という表題の僕の過去のブログが未だに時折読まれている。
これと同様に、世の中にまことしやかに罷り通ってる『誤解』がある。
大人は……事情が変われば平気でそれまでのお付き合いの信義を破り捨てて、裏切って見せたり?手のひら返しによって当て擦ってみせたり?……。なぁ~んて大人がやたらと増えてしまった。
不実をニヒルと都合の良い誤解をしてみせ、不正を融通を利かせる?なぁ~んて『自己都合の翻訳』に走るのである。
以前書いたのは……毒を知らないまんま安全ばかりを生きて来た人には練り込まれていない未熟な人格の弊害が漂う。
御本人は至極『自分の綺麗事』にご満悦の風情であるから始末が悪い。
拠ん所ない?事情を抱えた人が致し方なく不義理をする。大人ならその人の事情を慮ってそれに触れずに然りげ無くやり過ごす?
ソレが人の痛みを知る大人の人間たる流儀なんだけど……。
幼稚な綺麗事に夢中になって生きて来た人はそれが出来ない。
『それを指摘し、断罪する人間的な罪』にまで幼稚な神経は回らないのである。
いい歳をして『純粋と幼稚の混同してる人』の罪深さ……。
こんなのが『いい先生・熱心で真面目な先生』なぁ~んて呼ばれ、デリケートな子供の心を傷付けたりする。
これとは逆のナアナア、ダァダァのヤリタイ放題の人もまた多く、得意技は『無神経な多勢に無勢の術』を多用する。
悪行三昧を止めるのは『キツイ抗議をする』以外に手はない。
両者とも『無知と無礼』がベースにあり、知ってか知らずか?…それが彼等のホームグラウンドなのである。
そんな両者の人間達?
彼等は傍若無人の強者なのか?
長く生きてみて最近分かったことがある。
何をどう振る舞い見せても……?
その人それぞれの人生にはこれまでの『その人の全部の思考と、取り組みの精神エネルギー』がそのまんま『正味』で立ち現れ表現される様になるということである。
若い時分には?
随分と腹を立てたり呪詛の言葉を吐いたりもしたけれど……。
『可哀想にね……』
最近僕は、そんな人を目にすると無意識にそう呟く様になった……。
そんな人達が、余りにも痛々しく映る様になったからである。