生んでくれた人にたどれる記録を息子が入手したようだ。
相手の戸籍からは除籍になって我が家の戸籍に入っていますが、生んだ人の直系であることは間違いない。それを証明できれば今は他人でも戸籍を入手できるそうだ。よくわかりませんが、役所によって対応は様々なようで絶対にダメと断れるところと、事情を察して記録を出してくれるところがあるらしい。
生んだ人は愛知県内にご存命で会う手段はありそうです。ちなみに私には全くの他人なので記録を見てはならない。
私は養母となるため、里子に当たる息子の本当の心情は計り知れません。相手の方がご存命であっても、幸せであっても、また不幸であって苦労していてもどんな結果でも息子は傷つくような気がする。何でって、なんとなく。
生んだ人を探し始めた息子にかける言葉の重要なところは決して自分の話はしてはならないということです。初めて会った時の私の気持ちなど息子は興味ない。大切なところは生んだ人がどんな感じだったか、どんな人だったのか、どんな気持だったかを知りたいんだろう。
生んだ人が現在どういう状況なのか、話してくれるなら聞くだけに留めるしかない。自分の意見は言わない方が息子の気持ちに寄り添える気がする。
この先生んだ人との関わりを持ちたいなら、それが息子の本望であるならそうすればいい。我が家は旦那さんの家の分家だし、跡取りは重要でもない。じじいとばばあ(夫と私)は捨てても構わん。親にしてくれてありがとう。ほんとに幸せでした。今でも十分幸せです。ばばあ引っ込んでろ!とかデブ!とか暴言も気にしない(嘘だが)とにかくどんな結果でも息子を世界一愛していることに変わりはない。
こんな心象なこといってて忘れてしまいそうなので書いてみた。
14年ぐらい前?小学校の運動会の写真。
息子も私も運動会が嫌いだった。特に親子競技・・3年生で親子競技がなくなった時はありがたかった。このころは「うるせえデブ!」などと暴言は吐いてかったなあ(苦笑)
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