サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(133)子供が社会の宝だった時代は?

子供が社会の宝だった時代は?何処に行ったのだろう?
ここの所、小中高生の自殺が突出して増えているとニュースにあった。

子供達のメンタリティが死を選択する社会ってのは『異常』だという『当たり前』がこの国では掻き消えている。
一方で『少子化問題?』なぁ〜んて言って大人達は渋面作って考えているポーズを取るのである。

居場所を失った子供達が大久保公園でたちんぼとなる。
そこまでは想像力の範疇で理解出来る。
問題はソコに『すり寄っていく大人達』の深刻な病理だろう……。

その状態を見てもなお『弱みにつけ込む?』という選択肢。
そんなのしか『行動する大人』は居ない。

溺れている人間が居るならば?
まずその人間を即座に『水から引き揚げること』である。
少年少女を追い込む原因として『ネットだ、SNSだ云々……』『イジメだ』と『深刻演劇』を演ってるコトのマヌケさ加減……。

『家庭の状況』が少年少女達に安全を提供出来ない状況がある。ソレを良い悪いと演る前に、
先ずは『水の中から引き揚げて』、『安全な環境』を与えること。 

公的機関の児相?なぁ〜んてのがかえって邪魔になってるんじゃね?
どうしても法律的に?なぁ〜んて『出来ない理由』ばかりが語られる異常である。

原因分析なんぞは…後の話。取り敢えずは『掬い上げる場所を確保』すること。
『子供を守るネットワーク?』なぁ〜んて尤もらしいネーミングで場所を確保する。活動の主体は学生を中心としたボランティア。

その会の責任者に『昔の名前がご立派な人』にご出陣願う。そうすりゃ邪魔立てする公的な組織も遠慮するんじゃね?
そこで、落ち着いてから児相などに移動させる。

『親の意向?優先』という原理原則は『現実に即して』動ける様に法改正して貰うことも必要だろうなぁ?
『出来ない理由作り』に法律を盾にするなぁ〜んておバカ演ってる時じゃないと感じる。切実に。

例えフィジカルな生命が何とか維持できても、メンタルが死んでしまっちゃ人生は始まらないから……。
腐りきった大人のオッサンの欲望のはけ口に少女を犠牲にして使い込んでる国……。

なんと言おうと……これ事実です。
フジテレビの問題より、逼迫、切迫している切実な状況だと思いますよ?

オールドメディアのテレビなんかもこの一連の取り組みをキャンペーン化して『少年少女達の安心安全な居場所』を確保してみれば良い。
その存在感はあっという間に確固たるものとなりますよぉ……。

『人の役に立つ存在』になればね?良いんです。情報情報って騒いでもね?鶴瓶が飲み会に行ってた?なぁ〜んて情報……なぁ〜んも人の役に立ってないのよね。

水戸黄門の印籠の様に使われてる『情報』もね?人の役に立つモノじゃなきゃ……廃れていく定めにあるということ。

も一度……『マトモな大人』って何なのか?
ココから考えてみましょうかね?



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