uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
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お山の紅白タヌキ物語 第19話 最終回 「平和!」

2024-02-21 06:51:33 | 日記

 1943年9月30日御前会議で日本は降伏すると決した。

 だがいつ降伏を宣言するのか?

 どうやって国体護持を認めさせるのか?

 その問題を討議しなければならない。

 

 実際のこの後の歴史では、絶望的な戦いが続く中、首脳部は降伏の決断ができなかった。連合国側からポツダム宣言が発表され、日本の無条件降伏を勧告されてもである。

 その理由は、日本の首脳部が最後まで心配していたのが『国体護持』(天皇制維持)であったから。

 つまり彼らが心配していたのは国民の安全ではなく、天皇制の保全であった。

 国民にどれだけの犠牲を強いても守りたかったのが天皇制。

 その是非についてここでは触れない。

 ただ、歴史の事実として踏まえておくとする。

 

 とにかく無条件降伏を受け入れれば、連合国側(主にアメリカ)の意向で天皇制を廃止すると言われたら抗えない。

 日本の立場として、それだけは何としても避けたい。避けるためにはどうすべきか?

 

 早速検討チームを作り、世界情勢を調査・分析し、最良の時期を(どの時点で降伏するか?そのタイミングを)推し量らねばならない。

 また、どのようにして有利な降伏条件をひきだすか?

 この二点を慎重に見極める。

 但し時間はない。こうしている間に戦死する兵士が増え続けているから。

 

 まず大本営・政府合同で雪江タヌキから得た情報を詳細に分析し、アメリカ・ドイツ・ソ連の動きに特化した作戦工作実行部隊を編成した。

 雪江タヌキの情報では最重要課題として、終戦直前の原爆投下とソ連参戦を何としても避けなければならない。

 そのためできるだけ早期に有利な講和条件を引き出すための対米工作、その延長線上としてソ連の参戦阻止を講じる必要がある。

 

 未来情報では重要なターニングポイントが三点ある。

 一点目、1943(昭和18)11月22日のカイロ宣言。英・米・中の戦後処理を目的にした連合軍側会議。

 二点目、1945年(昭和20)2月4日ヤルタ会談。こちらは米・英・ソ。

 三点目、1945.((昭和20)7月26日ポツダム宣言。これも米・英・ソ。

 

 この三つに共通するのは、対日戦後処理が議題であること。

 カイロ宣言では蒋介石が天皇制の国体護持を(条件付きで)提唱している。

 ヤルタとポツダムは英米側からソ連の対日参戦を求めている。

 

 カイロ宣言は、大本営が最後まで懸念していた国体護持を支持しているという意味で重要であるが、日本にとりそれ以外の意味は希薄である。

 対してヤルタとポツダムはソ連の対日参戦が議題である以上、日本にとって極めて重要であった。

 

 と云う事は、ソ連参戦を阻止するために、ヤルタ会談前に日本が降伏していなければならない。

 しかもただ降伏するだけでなく、その後ソ連の侵略を阻止するため、直ちにアメリカと単独講和条約・安全保障条約を結び、ソ連をけん制する必要がある。

 それにもうひとつの条件としてドイツがまだ踏ん張り続け、ソ連軍をヨーロパに釘付けにし、極東に軍を移動し展開させない事。

 更なる条件として、ルーズベルトを筆頭とした日本憎悪のアメリカ社会の雰囲気を変えなければ、日本側が希望する降伏条件も講和条件も実現不能なので、対日感情氷解が絶対である事。

 

 以上、対外最低条件は見えてきたが、対策を今から本気で進めなければ総ては水泡に帰す。

 

 出来れば1944年(昭和19年)9月15日のペリリュー島戦闘前には形を作っておきたい。

 

 まず、そう言った意味で、一番の重点事項は対米工作にある。

 アメリカ政府要人の懐柔工作を実施しなければならないが、誰をターゲットにし、どう懐柔を進めるか?

