サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(136)……何処に行こうとどの様な状況であれ?人は悩むもの

スマートニュースで『精神科医が娘に送る心理学の手紙』……というのがあった。
韓国でベストセラーになった本とのこと。
抑鬱状態になる原因分析、タイプについての解説。

先ず『学習性無力感』を仕入れているタイプの人。虐待とかイジメによって『自分ではどうにもならない理不尽』に晒され、『自分の無力感』を学習してしまった人である。

子象のとき足を鎖で繋がれて育った象は、大人になって簡単にその鎖を引きちぎる事が出来る様になっても鎖に繋がれたまんま過ごしてしまう。
こういう状態になっている人の心理は絶えず『自分の無力感』に支配され……新しい自分の情報でソレを上書きする事が出来ないのだという。

一方で万能で物事をテキパキこなせる人もまた酷い抑鬱感に苛まれる事が多いという。
このタイプの人は、恥ずかしさとか屈辱感をネタにして抗鬱状態になる。

こういう人は、失敗か?成功か?……人を見て判断するのも善人か?悪人か?の二者択一的で中間の遊びのゾーンが欠落している……と。
ちょっとした失敗も彼に取っては失敗と断ずるのだという。

『自分に対する処罰の基準が厳しい人』も抗鬱状態に陥り易いという。
このタイプの人は『やたら良心的な特徴』を持っている。自分の成功の中に、キツイ競争心とか攻撃性がある時、無意識に自分を責めてしまうのだという。


「私はダメな人間だ」「自分ではどうすることもできない」「私には幸せになる価値もない」……自分に向けられた冷ややかでネガティブな視線。これが憂鬱な気分の背景だ。……と著者は指摘する。

んでね?

どの様なタイプ・ルートを生きても、『それ相応の悩み』を与えられる様に人間は出来てるんだ?……と僕は思った。
『憂鬱な気分』は『思考の源泉』なのだという著者の指摘はとても腑に落ちた。

この人は尊敬出来るな!と思える人を見る時、タイプは違えど必ず深い思考力を駆使していることが共通点なのである。
老若男女誰を捉えても、リスペクトの感情を想起させられる人達はそれが共通している特徴なのである。

言い換えれば?何時も何かしら悩んでいる。
ま、だから思慮深いのである。
何時かも書いたけど……その悩みを人に話すことはとても大切な自分の位置確認となる。
ソレはとても勇気を必要とするけれど……人に話せたら?その悩みの解決はその時点で時間の問題となり……やがて必ず終わる。

何処まで行っても……人の悩みは尽きない。
尽きないから思考もまた尽きないのである。
ソレを他人に話すことによってその悩みは解決・完成を見る。

要するに『人は……人を必要としている』ってことなんである。
人と関わり生きて行く事を恐れてはならない。
問題は『どんな人と関わり生きて行くか?』なのである。



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