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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

地域活性化を実践するActive Media です。

ヤマトタケルの母

2010年07月29日 | プロフィール
 昨日一日は随分濃い日でした。映画で言えば力作の3本立てを一日かけて見たような感じです。そのひとつ、以前からクマソのドラマ制作に関連して話しているヤマトタケルのことです。クマソの地、熊本県人吉球磨地域にいってクマソ復権のドラマを制作したり山江村の村おこしをしているうちにどうも自分の故郷加古川市がヤマトタケルに縁が深い土地であったことに気づきます。

 わたし自身は随分長い間全く知らなかったのですが日岡山という丘陵は宮内庁の管轄で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の母、播磨稲日大郎姫の墓といわれています。加古川という川はヤマトタケルの産湯に使われたとの伝承もあります。日本書紀でクマソ征伐のくだりを読むとどうみてもヤマトタケルよりはクマソタケルのほうが人間が大きく立派です。クマソタケルは騙し討ちにあった相手を勇敢だからといって自らの名前を授けるのですから。ヤマトタケルのはタケルは勇者という意味でクマソの死に際にもらった名前ということになります。

 そういうことで立ち位置的にはあまり居心地は良くないのですがクマソやエミシ(も征伐したということになっています)への恩返しをしなければいけないような気持ちがずっとあります。山江村に始まった地域活性化の動きもどこかにその気落ちがあります。昨日は中学校からの同級生で電機関連会社の社長に自宅周辺にあルと聞いていたヤマトタケルの産湯に使われた石桶(石臼のよう)やヤマトタケルの母の墓などヤマトタケルコースを話を聞きながら歩きました。
 そして昨日はその後不思議と素晴らしい奥の出会いがあったのです。大阪のホルモン焼うどんの女将など佐用町応援団もそのひとつです。


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