フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

私の年末の過ごし方

2020-08-26 22:24:33 | 【過去】酔いどれサラリーマン日記

2006.01.01

私の会社は、年末は31日から、年始は元旦から3日間です。

私の年末。その間、飲んでいなかったのかというと、やっぱり飲んでいました。

28日は、
 支店の課長が別の店の支店長に昇格し、そのお祝い。
 支店長として、こんなに嬉しいことはありません。もちろん私は推薦していたのですが、人事ばかりはママならぬことが多いのです。支店の課長以上5人で中華料理屋で飲みました。部下の支店長昇格の喜びも手伝っていたのか、大変美味しかったです。最近、中華料理を食べる機会が多いのですが、和風中華居酒屋といった感じで、しつこくない味付けが、これはこれでナカナカいいのです。安価で北京ダックを食べさせてくれます。天神の「天天幸包(テンテンシャンポウ)」と言う店でした。

29日は、
 支店長格以上の社員が集まって会議がありまして、会議の後、久しぶりに、私の後輩で、昔から仲の良い4人で飲みました。それぞれ支店長とか、副部長とかいう肩書きになっているのですが、会えばすぐに20年以上前に戻って、私を含めて○○さんとか○○ちゃんとか、ニックネームで呼び合い、盛り上がります。最近は、私がバカな話をして、みんながそれをバカにするパターンとなっています。店は行きつけの店のひとつで、天神の「ゆず」という店です。地鶏と蕎麦料理の店で、最近はもつ鍋もやっています。安くて美味しい!昔はいつ行っても空いていたのですが、最近は結構繁盛しています。

30日は、
 仕事納めで、早く退社し、息子とデパートに背広などのリクルートグッズを買いに出かけました。未だにコシパンをしているような息子ですが、リクルートとなると結構オーソドックスなものを選ぶのにはビックリしました。本当は背広はイージーオーダーでと思っていたのですが、間に合わないということで、プレタポルテにしました。
 その後は、グラス片手に朝の6時まで、年賀状作成に励みました。

31日は、
 3時間睡眠で起床。運転免許を取ったばかりの息子をつれて、息子の運転練習をかねて、糸島へドライブに出かけました。途中、マリノアシティ(ベイサイドのアウトレットモール)で買い物をして、午後から車、自室、風呂を掃除し、夜は、久しぶりにテレビを見ながら、家族と食事をしました。というか私は飲んでいました。そして、新年を迎えました。

 今年は、息子の就職、末娘の就職など、我が家にとって大切な一年になりそうです。どうか、今年が、私にとって、妻にとって、子供達にとって、家族みんなにとって、

 良い年になりますように・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は酩酊状態でした

2020-08-26 21:52:48 | 【過去】酔いどれサラリーマン日記

2005.12.28 

昨日は酩酊状態でした。

 取引先との飲み会だったのですが、2次会で転倒するし、帰りのタクシーではとんでも無いところで降りてしまって、免許証や健康保険証やCDカードの入ったケースは落とすし、途中の道端では転ぶし、大変でした。

 朝一番の仕事は喪失届。職業柄、担当の部下女子社員に、
 「ゴメン。キャッシュカードの喪失設定をして欲しいんだけど・・・・」
 「誰のですか?」
 「ボクの・・・・」
 「エッ!どうして? 無くされたのですか・・・・」
 「それが、酔っぱらって覚えとらんと・・・・」(一同笑)

 別の女子社員が、
 「支店長、酒臭いですよ」(一同笑)

 喪失設定が終わって、別の女子社員が、
 「支店長、地下鉄の方から、電話です」
 電話をとると、
 「財布をお預かりしていますので、取りに来て下さい」
 「わかりました。すみません」(一同笑)
 
 名刺入れとは別に、免許証入れの中にも予備の名刺を入れているので、免許証と名前が一致したことから、支店に電話をしていただいたようです。その後、受け取りに行ったのですが、中身はそのままの状態で、預けられていました。ラッキーです。(さすが、日本。しかし、私は10年ほど前、ボーナス支給日に飲みに行って、30万円程度入った財布を失って、そのまま戻ってきませんでした。いつもは、その10分の1も財布に入っていないのに、その日に限って・・・)

 私のキャッシュカードはクレジット機能やその他の機能が付いたキャッシュカードなので、一度、喪失設定をすると、再発行しか無いのだそうです。それで正月はキャッシュカードなしで過ごすハメになりました。

(残念・・・。)

 不思議なのは、タクシーで帰ったのに、どうして地下鉄にキャッシュカードが届けられたのか。酔っぱらって覚えていないので、わかりません。でも、そのままの状態で戻ってきたから、マァ、イイか。

