ミクシィからの転記です。
僕も参加しているコミュ、「合い言葉はmanpuku!」でも有名な、ZZR1400の先人でもあり、マイミクにもしてもらった友達、「ながちゃん」さんこと、永井学さんが亡くなりました。
死因は心臓発作とのことでしたが、あまりにも悔やまれてなりません。
本日、18時からのお通夜に参列し、しばしの別れをしてきました。
でも、今でも信じられません。
ZZR1400に惚れ、必死に貯金してた頃、広島でもオーナーさんがいるはず!!と探しまくって見つけたのがながちゃんさん(のブログ)でした。
ようやく納車して、すぐの8月、カワサキバイクマガジン祭り&2りんかんまつりに参加するため、静岡県の浜名湖ガーデンパークまでチャリダーさんとロングツーをしました。
途中の福山SAにおるけぇ♪ と、ながちゃんさん。
出発が22時だったので、あたりは真っ暗。
にも関わらず、見送りに来てくださったのがながちゃんさんでした。
そう、当時の、あの、ピンクのZZR1400です。
それが初めてのながちゃんさんとのご対面でした。
第1印象、「でっかいおっちゃん」(・m・ )ププッ
でもね、なんか懐もでっかい感じもしました。事実でかかった。
23時過ぎだったのに、小一時間くらい?(実際には30分くらい?)ZZR1400についての小ネタやウィークポイント、特徴など、いろいろと教えてくださいました。
バイクもでっかいけど、気持ちもでっかい!!そんなかんじでした♪
ながちゃんさん自信、ZZRを降りるときに「このバイクのおかげで友達が山ほどできた♪いいバイクだ♪」というだけあって、本当にいいバイクです♪
同じバイクに乗ってて良かったって思ってます♪
翌年の1月、初めてのmanpuku?ツーリングに参加。
その前の晩は、おうちに泊めさせていただき、晩ご飯もご馳走に♪
コロナ温泉にも連れてっていただいたし、パーツも安く譲っていただきました。
このパーツ類は手放しません。
その初ツーで行ったのが、今では僕の中で定番になってる「カキオコ」ツーです。
ながちゃんさんのバイクに対する情熱は僕のなんかとても太刀打ちできないほどハンパなく、ツーリングの回数もハンパなかった。
もちろん家庭に対する愛情もハンパないのは言うまでもなく。
それからというもの、幾度となくツーリングのお誘いをいただきました。
さすがに前日とかは無理があったんで、キャンセルせざるを得ないときも多々ありましたが、今はそれが悔やまれてなりません。
もっと一緒に走っておけばよかった。
ながちゃんさんは、ただそこにいるだけでみんなを笑わせてくれる、グループでのムードメーカーでした。
ながちゃんさんが一緒にいて、笑ってないツーリングはなかった。
楽しくないツーリングなんてなかった。
ご一緒させてもらったツーリング、といっても数えるくらいですが、全部「行ってよかった♪」と思えるものばかりでした。
福山と広島、同じ広島県内なのに、なぜか遠い。
でもたまに電話をかけてきてくれては「元気しとるぅ?」と、いろんな話をしてくれました。
そんなながちゃんさんが、亡くなりました。
親友とまでいうほど親密ではなかったにしろ、仲良くしてくださった友達です。
それだけに残念でなりません。
通夜に参列中、どれだけ「うっそぴょ~ん♪」と出てきて、このしんみりとした空気を打ち破って欲しかったか。
棺の中のながちゃんさんは、本当に眠っているだけのようでした。
棺の上のヘルメットとグローブ、シンプソンのジャケットを着て寝ているながちゃんさんの姿を見たとき、娘さんや同級生の子供達が見ている中なのに、涙がこらえきれませんでした。
参列されていた、ながちゃんさんのバイク仲間の方々もみんな同じでした。
僕よりも遙か前からながちゃんさんを知っている人たち、悲しみは僕の比ではないと思います。
それだけ、ながちゃんさんの死はショックでした。
でも、1400GTRを駆るながちゃんさんの姿をもう見ることはできません。
その姿は僕たちの記憶の中に、心の中に。
僕たちの心の中で、ながちゃんさんは走り続けている、いてほしい。
明日の葬儀には参列できませんが、広島の地より、ながちゃんさんのご冥福を心からお祈りしています。
「ほいじゃぁ、またのぉ~^-^ノシ」みたいなかんじで、GTRで旅立っていくながちゃんさん、勝手にそんな想像をしました。
僕たちもやがてはそちらに行く日が、遅かれ早かれくることでしょう。
それまで、しばしのお別れです。
