶け込めたし、懐かしい気もしたが、同時に彼等の時代と今現在我々が生きている時代とでは隔世の感が拭えないほど写真環境の
 違いが大きいことに改めて気付かされる。
 
 

  アルル紀行と嵯峨野明月記読行

2015年07月15日 | 一撮レポート
 今、スイス時間で朝7時15分アイパッドで国会中継をツイキャスで見ながらブログを書いている。(この様な大事な国会審議をNHKが中継しない事自体がおかしいだろう)
 今日は問題の戦争法案強行採決を安倍政権が予定している・・・日で、今現在安倍首相と維新の大口議員が議論しているが、相変わらず安倍の答弁は議論をはぐらかすことに終始している。
 昨日は日比谷野外音楽堂に安保法制(戦争法案)の強行採決に反対する市民が2万人集まり、今日もまた大集会を予定している・・・いま、辻本清美議員の追究が始まった!

 そんな状態の中、この日曜日(7月12日)にアルルの写真フェスティバル見聞3泊4日の旅から帰ってきた『一撮レポート』を記憶が定かのうちに書いてしまいたいのだが、日本の国政危機の行方を
 一方で追いながら、という集中力がそがれるなかでレポート写真に助けられながら書こうと思う。

 このアルル行きは、ボクの2週間のバカンスが始まる7月9日(木)の2週間前に決めた。
 西欧諸国の写真エキスパートが一堂に会するなで、自分の作品を見てもらえるというポートフォリオレビューというのが、世界中から集まる写真家たちの第一の目的であると思うが
 ボクの場合は準備不足、来年それに参加すべく今回はバカンスも兼ねて下調べの旅ということにしたが、決め手となったのはボクが愛読しているブログのWさんがアルルに参加する・・・
 という話を読んだ為だ。Wさんに会って、写真から20年以上遠ざかっていたところをWさんのブログのおかげである程度取り戻すことが出来たお礼を直接あって言いたかった。
 ただ、彼の日程が全然わからないので、会えれば?!・・・という希望の話であるが。

              
             写真:Bはアルルの隣り町、ニームの有名な円形闘技場、ここでもスペインと同じ闘牛が行われる。

 アルル写真フェスティバルはフランス語で『Les Rencontres d'Arles』、直訳すると『アルルでの出逢い』で今年で46回目という歴史ある写真フェス。
 写真界では世界的に有名なフェスティバルであるが、アルルの街自体は人口5万3000人、南仏ローヌ川に臨むローマ遺跡である円形闘技場を持つ観光都市で、7月初旬はこの写真フェスで
 写真関係の人々で満員御礼となる。ボクの宿探しもアルルでは不可能、それでは隣り町・・・ということでアルルから約50キロのNimes(ニーム)という街に宿を見つけた。
      
             
   闘技場周辺を散歩するとツバメが鳴きながら飛んでいた。   3泊した宿のベランダからの風景

 ニームの駅から数分の場所に宿を見つけて、満足していた自分はじつは甘かった、スイスの交通事情に慣れてしまって、それがフランスでも同じようなものだろう・・・と
 思い込んでいたところが本当に甘かったのだ。今回のフランス国鉄の旅で痛感したのは『遅れて当たり前』・・・これを念頭に叩き込むこと無しにプログラムのある旅は成立しない。
 4日間毎日利用したフランス国鉄の電車で時刻通りに出発したのは一度しかなかった。
           
              
            突然の停電のため電車が出発できない、ということで各電車の車掌が寄って駄弁っている風景

 停電は『いつまでこの状態が続くかわかりません』・・・の車掌の弁に乗り継ぎを急ぐ人々は降りて行った。そんな時の為に・・・というわけではないが、ウチから持ってきていた
 一冊の文庫本『嵯峨野明月記』辻邦生著が読み進んだ。以前読んだものを再読である。信長、秀吉、千利休等の時代、本阿弥光悦、角倉素庵、俵屋宗達の三人による『嵯峨本』と呼ばれる
 一つの時代の文化の頂点を顕現することに成る超豪華本が出来上がるまでの三人の生い立ちが描かれた小説で、ボクにとってこの小説は日本文化の原点に迫る素晴らしい小説だ。
 中でも、ボクと一番波長が合いそうなのが『風神、雷神』の図を見て以来、衝撃を受けて尊敬している俵屋宗達。『嵯峨本』についても、この三人についても何も知らなかった自分に
 この小説を通して知る機会を与えられた幸運に感謝しながら読む。・・・

