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サンチョパンサの憂鬱

分かった積もり……

村上春樹の小説『風の歌を聴け』の最初に『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないのと同じにね……』というのがある。

完璧な文章?……全ての人間に伝わる文章?ってな意味なのか……?
勿論、普遍的な意味と価値を持つモノを全ての人間に伝える言葉、文章というものはあり得ない。

普遍的な意味と価値自体が存在するのか?……実存主義者はそんなものは無いと答える。
無いものを探す事は……不条理だと。

他者に伝え、分かって欲しいと願うのも人間だけど……その相手は限られる。
分かる人は分かり、分からない人は永遠に分からない。

自分が、大切に思っている事が人に伝わり理解して貰える?……そういう前提を生きるから軋轢や摩擦が生じるのだと思う。『伝わる訳が無い』として生きる時、初めて『自分独自のモノを背負う覚悟』が出来るんじゃないか?

人に分かって貰いたかった僕は、結果幾つもの無理解や不支持を浴びて……やっとそう思う様になった。
僕は……長いこと人間界の当たり前を不思議にして生きていただけだったと。

自分の願いとか望みとかが、あり得ない、叶い様のない無い物ねだりだった。自分の想いの一端でも伝われば奇跡なのだと感じる様になった。

その前提の変換は僕をとても自由にしてくれた。
『僕もまた……他者を理解出来ないのだ』という当たり前が手に入ったからだった。

散々僕を悩ませ続けた数々の何故達が一気に姿を消したのだった。
何故?あの人は分からないんだ?!は……それは『あの人だからだ!』という風に……。

分からなくて良い!分かる筈がない!
という諦めはドラスティックに人を自由にするのだと知ったのだった。

その諦観は僕を分かって欲しい!から僕を分かる筈がない!に変えた。
僕をガンジガラメにしていたあらゆるタガが外れ、僕は僕に真剣になった。

理解という奴は……人各々、ピラミッドを横に切った様なモノだと思う。
切る場所が底辺に近い所程、その理解の面積、範疇が広がるけれど……それは全部っていう事じゃない……。

己事究明(こじきゅうめい)……自分は何者なのか?

これは他人を理解しようとする程、楽じゃない。
『分かった積もり』が一切通用しないからである……。
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