しかし……後から足止めて考えると包装紙だけで……『コイツには儀礼で対処し、適当にうっちゃっとけば良い❗』という冷ややかな人間観に基づく扱いだと思い至る。
何も相手の要望を何でも聞き入れるって言うんじゃなく……『YESかNOか?』ソレをハッキリ伝えるのが相手の尊厳に応える態度だと思う……。
何故か?……自分がそんな態度を取った時も取られた時も……座りの悪い違和感を感じるからである。
答えの中身云々じゃなくアナタの申し出……正面から受けましたよ❗という反応こそが大切なんだと……。
コレは一つの例であり、この手の『包装紙的な対応』を大人の必須技術と勘違いしてる人が多い……。
そんな対応が相手の人を傷付ける?なんて幼稚な話じゃなく……肝心の自分の門戸を狭め、瑞々しさを失っていくという話である。
何しろ……そんな儀礼的対応をしたり顔で演ってる人は時間と共に寂しい人になっていく。
類友を呼び……飲み会さえも儀礼的にこなしてるのを見ればとても痛々しくさえ感じるのである。
他者への対応はそれ一つで完結しないのである。
物理学の『作用と反作用』の法則そのままに……自分の力が作用し……後に『それ相応の反作用』がその人のもとに返却されるのである。
いけない❗また理屈っぽくなってしまった……。
要するに……人間は人間なのだから、『人間の範疇』でやり取りする事が大切だよね?って言いたかった。
会食風景を眺めてると、笑った直後に凄く寂しそうに真顔になる人多く……『自分のホント』を話せてない『不自然な大人』が多いなぁ?と感じるのである。
何から何まで本音なんて言わない。
しかし真剣な申し出には『NO』の時こそ誠意を以て対応したいよね?という話でした……。
ま、コレも先般書いたけど『人としてのプラットフォーム』をどの様に設定して生きてんの?……って話。
話す相手が議員であれ社長であれ下っぱであれ……相手によって『付和雷同する仕切り線』じゃなく、『人間相手という首尾一貫』するプラットフォームがないと小賢しい処世術で上手く演ってる積もりで最終的には何も掴めなかった?なんて人生になっちゃいますよ❗って言いたかった。