 アルルには2009年7月、やはりWさんの影響を受けたボクは、そそっかしくも5人のポートフォリオ・レビューを受けに出かけて『ガッカリ』した苦い経験を思い出すのみで
 今回、炎天下のアルルの駅前に立って写真フェスの会場がどちらの方向なのかすら分からなかったところを、荷物を預かってくれる駅前の貸し自転車屋さんのおばさんが親切に地図で
 教えてくれた河川沿いのコースから街に向かったところ、その河川が我がアパート前に広がるレマン湖から続いている河川である事を思い出して急に身近に感じた。

              
         アルルの旧市街を流れるローヌ河はレマン湖経由でジュネーブから再びローヌ河となって南仏に向ったものだ。
              
               アルル近くで見かけた風力発電機。水量が豊かなことが印象的
              
              今回フランスの電車の旅で広大な耕作地やワイルドな自然の在り方に惹かれた。
              強風で遠くの林が揺れるたびに葉の裏が白い波の様相を現し
              普段、スイスの管理された自然に飼いならされている自分を見る思い。

              
               教会を利用した写真展示会場ではテーブルの上に作品集が置かれていたが、これを観た時
               京都で行われた写真フェスで、お寺に展示されてた写真を思い出していた。

 その後、フェスティバル・オフィスに向かうと ステージでは4人の男たちが登壇してなにやら話していた。その内の二人の顔写真が帰宅してから地元の新聞に載っていて
 その二人というのが、我が相方が常連となっている喫茶レストラン『ひまわり』の常連客でもあり、The LP Company・・・という架空の音楽に批評を書いた本で有名に
 なった時点で相方がボクに彼等の話をしていた、まさにその二人であった。
             
           その二人が企画した展示は昔のLP版の写真を展示したもので、懐かしかったり、へえ~っという写真があったり
           写真という観点からは身近なものでありながら、注目されていなかつたものに改めて焦点を当てたところがユニークかつ楽しかった。 

             
              アルルの街のいたるところで写真展をやっている。その内の一つで見かけた風景・・・
              こんなところでもポートフォリオレビューをやっていた。

 であるから、中には退屈な作品というか、自分の好みに合わない作品も沢山ある。たぶんむしろそのほうが多いかナ~・・・
    
                
                 作品鑑賞にくたびれて、ふと外を眺めると写真よりもいい風景があったりする。

 日本人の作品は堂々街中中心部にある教会にてお馴染みの、細江英公、森山大道、須田一政、内藤正敏そして懐かしい深瀬昌久、そしてボクは知らなかった
 野村佐紀子、横田大輔、猪瀬こう・・・等、8人の作品が展示されていた。特に須田一政を期待して観たが、、、。そして横田大輔さんの作品はほとんど真っ暗
 で疲れ目には一生懸命見る気になれないコンセプト系の作品か?・・・疲れた。

           
        その会場では中国人と思われるグループがいて、かの国では著名写真家であろう初老のオッサンが長々と教示している図

 この8人の日本人写真家の中で、同じ道産子の先輩となる深瀬昌久さんは、ボクが写真を始めた頃、カメラ毎日?あたりに連載していた奥さんの写真を展示していた。

 そして、この8人の日本人写真家に関する対談が行われるというので、街の中心から少し離れたアトリエと呼ばれる会場へ向かう。
 まさに、炎天下のところを徒歩で15分ぐらいゆくのだが、『暑い!』・・・会場を間違えたので少し遅れて会場に到着

          
           写真家としては新進の横田大輔さん、出版社オーナーでありギャラリーの主でもある長澤アキオさん
           に対して外国人の誰か知らないがインタビューしている図・・・
           サングラスで後に腕を組んでいるのが長澤さんで役者を思わせるいい声の持ち主
           この人が、須田一政の例の『風姿花伝』を出版したとのこと。

 Wさんの最新のブログに彼の今回のアルルの感想が書かれているが、これまでの『コンテンポラリー』的写真にキュレーターたちもだんだん飽きがきている
 のではないか・・・との感想。 したがってこれかは日本人作家の作品が注目されるのでは・・・とうようなニアンスが書かれていて、これにはボクも大賛同!

 同じアトリエと呼ばれるエリアでは素晴らしい作品が展示されていた。なるほどOO賞を取っただけの事はある、と言える作品群が並んでいた。

                  
                   中でも、この作品のあまりのクオリティーに度肝を抜かれる思いがした。
                   2m近い作品のどこを見ても克明であることに、写真最新技術に驚嘆あるのみ!
                   一方、同じ作品を写真集で見るとどうってことない印象を持つことにこれまた驚嘆!

