『日日是好日』予告
基本、誰かが普段に着物を着たり、お茶をたしなまれているのを見るのは嫌いじゃない。 ていうか、とても素敵だ。良いなあと思う。 とはいえ、自分は、ゆるい靴下の暮らしが一番好きなので お作法の件は棚に上げておくけど・・ この映画のテーマが、多分今の私のテーマと重なるところがあって、 わかる。わかるわ。(って、偉そうにいうのも、ずうずうしいですが・・) お茶の作法や姿勢をとおして、その向こう側にあるものを感じるっていうのは、 とても良いなと思いました。 お菓子のなかに、季節や自然を投影し、 雨の音、風の音、水の音、虫の声 静かな茶室から 耳を澄まして聞いてみる。 晴れた日、雨の日、五感で「今。この時」を感じる。 生きていると、悲しいこと、つらいことにも、思いがけずぶち当たったりするけど 良いこと悪いこと含めて、自分の人生なんだから、全部を慈しむ。 うれしいときは喜んで 悲しいときは悲しんで。 |
でも、どんな日も好い日だと、素直に言えない日もあるかもしれない。 なにかを呪いたくなる気持ちが、ふつふつと湧いてくる日もあるかもしれない。 戌年の初釜に使うお茶碗に、可愛らしい犬の絵が描かれていて でも、この茶碗を使うのは、戌年の初釜の時だけ。 あとは、12年後の戌年まで桐箱に入れてしまったままなのですって。 12年後に自分がどうなっているか、わからない。 この悠長な時間の流れに身を置いて受け入れる。 そういう視点があると、つらいときも、いずれ時間が解決してくれるんだと 未来から今を見て、乗り越えて行けそうな気がします。 (まあこの辺は、あくまでも個人の主観ですけど) |
それから樹木希林さんのことで思い出したんですが、 カンヌ映画祭常連の是枝裕和監督の「海よりもまだ深く」っていう映画を、その前に見てたんです。 この映画の希林さんは、主演の阿部寛さんの母親役、団地住まいの普通のおばさんの役でした。 インスタントコーヒーの瓶の中ブタの紙を、あえて剥がさないで そこにスプーンか指かなにかで、ぶすっと刺したような1円玉くらいの穴。 希林さんが瓶を持ち上げて、そこから二つのマグカップに コーヒーをシャシャッ、シャシャッと振り入れてお湯を注ぐ一連の動作。 そのスイカに塩をかけるみたいな大雑把さの中に、垣間見えた手際の良さよ。 「おぬし、やるな」という感じで、侮れませんでしたわ。 お茶の先生とは、全く逆方向なのに どこか通じるところがあって、おもしろかった。 なんというか・・ 樹木希林さんは、どこにでもいるようで誰も真似できない女優さんだったなあと その存在感を今さらながらですが、思いました。 |
元々茶道に、、というか千利休に興味があって
樹木希林さんが好きだったので感動しました。
今、「利休の闇」を読んでいます。
「利休にたずねよ」も面白く読みました。
利休の「一期一会」「わびさび」など日本独特の世界観ですよね。
oraiさんのモノクロの写真にも、そのような精神が流れているのだと、納得しましたよ。
希林さんの派手ではないけど上質のものを求めるような感じ、利休に似ているかもしれないですね。
私は着物仕立てが出来るのですが 30年以上仕立てから離れているので
今は全然できないと思いますが ちょっとした繕い物などは苦が無く出来るので
昔得た技術は活かされてる?様です。
茶道 華道にも興味がありましたが ご縁が無かったです。
和と云えば京都👘の気がして京都へ そして お隣の大阪にも行ってみたいと思っています。
素直に生きるのは大切
でも何事も過ぎるのは良くない
子供の頃 若い頃 歳を重ねた今 それぞれに素直の意味が同じ様で何か違っていて
丁度良い😊が難しくて 深く考える今日この頃です。
針仕事が苦でない方には、尊敬の気持ちしかありません。
ハートさんのコメント読みながら、
母方の祖母が七五三の着物とか、浴衣とか縫ってくれて、そばで見ていて、できあがるのが楽しみだった、幼い頃を思い出しました。
当時は気づかなかったけど、自分はいろんな人たちに支えられて生きてきたんだなあと、あらためて思います。
祖母はずーっと前に亡くなって、今さらお礼を言うこともできないけど、心の中でずっと感謝しています。
関西は、京都、大阪、奈良それぞれ特徴があるというか個性が違っていて、全部回りたくなりますね。
関東の田舎は、どこも田んぼばっかりです・笑。