 検討の結果、当時アメリカに次々と避難していたユダヤ人たちに目を付ける。

 ユダヤ人社会は既にアメリカ経済を掌中に収めつつあり、徐々に発言力を増していた。

 彼らに接近し日本とユダヤ人の美談を広め、ユダヤ人社会、しいてはアメリカ社会の世論を懐柔する。

 

 そのために用意したのが杉原千畝駐リトアニア領事館・領事代理の命のビザのエピソード、及び今回の終戦工作の首謀者、樋口季一郎北部軍司令官の満州時代のオトポール事件(オトポール駅に足止めされたユダヤ人救済)の美談を活用し、アメリカ国内のユダヤ人社会からアメリカ全体に日本人敵視を止め、擁護し、反戦世論を作り出すために、アメリカ人に化けたタヌキ部隊を含む工作部隊(特務機関員)を送り込んだ。

 

 樋口季一郎自身は、自分の過去の行いをユダヤ人にとっての美談に仕立て上げられるのを固辞し続ける。

 しかし、他の有効な方法が思いつかない以上、これで行くしかない。

 東条首相以下、他の首脳に説得され、渋々了承した。

 

 そうした経緯の後、アメリカ本土に潜入した特務機関員の活躍で、アメリカ国内で親日エージェントを多数募り続ける。

 この作戦にどれだけの効果があるか不明だが、今はできる事をできるだけやる。それしかない。

 

 戦時下のアメリカ国内では対日憎悪が蔓延し、どす黒い霧のような雰囲気で満ちている。

 雪江タヌキはそうしたアメリカ全土の憎しみにまみれ汚れた空気を浄化すべく、神通力の持つパワーを最大限解放した。

 

 空気の浄化?

 

 人間の呼吸は、吸う空気に影響される。また呼吸の仕方にも。

 悪い空気や呼吸法によっては、不眠症になったり成人病や精神疾患を誘発する。

 よく空気を読むとか、悪い雰囲気とか言うが、それらは皆人間が空気の作用に深く影響されているから。

 だから良い空気を供給するだけで、人の心は良い方向に変えられる。

 雪絵タヌキが神通力で空気を浄化する意味はそこにある。

 人間が吐く息を浄化し続けるだけで、悪感情や底意地の悪い空気を良い空気に変換し、一国の世論すら変えられるのだ。

 アメリカ中の広い国土をカバーする浄化作用を維持するのは、メガトン級の尋常じゃないパワーの神通力を必要とするが、雪絵タヌキがお地蔵さまから授けられパワーアップした意味もそこにある。

 

 もとよりお地蔵さまが授けた神通力の源は、慈愛の心を根幹とする。

 だからその力の正しい使い方は、「人々の憎しみを消し去り、愛と平和を求める心を植え付ける」のを本分としている。

 雪江タヌキはアッツ島での悲惨で厳しい戦いを潜り抜け、その経験から今になってやっと正しい力の使い道に気づいた。

 だから自分の行動に信念と確信を持ち、精力的に動く。

 アメリカの人々の憎しみの心を浄化するために。

 でも一度浄化出来ても、人の心は直ぐに汚れる。それをまた同様に浄化する。それを繰り返すうちに、少しづつではあるが沁みついた汚れが洗濯する作業でとれていくもの。

 そんな浄化作業を根気よく幾度も続け、ようやく開戦当初より対日憎悪をうち溶かし、反撥無く受け入れられる程に憎しみの感情を希釈できた。

 更にタヌキ部隊や日本の工作員の活躍により、スパイとまでは言えないが、民主・共和両党要人の中に、日本に同情的な意見を持つ者の形成に成功する。

 特務機関員からその結果報告を受け、日本は非公式の降伏意思を匂わせるような情報をアメリカにさりげなく流した。所謂いわゆるアドバルーンである。 

 

 アメリカ首脳部にさざ波が起きた。

 

 アメリカ側の責任者で、対日参戦の立役者ルーズベルト大統領は、深刻な高血圧に悩まされている。

 彼が大統領在任中、病に悩まされながら死の間際まで戦争を指導していたのだ。

 当時の医療水準で高血圧は有効な治療法が確立されておらず、死亡率の高い病気だった。

 彼は人前では人種差別の考えを持つ自らの正体を微塵も見せず、進歩的な素振りで有権者を騙していたが、実は筋金入りの差別主義に凝り固まっている人物である。

 特に日本人に対して。

 彼がどれだけ日本人を差別し憎悪していたのか?