 同じポートフォリオ・レビューでもVoies Off 主催の教会の中庭を利用した室外にテーブルを並べリラックスした感じの催しはボクなんかも
 おやつを食べながら身近に展開されるそれぞれの写真家とエキスパートとのやりとりが見渡すことが出来て最も楽しいものの一つであった。

             
             これを見ていて特記すべきものは、女性の写真への進出・・・であろう。
             この時はたまたまだったのか?6テーブルの内 5人が女性写真家であった。

             
             これは誰かの作品の一つであったが、これが現代写真現象の象徴的シーンであることは間違いないだろう。
             こんな中で 我々は写真家としてどういった方向に向かっていけばいいのか熟考しなければならない。

            あまりにもたくさんある写真をみて、くたびれたらここでリラックスして下さい・・・
            
            という感じで用意してくれた場所は兎も角、せっかくこんな大伸ばしするならば、もっといい写真を!

 ボクなんか、3日間だいたい20時になるとアルルの駅に向かい、18時には閉まっている切符売場を恨めしげに一瞥を与え、2台あるうちの壊れてない
 残りの一台に人が行列を作っている所に並んではわかりにくい操作でやっと切符を買い、常に遅れてくる電車を待ち、クタクタになって隣り町ニームまで帰るのであつた。

 当然、空腹でくたびれているので、日本食は望まないまでも中華を!・・・ということで探しているとこんな風景にであった。

            
             さすが、円形闘技場は伊達ではない。 地元ではかなり人気のようで街の至るとこでポスターを見かけた。
             殺される闘牛の事を考えながら、牛肉の玉ねぎ炒めを食べるのは辛いが、美味かった!

 ところで、Wさんには結局会えなかった。一度似た方がいたので意を決して『Wさんですか?』と声をかけたら『違います~』だった。
 確かに写真で知っているWさんとはだいぶ雰囲気があか抜けしていて、イメージとは違っているので、実物と写真とは違うものなんだナ~・・・と
 かってに思っていたら、実際に違っていたのだから。 ボクはいい歳をして恥ずかしがり屋なのでこういうことは苦手なのだが、いつかチャンスは・・・。
 

            
      

          
 
 

 

 

  パリの北斎

2014年11月17日 | 一撮レポート
  パリ・フォトと同じ建物・グラン・パレで奇しくも『北斎展』・・・こりゃ~見ないわけにはいかない!・・・と、パリに行く前から計画を練るというと
  大袈裟だけど、まぁ、それくらいの勢いをもって入り口まで行って・・・『2時間待ち』です~という案内に グラグラと決心が揺らいだのもつかの間
  パリ・フォトを見た翌日には元気を取り戻したものの、朝から冷たい雨模様!!ここでも震度2ぐらいに揺れたが、待てよ『雨』だからこそ『チャンス』だろ!
  よりによってこんな雨+風の寒々しい日に『2時間』も待ってまで『北斎』を見たい奴なんて、そんなにいるもんじゃないよ!・・・・

  例の『十時屋』にて、カツ丼と思って買った『天丼』の昼食を食べて、雨の中を『待つ』為の必需品『5ユーロの傘』を買ってグラン・パレに向かう内に
  雨は上がってしまった・・・うれしいやら、悲しいやら?

             
               これはフォト・パリを見た日(13日(木))に撮った写真でこの日は まだ晴れていたのだ。
                左後方に 2時間待ちの人の列がある。

  現場に着くと、ボクの予想に反して2時間待ちの『人の列』が・・・。しかし、ここで怯んで『たまるか~ッ』という理由だけで、ボクは列の後に並んだのだ。
  こういう時の為にわざわざ電子書籍『アメリカから自由が消える』堤未果著をダウンロードしてあったし、出来ることならばそばにいる人と情報交歓
  などして、時間を無駄にはしないぞ・・・の覚悟をして来ていたのだ。
  それで早速ボクの前にいたマドモアゼルに声をかけた『貴方はここで2時間も待つ勇気はありますか?』という質問で攻めたところ、勇気のフランス語
  Courage『Kurag』の発音がどうやっても通じなく、、、20回ぐらい言って分かってもらったが、ボクのほうがすっかりDécouragé(落胆)してしまったし
  このマドモアゼルは、係員が『この列の方は一時間ごとに10人だけ入場出来ます』・・・と言った時、並んで待つのを『放棄』してしまった。
  何故ならどう見ても我々が入場出来るのは3時間後になる、ということがわかったからである。
  そこで、ボクは後ろを振り向くと人の良さそうな中国人?ヤングカップルがいたので、『あなた方はどちらから?』・・・と声をかけてみた。
  これが、ボクにとって本当に素晴らしい出逢いになったのだから、世の中バカに出来ない。
  彼等は台湾人で女性の方はパリ在住すでに6年目の画家の卵。彼の方は一ヶ月の予定で滞在したのち来年はジックリ腰を落ち着けて映画の勉強をしたい・・・
  というふたりとも26歳の芸術志向の若者であった。彼女の方は来日もしていて日本語は片言であったが、英語、フランス語は堪能であった。
  彼は小津フアンの映画監督志望・・・などなど、3時間なんてアッという間に経ってしまったほど、彼等との多岐にわたる対話は実に楽しいものであった。
 
  そしていよいよ我らの番がめぐり入場。台湾の彼等と別れを告げ『北斎展』へと没頭することになった。
  パリなのに、北斎なのに、ボクは解説イヤホンを5ユーロで借りた。(昔、ベルサイユ宮殿を観光した時以来その威力を認識していた。)
  午後2時から5時まで並び待ち、5時から8時半ぐらいまで北斎を堪能した。
  北斎の作品の多いこと、多いこと、まず、その数の多いことに驚くとともに、『号すること30回』・・・ということで名前を何回も変えていたが、
  改号ごとに作風が変化していくことが、ハッキリわかるように工夫して展示がなされていた。

                  

  大方見終えて ボクの感想は、 その版画の出来映えの精度についての完成度の高さ・・・であった。
  彼が描く下絵 ➜➜ 彫物師が仕上げる・・(和紙の選択なども含めた)こういつた工程の完成度を完全に自分のものにしている 
  することが出来た環境というかシステムというか、そういったものが今のようにコンピューターもない時代に実現していることに
  ボクは最も驚嘆したのだろう。(そういったシステムに信頼を寄せていたから富嶽三十六景のような富士山を中心にした
  斬新な発想を実現出来たのではないだろうか。)

  それにしても、朝10時から夜22時まで『3時間並んで待っても』北斎を見たいというフランス人+世界中の人々・・・がいるということ
  そして、その期待に十二分に応える『北斎』の作品に、いろいろ考えさせられた旅であった。
  
  

 やっパリ・フォト 2014

2014年11月16日 | 一撮レポート
  また、『パリ・フォト』の季節、11月がやってきてしまった。
  さすが、自分のアラ還もすっかり板について『億劫』の二文字で去年はご無沙汰した『パリ・フォト』に最後の還力を奮い立たせて2014年版めざして出かけた。

  べつに誰かに依頼されて出かけているわけではないし、自分の興味だけに基づいて出かけるわけであるが、それにしてもこれまで出かけた2回のパリ・フォト
  2011、2012年は・・・完全に『物見遊山』気分であった事を自分なりに反省して、今回こそはもう少しアラ還並みの『渋い・鋭い』っぽいレポートなんか
  出来ないものであろうか・・・と、勝手な覚悟を決めて出かけることとなった。が・・・

  11月13日(木)朝10時、TGVがパリ・リヨン駅に滑り込み、ホームに降りると予想もしない寒さに、相方のアドバイスを無視してセーターの一枚も
  持ってこなかったことをチョッピリ悔いながら、2泊分の小スーツケースを引っ張り、今回宿となるパリ市役所に近い写真家宅の一室をめざした。

          
           リヨン駅の長い通路にはパリ・写真月間を否応なく盛りたてる素敵な写真群が並んでいた。

  家主のやはりアラ還?女性報道写真家アレックスさんにコーヒーをいただきながら部屋使用にあたっての説明を伺った後、この旅の隠し味的  
  存在である日本食店『十時屋』に幕の内弁当の昼食が、宿から徒歩でわずか10分で行き着ける事実にまず歓喜。

  その後、今回の旅の2大目的つまり『パリ・フォト』そして『北斎展』が奇しくも同じ建物(クランド・パレ)を目指した。
  ボクの予定では到着日はゆっくりして 2日目にパリ・フォト、帰宅する3日目に北斎展・・・と考えていたが、北斎展が予想以上に混んでいて
 2時間並んで待たなければならない事がわかり、予定を早めて到着した日にすでに前売り券を持っているパリ・フォトを見ることにした。
  パリ・フォトは20時までなので、それまで粘って帰りに、22時までやっている北斎展の翌日の入場券を手に入れる作戦を立てたわけだ。

  前売り券を持たない長蛇の列を横目に、さっそうと入ったパリ・フォト2014・・・であるが、前回、前々回と全く同じ雰囲気に屈せず
  自分に言い聞かせた『覚悟』を新たに意識して、貰ったブース案内にメモしながら見ること1時間40分頃・・・あまりの写真と混みあう人々に
  だんだんアラ還の意識も朦朧とし始めてきたのだ。

  結局15時頃入場して19時半まで、足腰の痛みに耐えかねながらも4時間半掛けて全ブースをくまなく制覇した時、もういくらなんでも写真は見るのも
  『イヤだ!!』状態になっていたので暗い外に出た時には冷たい風が新鮮に感じるほど開放感に満たされたが、北斎展に入場しようとする列は
  全く衰えていないことに脅威を感じつつ、美味しいラーメン+餃子を食うことだけを念頭に日本食地区に足を向けていた。

  さてさて、アラ還の『渋い・鋭い』パリ・フォトレポート・・・なんて覚悟の事は、2時間見続けている内にキレイサッ・パリにどこかに行ってしまって
  何だか気取った、紳士淑女が値段の交渉らしき場面を傍目で見ているうち、『なんで俺はこんな所にいるの?』・・・なんていう疑問に取り憑かれたり
  なんかして、パリ・フォトはもう今回で終わりにしよう・・・などと自分に言い聞かせていた。

  今回こそは、『感動する写真に出会いたい!』という願いはそう簡単には実現しないものである、という事実を確認しに来たようなもので
  実際世界中から集まったギャラリー等の究極の目的は『ビジネス』であるのだから『売れ筋』を限られたスペースの中で全面的に出している  
  わけであるから、ボクのように金を度外視して『感動』のみを目指しても、それが満足させられるものでは無い・・・ということを
  パリ・フォト詣で3回目にしてやっと『悟った』わけである。

  もちろん、沢山の写真の中にあって、キラリと光るアービング・ペンとかダイアン・アーバスとかクーデルカとか散見したが、数年前に
  この場所で見た須田一政の写真集ほどではなかった。
      
     
       この写真は4人姉妹を40年に渡り撮り続けたもの・・・これには感動した。(詳しくはここのサイトで
            http://dailynewsagency.com/2014/10/06/forty-portraits-in-forty-years-qzt/
        

    

    

    

    

     これら中国勢写真家の活躍が目についた。

  宿に帰って地元パリの報道写真家である家主のアレックスさんと話をしたが、パリでは人の顔を撮ったスナップ写真の発表は許可無しには
  『不可能』であるという話を聞いて、『写真の街・パリ』にしてそんな状態では写真は『死』を迎えているのだ、とボクは強く思った。
  そうした意味で中国とかインドとかそういつた国において『肖像権』とかいうような問題のいまだ起こらない処では人間性追求する道が
  大きく開いていることをあらためて思うと同時に、自由を奪われた写真家達の抵抗する道の模索について思いを馳せるのであった。
  

Imagesの街 Vevey

2014年09月13日 | 一撮レポート
  というタイトルより『Imagesの国、スイス』と言っていいくらい9月になってボクの住むローザンヌ近辺の街での写真(前回書いたビエンヌ、今回のべベイ)
  そして今日からローザンヌで第10回を迎えるBD(漫画)フェスティバルが行われている。

  小さな街Vevey の2年おきの写真フェスティバル『Images』は今年で何回目なのか?どこを探しても書いてないが、ボク自身が見る側として
  参加したのは今年2014年で3回目・・・のような気がしている。(だから多分今年で3,4回目だと思う)

  このVevey 街の写真フェスは とにかくスケールが大きい。特に2年前の企画は メイン展示館が旧デパートの改築前の廃墟状の建物を
  利用したものであったが、強烈な印象を残してくれた。

  たから、わりと期待が大きすぎて『ガッカリ』するのが少し怖い・・・面持ちで出かけた。が、カメラを取り出して撮ろうするとバッテリーが
  切れていた・・・  それで、覚悟を決めて 我がアイホン4で撮る羽目に。

