……といってもこの国の中だけでだ。
ワインはアルコール入りの飲料の一つだけど、テニスもゴルフも一つのスポーツに過ぎないけれど……。
この国の住人の多くは、この三つのアイテムに勝手に妄想したのだった。
それは戦争でこの国の文化、政治、経済の根幹を破壊されたせいかも知れないけれど。
それと関わりを持つだけで、変身の魔法にかかる事を夢見た。
関わりを持っただけで、選ばれしエスタブリッシュメントになれた気がしたのである。
その悪夢の残像は今尚色濃く残っている。
ワインと聞いて、得体の知れない強い嫌悪感を表す者がいて、一方でそれだけで高揚感を得てしまう者もいる……。
殊更に好む者……殊更に忌み嫌う者…。
それは勝手な思い込みであって、そこにワインはテニスはゴルフはあるだけなんだけど……。
その妙な高揚も嫌悪も……戦後の喪失感の遺伝子の様なものだ。
昔……テニスクラブに通う主婦達にスポーツ用品を売っていた時期があった。
グループでいる時に……彼女達は競って高額なラケットを買った。
個別に家に行くと、2900円の特価のカットソーを買うかどうするかで随分と長い時間迷うのである。
その様はイタクて、哀しかった。彼女達はテニスに期待してた。テニスが自分を高級に文化的にしてくれる!……そう信じてるみたいだった。
ワインなんてものについて未だに語りたがる奴が多いのは……そんな文化的困窮者達の末裔?なんじゃないか?と思う。
テニスもゴルフも『どんな人間が?』演るのか?って事が問題なのである。
ワインを、飲んでるのはどんな奴かって事だ……。
ベンツがヤ○ザさんに何も上げない様にワインが人間に何かをプレゼントしてくれる事なんて無いのである。
ITの問題とよく似てて『道具・手段』がその人のスキル・コンテンツに格段なレベルをプレゼントすることはない。
ワインを・ゴルフを・テニスを『どんな人間』が『どんな目的』を持ち『どの様に表現』する為に『使うのか?』によって『それらの道具達』は生きもするし猫に小判にもなるのである。
闇雲に『道具に期待する』前に……『自分どんな人間になりたいのか?』、『何を表現して生きるのか?』先ず『目的を明確』にしてから『最適の道具達探し 』を開始して欲しいと願うのです。