ながちゃんさん、安らかに。
僕も参加しているコミュ、「合い言葉はmanpuku!」でも有名な、ZZR1400の先人でもあり、マイミクにもしてもらった友達、「ながちゃん」さんこと、永井学さんが亡くなりました。
死因は心臓発作とのことでしたが、あまりにも悔やまれてなりません。
本日、18時からのお通夜に参列し、しばしの別れをしてきました。
でも、今でも信じられません。
ZZR1400に惚れ、必死に貯金してた頃、広島でもオーナーさんがいるはず!!と探しまくって見つけたのがながちゃんさん(のブログ)でした。
ようやく納車して、すぐの8月、カワサキバイクマガジン祭り&2りんかんまつりに参加するため、静岡県の浜名湖ガーデンパークまでチャリダーさんとロングツーをしました。
途中の福山SAにおるけぇ♪ と、ながちゃんさん。
出発が22時だったので、あたりは真っ暗。
にも関わらず、見送りに来てくださったのがながちゃんさんでした。
そう、当時の、あの、ピンクのZZR1400です。
それが初めてのながちゃんさんとのご対面でした。
第1印象、「でっかいおっちゃん」(・m・ )ププッ
でもね、なんか懐もでっかい感じもしました。事実でかかった。
23時過ぎだったのに、小一時間くらい?(実際には30分くらい?)ZZR1400についての小ネタやウィークポイント、特徴など、いろいろと教えてくださいました。
バイクもでっかいけど、気持ちもでっかい!!そんなかんじでした♪
ながちゃんさん自信、ZZRを降りるときに「このバイクのおかげで友達が山ほどできた♪いいバイクだ♪」というだけあって、本当にいいバイクです♪
同じバイクに乗ってて良かったって思ってます♪
翌年の1月、初めてのmanpuku?ツーリングに参加。
その前の晩は、おうちに泊めさせていただき、晩ご飯もご馳走に♪
コロナ温泉にも連れてっていただいたし、パーツも安く譲っていただきました。
このパーツ類は手放しません。
その初ツーで行ったのが、今では僕の中で定番になってる「カキオコ」ツーです。
ながちゃんさんのバイクに対する情熱は僕のなんかとても太刀打ちできないほどハンパなく、ツーリングの回数もハンパなかった。
もちろん家庭に対する愛情もハンパないのは言うまでもなく。
それからというもの、幾度となくツーリングのお誘いをいただきました。
さすがに前日とかは無理があったんで、キャンセルせざるを得ないときも多々ありましたが、今はそれが悔やまれてなりません。
もっと一緒に走っておけばよかった。
ながちゃんさんは、ただそこにいるだけでみんなを笑わせてくれる、グループでのムードメーカーでした。
ながちゃんさんが一緒にいて、笑ってないツーリングはなかった。
楽しくないツーリングなんてなかった。
ご一緒させてもらったツーリング、といっても数えるくらいですが、全部「行ってよかった♪」と思えるものばかりでした。
福山と広島、同じ広島県内なのに、なぜか遠い。
でもたまに電話をかけてきてくれては「元気しとるぅ?」と、いろんな話をしてくれました。
そんなながちゃんさんが、亡くなりました。
親友とまでいうほど親密ではなかったにしろ、仲良くしてくださった友達です。
それだけに残念でなりません。
通夜に参列中、どれだけ「うっそぴょ~ん♪」と出てきて、このしんみりとした空気を打ち破って欲しかったか。
棺の中のながちゃんさんは、本当に眠っているだけのようでした。
棺の上のヘルメットとグローブ、シンプソンのジャケットを着て寝ているながちゃんさんの姿を見たとき、娘さんや同級生の子供達が見ている中なのに、涙がこらえきれませんでした。
参列されていた、ながちゃんさんのバイク仲間の方々もみんな同じでした。
僕よりも遙か前からながちゃんさんを知っている人たち、悲しみは僕の比ではないと思います。
それだけ、ながちゃんさんの死はショックでした。
でも、1400GTRを駆るながちゃんさんの姿をもう見ることはできません。
その姿は僕たちの記憶の中に、心の中に。
僕たちの心の中で、ながちゃんさんは走り続けている、いてほしい。
明日の葬儀には参列できませんが、広島の地より、ながちゃんさんのご冥福を心からお祈りしています。
「ほいじゃぁ、またのぉ~^-^ノシ」みたいなかんじで、GTRで旅立っていくながちゃんさん、勝手にそんな想像をしました。
僕たちもやがてはそちらに行く日が、遅かれ早かれくることでしょう。
それまで、しばしのお別れです。
ながちゃんさん、安らかに。