 それは彼が人々に語った言動で分かる。

 それはまだ第二次世界大戦が勃発する前の彼の姿勢と主張。

 1937年9月6日、「世界の政府間の平和のために、アメリカは先頭に立ち大掃除をする準備がある。」

 ついで10月5日、シカゴで演説。世界で進行している枢軸国の侵略行為を非難、彼らを病人になぞらえ隔離すべきと主張している。

 更に日本人に対しては「日本人の頭蓋骨は我々より2000年遅れている」とのスミソニアン博物館のハードリチカ研究員の発言を受け、「人種間の差異は人種交配を促進すれば文明を進歩させられる。インド系、ユーラシア系、アジア系の人種を交配させるべき。だが日本人は除外する。」



 余計なお世話である。


 

 だがレイシストのルーズベルトは、自分の狂気を正当化し本気でそう発言している。

 1941年(昭和16年)11月26日、ルーズベルトは日本に最後通牒である「ハルノート」(コーデル・ハル国務長官の覚書)を突きつけた。

 これはアメリカ政府の公式な通告ではなく、ルーズベルトの意向を受けた単なるハル国務長官の覚書に過ぎない。

 その内容は、日本が絶対に受け入れられない内容の条件を迫る交渉文書である。(要するにルーズベルトの脅迫であり、罠であった。)

 

 アメリカに突きつけられた日本には、ふたつにひとつの選択肢しか残されていない。


 戦争か国家の滅亡か。


 日本をそこまで追い詰める意思を示したのは、もちろんルーズベルトの罠である。

 それ程彼は日本憎し、対日戦争論者だった。


 つまり彼が対米講和の一番の壁であり、戦争終結のキーマンなのだ。 

 

 この時日本の特務機関とタヌキ部隊は、主にアメリカ東海岸に展開している。

 政治経済の中枢、ニューヨークやワシントンで移民してきたユダヤ人や政治家を中心に接触を試み、特にユダヤ人の中で杉原千畝や樋口季一郎の救出に関わり、命を救われた者たちを捜索し、当時の体験談を取材した。

 その内容をニューヨークタイムスやワシントンポスト紙に美談として掲載させる。

 大手マスコミの懐柔を含め、これらの工作活動は困難を極めたが、寸部の互いもなく組織的連携で成功させた。


 その結果、アメリカ世論に変化が生まれ、そろそろ戦争を終わらせるべき、との意見が出始める。

 その空気を読み、ルーズベルト大統領の側近から社会の動向変化が伝えられた。

「大統領、こちらを御覧ください、有力各紙が掲載した記事です。

 この中にはユダヤ人の体験談が載っており、ジャップの美談として危険な論調の記事になっています。

 このままでは、非戦論が主流になってしまい、戦争継続が難しくなります。

 如何いたしましょう?この動きを妨害し、弾圧しましょうか?」

「そうか・・・しかしもう少し様子をみよう。弾圧は推移を見定めてからだ。」

 身体の不調から気力が萎え、新たな施策などに手出しをする余裕がない。

 だから暫し様子を見ると誤魔化し、たがが緩んでしまったのだろう。

 しかしその判断が対抗策を手遅れにしてしまう。

 危険水域に達した時は、もうすでに遅かった。

 厭戦世論の影響は政権周囲にまで及び、ルーズベルトはその空気の変化に敏感に反応するしかない。

 彼は自らの死期が近いと悟っている。

 だが自分の在任中、何としても力づくでジャップどもをねじ伏せたい!

 本当なら完膚なきまで叩きのめすのだが、私の残り時間は少ない。

 その焦りが頑なな心を弱らせ、中途半端なまま降伏を受け入れ、不本意ながら単独講和に踏み切った。


 1945年4月12日ルーズベルト大統領が脳溢血で死去。

 憎しみの政治を以て歴史を刻んだ稀有の大統領だった。


 大統領の死の知らせのほんの少し前、アメリカ政府が降伏受け入れと単独講和の意向を日本に伝えると、その反応を待ち望んでいた日本政府と軍部が素早く動く。


 それまで一般の軍と国民に秘匿していた雪江タヌキの未来情報を、陸海軍の主要下士官クラスまで公開した。

 それは降伏方針の決定に反発し、強硬派士官達が反乱を起こさせないための事前措置である。

 更に降伏後の戦後処理計画まで伝え、軍全体に浸透、実行させるために。

 

 南方戦線に残る兵士たちの撤収計画の策定や、満州の関東軍・居留民や朝鮮半島の日本人を円滑に混乱なく帰還させるための計画を下士官に発表・説明した。

 

 この時点で日本のインフラは、戦争末期と比べまだ戦災の影響を受けておらず、人員等の輸送・機動力をかろうじて保持している。

 またこの時点のソ連軍はドイツと激闘を繰り広げており、満州の関東軍を攻撃する余力は無いし、その心配もない。

 だから史実では関東軍が満州等の日本人居留民を見捨てる愚挙を晒していたが、今なら居留民避難完了まで守備を継続、全日本人の撤収作戦を成功出来る。

 

 今をおいて他に撤退のタイミングはないのだ。

 

 1943年(昭和18年)12月8日、同年11月22日のカイロ宣言を受け、世界向け放送で昭和天皇のお言葉並びに、東条首相が全面降伏を宣言した。

 

 これにより日本本土以外の各地に散らばる日本人撤収作戦を、つつがなく実行。

 これでペリリュー島の玉砕やレイテ沖海戦、硫黄島玉砕の悲劇は避けられる。

 たくさんの命を救える!未来を知る誰もがそう思った。

 

 雪江タヌキの行動により、人類の歴史を変えた瞬間である。

 

 今後はどのように推移するのだろう?

 それは雪江タヌキの未来予知の神通力を以てしても分からない。

 何故なら雪江タヌキが予知能力を発揮できるのは、本来辿るべき歴史についてだけである。

 改ざんし変容した歴史では雪江タヌキの他、誰にも予知できない。

 

 敗戦は誰だって悔しい。

 あれだけ血を流し、歯を食いしばって頑張った挙句の負け戦。

 多分、今後はアメリカに隷属する情けない立場に堕ちるだろう。

 

 でもどんな苦境に遭っても、日本人の不屈の闘志があれば、必ず誇りと自信を取り戻し、アメリカ人どもに「どうだ!」って胸を張れる日がくる。

 きっと来る!

 そう信じて前を向こう!と合言葉のように固く信じた。

 

 任務を終えた雪江タヌキたちタヌキ部隊は、東条や樋口の任務解除命令を受け、故郷に帰還した。

 

 故郷の人々や、帰還を待ち侘びていたお山のタヌキ留守部隊は、お祭り騒ぎのような喜びを表す。

 皆戦争などしたくはなかったと、今は大っぴらに堂々と言える。

 愛する兵士たちの無事帰還は無上の喜びであり、人々は希望と幸せを実感した。

 

 雪江タヌキは早速お地蔵さまに帰還を報告、手を合わせる。

「お地蔵さま、私は無事ここに帰ることができました。

 数々の御助力と励ましのお言葉、ありがとうございます。」

 お地蔵さまは温かい眼差しで

「よく戻った。

 雪江タヌキの働きには、天も喜んでいるぞ。

 本当にご苦労であったな。」

 と言ってねぎらった。

 

 雪江タヌキは何の疑いも無くお地蔵さまに接するが、果たしてこのお地蔵さま、その正体は何だろう?

 そこいらにありふれた一介の石地蔵などではあるまい。

 だって一介の石地蔵に過ぎないのなら、おせんタヌキや雪江タヌキに神通力を授ける奇跡など起こせる筈はない。

 彼女らが当然と思っていたお地蔵さまの能力は、決して当たり前などではないが、それを不思議だとは露ほども思わない雪江タヌキ。

 

 彼女にとってお地蔵さまはお地蔵さまであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 あのお方の正体がたとえ神様や仏様であっても関係ないのだ。

 

 ただただ平和を取り戻せた幸せを噛み締め、明るい未来を信じる雪江タヌキ。

 

 

 一方、お地蔵さまの近くに住み、お世話をしてきたあの晶子と圭介兄妹。

 

 まだ少年にすぎない圭介がまだ父の帰還を待つ不安な日々を過ごしていた戦争中のある日、お地蔵さまと雪江タヌキにお供物を供えながら呟いた。

「父ちゃんはいつ帰るのだろう?

 僕はもう、父ちゃんの顔さえ思い出せなくなってきたよ。

 ねえ、お地蔵さま。

 どうか僕たちの父を無事お返し下さい。

 どうか、どうか、お願いします。

 

 それにしてもどうして人間はいがみ合い、戦うのかな?

 同じ人間なのに殺し合うのだろう?

 

 僕は川で捕まえてきたメダカが共食いするのを見たんだ。

 それに近くの野原で捕まえたバッタも。

 メダカもバッタも、悲しいけど生きるために共食いするのは仕方ないと思う。

 けど、人間たちは「自分は高等生物」って威張っているけど、共食いするバッタたちと何処が違うんだろう?

 生きるために共食いする彼らと比べて、自分の欲や我儘を押し通すために力づくで相手の財産や命まで奪うなんて、どこかおかしくない?しかも集団でだよ。

 もしかしたら、メダカやバッタより、人間の方が下等生物なんじゃないかな?」

 

 いつまで経っても帰らない父。何処にもぶつけられない不満をお地蔵さまたちにぶちまけた。

 

 そんな圭介の呟きを聞いて、子供たちにそう思われる大人たちって情けないな、って雪江タヌキは思った。

 

 

  そんなある日、突然出征から帰還した父ちゃんを見て、晶子と圭介は飛び上がらんばかりに喜び、夢中で駆け抱き着いた。

  父ちゃんのお腹に顔を埋め、今までの寂しさと不安を吹き飛ばさんばかりに甘える。

  それをお地蔵さまと並んで見ている雪江タヌキ。つくづく平和の尊さを実感した。

  日本を降伏に導き、戦争を終わらせた自分の決断と行動は、間違っていなかったと心から確信できた光景である。

 

  自分は自分の子供に戦争の悲惨な体験など、そんな思いをさせたくない。

  明るい未来を作らなきゃ!

 

 

  雪江タヌキはお山に残る幼馴染の健吉タヌキと久しぶりに再会したが、何だか以前の幼馴染とは違う。

  ほんの少し前に離れていただけなのに、一人前のおとなになったよう。男らしさが際立って見える。

 


 「久しぶり。元気そうだね。・・・・。でもなんだか前の雪絵ちゃんとは別人みたい。

  なんだろう?おとなになったというか、眩しいというか・・・。

  でもまた会えて嬉しいよ。これからは以前のように毎日会えるんだね。

  ボクね、あれから頑張って妖術をたくさん覚えたよ。

  今度見せてあげるね。」

 「私もまた会えて嬉しい!そう、たくさん術を覚えたのね?あなたの術、是非見てみたいわ。

  それに健吉さんも一段と逞たくましくなって、とても頼もしいって思う。(素敵になったのね)

  明日から毎日会えるのね。楽しくなりそう!」

  一部恥ずかしくて言葉にならなかったが、割合素直な気持ちを伝えられたと思う。


  それは(本人は気づいていないが)雪江タヌキもそうなのだが。

  ふたりは気づかぬままに成長し、一人前の男のタヌキと女のタヌキになっていた。

  そしていつしか二人は互いに思い合うような仲になり、とうとう祝言をあげる。

 

  雪江タヌキは白無垢を羽織り、晶子と圭介が作ってくれたお地蔵さまとお揃いの真っ赤な外套を身にまとう。

  その姿は眩いばかりで、白と赤の花嫁衣裳がより雪江タヌキの美しさを際立たせた。

 

  彼女の祝言での見事さと美しさは後々の語り草になり、今に繋がる伝説となる。

  そして幾多の戦功により、政府からお山の片隅に真新しい紅白を基調とした小さな祠が祀られた。

 

 

 

  沢山の命を救い、平和をもたらした使者を讃えるために。

 

 

  

 

 

 

 

         おわり

 

 

 

 

   あとがき

 

 

 多分読者の皆様は、タヌキたちの活躍で颯爽とアメリカ軍を撃退するストーリーを期待してくれていたと思いますが、ご期待に添えなくてすみません。

 私もそういう物語にしたかったのですが、この戦争をシビアに見た時、圧倒的な国力差はタヌキの超能力を以てしても如何ともし難く、更に原爆投下阻止や、ソ連参戦阻止を成し遂げるのは無理との結論に至りました。

 もちろん元々荒唐無稽のお話なので、いくらでも無茶な設定にするのは可能ですが、あまりに現実離れしたストーリーは稚拙に思え、私には書けませんでした。

 それに加え、この物語はお地蔵さまから超能力を頂く以上、殺戮による解決は意に反し矛盾するため、日本勝利の展開は残念ながらいくら考えても不可能なのだと考えました。

 但し、ただ負けただけでは済まさない!

 日本はいつしか卑屈な戦後レジームから復活すると信じ、この物語を閉めようと思いました。

 今後の日本の奮起を期待して。