民放時代にテレビドラマを作るというと最低3,000万円から5,000万円が必要との伝説がありました。多分今も変わらない相場でしょう。私が初監督をした熊本県民テレビ発「平成元年のタイムスリップ」は営業経費等も入れて当初の予算は約500万円でした。実質はほぼ350万円の制作費です。それでも営業担当者が苦労して集めてきた額でした。ですから日テレ系列局では日本テレビや読売テレビでしかドラマは作れないという話が伝説のようになっていました。
では、どうしたか?
テレビ局の相棒のSさんが自分でシナリオの原案から脚本までを書きました。その脚本を手にして私を執拗に口説く彼の情熱にほだされて全く素人の私が監督を引き受けることになってしまったのです。それにしてもこの計画は無謀でした。著名な役者を使う金がないどころか、役者をどう集めるか?から迷路にはまり込みました。最終的には熊本県内の劇団を全部回り、自分で直に会うことから始めました。オーディションもしました。田舎の熊本で主役の女子高生を探すのは流石に困難を極めました。しかし、いつものことなんですが・・、動いていると全く想定外のところからひょっこり主役の女子高生が登場してくることになりました。知り合いの高校の先生に話してくれたという人の話で学校図書館を訪ねてみると、・・数分後にやってきた女子高生にびっくりでした!! 私が頭の中で絵に描いたような爽やかな女の子がニコニコしてやって来たのです。「やってもいいですよ」の一言で即、主役が決まりました。その高校生はその後、マスコミ界で活躍することになります。
最終的には日本テレビ系列のお仲間テレビ局でこのドラマを買ってくれる局が次々と出てきて制作費350万円の日本初の、いや恐らく世界初の手作りドラマは日テレ系各局放送と「黒字」という足跡を残して次への布石を打ちました。相棒のSさんも次へ次へと脚本を書き、私も独自にドラマ制作のプロセスが地域にアイデンティティを取り戻し、地域住民の皆さんが誇りを持って生きていくとても大切な芸術活動と身体全体で感じ取り嵌っていきました。とうとう4作目には予算も何とか半分の1,500万円までは作れるようになりました。
完全オリジナルの二つのテレビ作品という商品!! それはもう一つの地域おこし応援番組とこのドラマ制作のノウハウに詰まっています。私のプロデューサー修行はこんなところからはじまりました。そして寺島しのぶさんや美保純さんが東峰テレビでロケをしたNHK地域ドラマ「たからのとき」の原案になっていくという巡りに繋がっていきました。