 つぎは取引先に電話です。副支店長が、
 「支店長、取引先に電話されとった方がイイですよ」と言うのです。

 あくまでも陽気で、しかし少し陽気すぎたようで、取引先の課長(女性)に抱きついたり、取引先の男性役員にキスをしたりしていたそうです。覚えていません。
 役員、
 「昨日は、ご迷惑をかけまして、すみませんでした」
 「イヤイヤ。楽しい飲み会でした。また是非ご一緒しましょう」
 私が抱きついた課長、
 「昨日は、ご迷惑をかけまして、すみませんでした」
 「イエイエ。楽しかったです。いろいろと教えていただいて・・・・」

 私は何を話したのか、何をしたのか、何を教えたのか、全く記憶にありません。

 バカチンですね、私は・・・・。そして今日も社員の異動があったので、飲んで帰ってきました。年賀状、まだ書いていません。どうしよう・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私と妻の昔話 5 いま 1

2020-08-25 23:36:11 | 【過去】私と妻の昔話

 妻は私が帰ってくると、私につきまとって(言葉がきつかったらごめんなさい)、その日の出来事を、子供や孫や友達の話を、私に報告をします。

 私は毎日のことなんで、

 「ほぅ。そう。それで。へぇ。そうなんだ。」を繰り返しています。(真剣には聞いていません。それは妻も解っていると思います)

 それから、妻は私の健康のことに話が移って、

 「体の調子はどうネ。まだ、体が痛いト?  痛ければ仕事休めばイイヤロモ。」 

 「そういう訳にはいかないよ。おまえと違って仕事をしているのヤケン」と言った、妻は私の素っ気ない態度が気に入らなかったようです。

 続けて、「今日テレビでコロナに罹ったら重症化しやすい人の特集があってたけドガ、みんなyouさんは当っとうガ。コロナに罹ったら、youさん死ぬヨ。私は知らんケネ。近寄らんでネ」

「私に罹つさんでデネ」とテンションを上げてきました。

「俺は、おまえ罹つされても、仕様がないと思うよ。だって夫婦だから。一緒に生活をしていれば、罹したり、罹つされたりすることはあると思うよ。以前に、おまえから酷い結膜炎を移されても、おまえを責めたりしてはいないよ。どうしようもない話だと思うよ。まだ罹つってもいないことでケンカするなんて無意味じゃないか」と私は言いました。

 妻は納得していない。どうして、どこで、納得していないのかは解らないのだけど、30分後には二人で楽しく夕食をしました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私と妻の昔話 4

2020-08-21 23:53:01 | 【過去】私と妻の昔話

妻の両親に結婚宣言(??)、婚約披露パーティ(?)の数ヶ月後、妻から、

「私の中学と高校の友達がYOUさんに会って話がしたいと言っているんだけど、会ってもらってもいいかな?」ということで、妻の実家で、妻の親友達5人と会いました。

 妻の友達は「妻が○○家の一人娘だということがわかっていて、しかも自分から結婚を申し込んでおいて、どうして養子にならないの」という趣旨の話を、次から次へと畳み掛けてきました。

 私は「僕は長男だから養子になることは出来ない。しかし、妻と妻の両親は、自分の家庭と同じように大切にしていくつもりだ」というようなことを繰り返していました。私は、妻の親友たちに、私の気持ちを論理的に説明しても、返り討ちに遭い、私が妻を失うか、妻が親友を失うだけだと思いました。結果はたぶん私が妻を失うことになると思いました。途中から、ただ黙って酒を飲み、妻の親友たちの話を聞き、酔い潰れてしまいました。

 妻の親友たちも、妻と妻の両親も、私の妻との人生に対する決意に対して懐疑的であるのは当たり前のことだと思います。妻の両親と彼女たちも、その時点で、私に対する信頼度はゼロで、自分の娘を、自分の親友を、将来も知れない男に、自分の娘、自分の親友の将来を託すわけにはいかないと考えていたのだと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体が痛い 4

2020-08-21 23:53:01 | 日記

 今朝、妻に起こされてベットから降りようとしたら、左膝に激痛が走り、しばらくベットに腰掛けてうずくまっていました。先日まで私の体の中で痛む箇所の中心は左腰だったのですが、左膝が、今朝、爆発しました。

 昨日、少しだけ左膝に違和感を感じていたのですが、まぁ大丈夫と、見逃していたのが原因です。

 今朝、朝食の後、ボルタレンを服用し、モーラスを痛む場所に貼り、痛みが治まるのを待って、妻のアッシー君を務めていました。

 これから先、私はこの病気と一生付き合っていくのだと思います。たぶん、この先、いつか、歩行機能の衰えにより、妻との旅行も出来ない身体になるのだと思います。

 私は、この年齢で、未だに現役の仕事を続けています。それはありがたいことだとも思うのですが、しかし、若い頃、妻に誓ったことを、まだ、やり残したままだと思っています。妻との残された日々を、悔いを残さず、なんとか実現したいともがいています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする