フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

愛するということ 3

2020-08-30 18:39:22 | 【過去】私の過去

 若い私は、愛についても、幸せについても、何も理解していませんでした。ただ自分が頑張って、母を幸せにしたいと思っていました。母から、「好きな人ができたら、私じゃなくて、その人を泣かせないトヨ」と言われたときは、母から突き放されたような寂しさを感じていました。

 大学生になって、妻を愛するようになって、ドイツやフランスの、いくつかの心理学者や哲学者が書いた「幸福論」や「愛について」の本を読みました。その大半は聖書の話などを引用しているもので、どうしても私には馴染めないものでした。

 そんな中で、私はエーリッヒ・フロムが書いた「愛するということ」という本に出会いました。

 エーリッヒ・フロムは、ユダヤ系ドイツ人で、新フロイト派の中心的人物です。代表作は「自由からの逃走」という本ですが、1956年に出版された「愛するということ」は、世界中で翻訳され、日本では1959年に出版されています。聖書から引用した部分もあるのですが、

 その本の中で、

 まず、愛は受動的なものではなく、能動的な活動であり、自らが踏み出すものであり、愛は与えるものであり、愛は 与えられるものではないと論じています。そして、与えるということは、何かを犠牲にしたり、何かを諦めたりすることではないと強調しています。

 次に、愛するためには、その技術を学ばなければならないと主張しています。そして、学ぶべき技術とは、「配慮(相手を積極的に気にかける。気遣い)」「責任(相手が求めてくることに積極的に応じる)」「尊重(相手の気持ちにたって相手の意見を聞く)」「知(相手のことを深く知ろうと努力する)」という5つの要素であるとの述べています。

 最後に、愛するためには、この技術を一生をかけて実践し、習得しなければならないと結んでいます。

 この本は私が手に入れた時は黄色で、今は新訳の白い装丁しか手に入れることは難しいようです。私は両方を持っていますが、マーカーで線を引き、付箋を貼り、ボロボロになった黄色い装丁の本をめくるたびに若い頃の想いがよみがえります。

 私は若い頃からエーリッヒ・フロムが唱える愛する技術の習得に努力をしてきましたが、愛する技術を習得することは難しい。すこし、諦めています。しかし、私の若い頃の人生の指針になったことは確かです。

 これは、双方が同じ想いを抱いて人生を送ってこそ、実現可能な理論です。

 妻にそんなことを話しても、

 「youさんだけ頑張って。私はムリ」と言われるに決まっています。

 この年になったから言えることですが、「エーリッヒ・フロムは、自分自身が唱えた愛する技術を習得したのかナ。そんなことはないよね」なんて・・・・。

 (ごめんなさい)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする