昔から責任のない綺麗事を言う奴は嫌いだった。地球を大切にする前に貴方は『自分を大切にしてるの?』なんてシニカルな言葉を我慢できずに吐いてしまって僕は……当然人と上手く演れる筈などなかったんだけど……。
兎に角……喧嘩は止めて!仲良く演りましょうよ~なんて事情も分からず安易な平和を口にするブスの学級委員見たいな女が生理的に受け付けられなかったのだ。
それでも経済に夢の欠片でも残ってた時代は
直接的な感情を発露させる余地はあった様に……思う。
失われた二十年、三十年の間に、少しずつ少しずつ……気が付けば世の中は、形式だけに削ぎ落とされた綺麗事の手続きが主流となった。
テレビの街頭インタビューでは、先週見たニュース番組の解説者の薄っぺらいコメントそのままに、『私、分かってるでしょう?』的にその上澄みをなぞって見せる奴ばかりになった。
ネットにタカった人の多いネタが『今は!』的にニュースと紹介される。
それは決して新しい訳じゃなく喜んでる凡庸の数が多いだけ……なんだけど。
たとえばそれは走ってた犬がコテンと転ぶだけだったり……ね。
おっと……そんな事はどうでも良かった。
今やっとそんな現象の流れが止まり、ユックリと反転し始めてるんじゃね?……と言いたかった。
ヨロシク上手く綺麗事を散りばめながら実の所、自分を留守にし切ってた生き方が行き詰まりを見せている。
鉄壁を誇った様に見えていた楽に生きる為のマニュアルというマニュアルが呆気なく沈んで行く……。
玉石混淆あれど……コンサルと言われる人達が、安閑安楽の時代を忘れられない大衆の未練を拾い集めてはカネに変えんと躍起になっている。
自分で確かめた事など一つもないない絵空事だけど……それでも彼等はイケシャアと綺麗事を口にする。
藁をも掴みたい人達が一時の熱に浮かされた様に、興奮してそれを真に受ける。
彼等はそれを信じてるんじゃなく……ただ自分以外の『何かを信じたいだけなのだ!』……と思うけど。
『自分以外』に頼る術は無いけれど……それでも彼等は頑なに自力を拒否しながら『自分以外の』方法や手段を求め続けるのである。
三十年間、歩みを止めて綺麗なだけの形式に頼りきって生きて来たこの国は……これからを切り拓く為のたった一つの特効薬にして万能薬の『自分を頼る勇気』を消し去ってしまったのかも知れない……。