昨年同月(2月)対比が市場予想の3・1より強く3・2となった。
……という『ストーリー』で今現在ニューヨークダウも日経平均先物も二百数十ポイント上昇となっている。
ま、とても馬鹿げている?
それに一喜一憂させられる僕自身……おバカな生き方してるなぁ?とつくづく。
僕は左ではない。資本主義反対を声高に叫ぶ気もない。
しかしリーマン騒動を招いたアメリカ発の『新自由主義』って奴に対しては……どうにも違和感満載となっちまうのである。
懐古趣味で言うんじゃなく、80年代末までの資本主義は『人間の為の装置?』そんなニュアンスを感じることが出来た気がする。
今の時代のカネを手にする者の勝ち誇り方?は如何ともし難く下品極まりないのである。
取り戻すのに『努力が効かない格差』の中で
『カネさえ有れば?』という短絡・刹那の欲望を抑えきれなくなった貧民層のそのメンタル。これまた人間業とは思えないほど捻じくれ陰湿な怒りを抱え込んでいる。
持てる者。持たざる者。
この両者とも新自由主義なぁ~んて『カネのみが唯一の価値観』という欲望の流行り病に罹患し『人間のファンダメンタルズ』を完全に喪失してしまった様なニュアンスが漂う……。
上品だの下品だのを語れる土俵をとっくに踏み破り、蜘蛛の糸のカンダタの様な地獄演劇を見せられている様な気にさせられるのである。
誤解を恐れずに言えば?『人間の要件を欠いた人間』の様でさえある。
お前はどうなんだ?と言われれば『欲の虜シンドローム』に取り込まれそうな状況?と告白せざるを得ない。
実はこれ書いてる間に二回中断してニューヨークやシカゴの状況を覗きに行った事も白状します。
んじゃ?何故?そんなにエラそうに評論してるんだぁ?なぁ~んて声が聞こえ来る。
我田引水の理屈じゃなく……僕が唯一つ胸を張れる事がある。
僕は……辛うじてそんな『醜悪な自分とその欲望を認識している』ということである。
不徳・悪徳の宝庫たる自分の心の中を『僕は知っている』、まだ麻痺しきってはいない……。
恥ずべき自分を知っている事だけが『僕の命綱』であることを認識出来てる内は大丈夫だと
僕は自分を許し生きている。
『無知の知』、『無恥の知』の人間界の最低限度は自覚がある……筈?……と。
最近気付いた事がある。
僕がカネを欲しがるのは『僕にはカネが乏しいから?』だと思っていたが……。
様々な経済や株式の掲示板を覗き見ると?
カネがある人ほど今あるカネをひけらかしながら『もっと、もっと、もっと』って欲しがりながら生きていた。
地獄の一番辛い罰は?
賽の河原での石積みだという。毎日毎日石を積み上げる。やっと終わったと思ったら鬼が来てその石の山を蹴っ飛ばす。
また石を積み続けなきゃならない……『この際限の無さ』こそが一番の苦役……罰という訳である。
視点を少しばかり変えると……新自由主義って人間に『際限の無い欲望の積み上げ』という苦役を強要している?に過ぎないんじゃね?
……とそんな事を最近考えている。
『オレはお前より株数多くもっている?
オレは〇〇億を投資している?
お前の様な貧乏人は指咥えてみてるだけにしろや!』……こんな応酬で欲望の掲示板は埋め尽くされている……。
まるで……カンダタとその下から蜘蛛の糸を登ってくる亡者のやり取りかの様な殺伐として救い様、救われ様のない心根と心根が戦い絡み合っている。
コレ?……生き地獄って奴かもな?
名誉欲、自己顕示欲、金銭欲、支配欲……。
欲に支配されると?とても辛い……?
欲という欲は尽く……終わることが無い、尽きることがない、その際限の無さという性質のせいだと思う。
子供の頃ハインリッヒ・シュリーマンの少年時代の伝記を読んだ事がある…。教会に生まれた彼はトロイの神話に取り憑かれ……本気でその遺跡を見付けようと決めた。確か?九歳頃だったか?
彼は実業家となり大成功した。(カネ持ちになった)
四十代後半から彼はその儲けたカネをトロイの遺跡探しに惜しげもなく注ぎ続けた。
そこから二十年を超えて彼はやっとその夢を実現したのだった。(実は彼は第一発見者からその権利をカネで買った?そんな説もあるけれど……)
その発見の経緯はどうでも良いと思う。
彼は少年時代の自分の夢の為に大いに働き稼いだ。そのカネを惜しげも無く自分の夢に注ぎ込んだのである。彼に取ってそのカネは自分の夢の実現の為の手段、道具として使い切ったのである。
今にして彼の生き様はアッパレ!だと思う。
僕にも数十年思い続ける夢がある。
その夢はグラつき何時も頼りなく揺れ動く。
それでも消え去ることはなく、僕の中心で生きている。
そこらのアンチクショウ、コンチクショウはどうだって良い。直ぐ忘れることだって出来る。
しかし、『夢は僕を許さない』のである。
僕の嘘は直ぐ見破られ自己嫌悪の罰を与えてくる。
ここからは『その夢と勝負』である。
この夢のお陰で僕は辛うじてカネに魂を売り渡すことなく生きて来れたのだ。
死ぬまでに自分の夢の姿を現実の中に見てみたいと思うのである。
ハインリッヒ・シュリーマンの様に……。