  2年前はシンディ・シャーマンの顔写真であったが今年は⬇⬇
  
        
          Arno・R・Minkkinen(米国)の作品『街の幕開け』

  ボクがこの街のフェスが好きなのは コンテンポラリーであってもテーマが『明るい』からだ。⬇⬇

      
       Olivier Culmann(仏)の作品~様々な階層のインド人に変装したセルフ・ポートレートで笑えた。

      
       Fabian Schubert&Hank Schmidtの作品 これは湖岸の散歩道に展示されて 散歩を一層楽しくしていた。

  で、この写真は ボクが撮ったものだけど・・・
          
           今日の気持ちのいい天気が わりとシュール味で撮れました・・・
  シュールといえば ⬇⬇ これなんか どうでしょうか。 Vevey市民参加型の企画があるところがこの『Images』の素晴らしいところ。
          

  しかし、ボクの心に最も残ったのは バングラデシュ人の写真家 Abir Abdullah による『Deadly Cost of Cheap Clothing』というモノクロ作品
  数年前バングラデシュで起きたビルの崩壊で大手服飾メーカーの為に大勢の人々、1,100人が亡くなった事故を撮った写真群のスライド・ショー。

  全64企画が街中に展示があり、今日一日では見きれないし、カメラもない丸腰だったので、今日は早めに切り上げることにした。

  帰りの電車の窓から Vevey駅裏のダイナミックな写真 ⬇⬇ これは気に入った・・・この『Images』は10月5日まであるのでまた行く予定
                  

   

Bienne Festival Photography 2014

2014年09月08日 | 一撮レポート
  Bienne(ビエンヌ)であって かの有名なビエンナーレではない。 人口は?知らないが、明らかにローザンヌより小ぶりな街のフォトフェス。
  2年おきに催され、今回は18回目の『コンテンポラリー・写真』のフェスティバルだそうで、ボク自身のは今回でたぶん3回目?になるであろう。

  日曜の朝、10:45分の電車に乗り 約1時間、 何式だかしらないが、車体が斜めに傾斜する電車で、ボクは酔ってしまった。
  駅前の切符売り場で 20フラン(約1700円)払い、市内6ヶ所にぐらいに散在しいるギャラリーの載っている地図をもらっていざ出発。

  まずは、メイン会場となっている『Photoforum PsquArt』に向かう。ここでは9人の写真家の作品が展示されている。

  会場に入ると 前回2年前に見た時の『トラウマ』・・・(コンテンポラリー写真にたいする)が 再び蘇る・・・。

  3人ほどの作品を見終えて コンテンポラリーとは 人をして写真嫌いにする目的を持つ性質の写真作品である・・・という定義に違いない!
  と確信にほとんど至った・・・・。

   
     映画『シャイニング』ほうふつとさせる会場風景には それに似合った写真群が展示されていた。

  来たそうそう、帰りたい気分になってきた時 入った部屋の作品・・・
  
  入った時はボク一人で 真っ暗な部屋に スライド映写機からスポットライト状の光が 壁に丸い光を作り出しているだけ・・・  
  いくらコンテンポラリーでも、これはあんまりだ!・・・と、部屋を出ようとして ライトの前を通ると、なんと
  ボクの影の他にパイプをくゆらすおっさんの影絵が現れるではないか・・・・『へえ~』っと 光の前を行ったり来たりすると
  いろいろなパターンで影絵が現れてきた。 しばらくすると3人組の女の子が入ってきて ボクが手で影絵を作って遊んだりしているのを見て
  真似をしだした。 このとぼけた影絵は、鑑賞者参加型展示ということで 案外楽しめ、このあたりからドンドン楽しくなってきたのである。

              
               このボケボケの映しだされた映像は 詩の朗読と共に少しずつ変化していったが、これが意外に良かった。
               このビエンヌの街は独、仏語両方が用いられる言語境界の街であるが、この詩はフランス語で『視覚』に関する
               哲学的、詩的な内容で良かった。

   

  今回、ボクはイイと思ったのは 何故か停止した写真ではなく、映像であったし、 実際 映像の作品が多かった・・・。
  今や、映像も写真という認識がなされつつあるのだろうか? わからないが。

  そして、今回ボクがもっとも気に入ったのは この作品(映像)であった。
   
   路上でダンスする人々・・・といっても素人ではなく ダンサーによるダンスが次々と音楽と踊り手をとっかえひっかえ
   際限なく現れてくる映像が 映画館並みの大きな映像で映しだされてくる・・・ こりゃ~楽しかった。

  だけど、静止している写真で 味のある イイ写真を見たかったなぁ~。