休校、売り切れ、ニュースを伝える放送局の人達が感染しましたとかにならないことを願う日曜の朝は、穏やかな早春のひざしがあふれている。
ちなみに、同居の家族はしばらく自宅待機だ。その分給料も減るのだろう。
そして、ピアノはいいとして、歌の練習ができなくなる。
介護施設のほうからは「しばらくボランティア受け入れを中止します」と電話を頂いている。
昨夜、結婚祝いを送りたいドイツ青年からメッセンジャーに連絡があった。
私の、いつのメールに対してなのか、現住所に加えて「自分たちのことを思ってくれて嬉しい」なんて書いてあった。
「メール全部読んだの?」「アジア発のモノは送れるの?」と返したら、リアルタイムでオンラインになっていたらしく、その場で、
「Ach,so!」に始まって、ネットで調べるとか言ってきたから、「送れない状況ではないと思うけど、送っていいのかな?」って聞いてみた。
そうしたら、郵便でウィルス感染はしないからKein Problem!(no problem) ということだった。
なーんだ。さすがのドイツ人も、そこまで神経質ではないんだな。
それにしても、遠い国とこんなにリアルタイムにつながれるなんて本当にすごい進化だ。いいことばかりではないだろうけれど。
大大大大大昔、ドイツの小学校に通っていた頃。日本からの荷物は船便で2か月かけて届いていた。
雑誌小学1年生2年生を定期で送ってもらっていて、それがくるのがこの上ない楽しみだった。
茶色の紙の、ころんと分厚い郵便物。それが、2か月前の号。
今は、小学1年生以外は廃刊になっちゃったな。話が飛ぶけど、旺文社の「時代」学研の「コース」とかも。
雑誌の売れ行きもどんどん減少しているとか。でも、「幼稚園」は、付録人気がすごいようだ。
毎日が連続していたはずなのに、気が付くと、社会のインフラがものすごく変化している。
うちで育てた家族が保育園生のときは、まだピッチですら持っていなくて、それで、(ここから怨念吐露になります)
運動会のあと、私はその年クラス委員に当たっていたのですぐに帰れなかった、
我が家ではその日運動会終了後、義理の家族宅に集まることになっていた、
運動会は終わったのに帰ってこない家族1名、大ひんしゅくになっていたのだ、
連絡手段はなかったし、でも、委員なんだからっていうことくらいわかるだろうが!と当時も今も思う。
珍しく朝のうちにピアノ弾いてみた。練習中のバッハのシャコンヌ。
朝の光の中で弾くのは気持ちが良かった。
2011年5/30 ドイツ青年が帰国する日の成田空港
たのしかったなぁ
船便の話、そうでしたよね
私も小学校をタイで過ごしました、日本からの雑誌がだいぶ遅れて届くのが、本当に楽しみでした(^^♪
ピアノでのボランティア活動頭が下がる思いです、音楽でどんなに癒されたことか・・・応援しています!