『コレから』に真正面から取り組む意欲を中々持てない状況があること……。
『今あるモノ』は既に在るのだから疑い様はない?
ソレはモノであれ、カネであれ、評判であれそのおこぼれで良いから分け前を欲しがる様になるのは当然かも知れない。
しかし?また『今良い?』とされるものが時の経過と共に忌み嫌われる職業へと変化するのは世の常なのである。
その一つに『安定感と聞こえが良い』という事で人気だった『教職』がハードワークでブラック職業だとなり?今はとても不人気だという。
未来に向けて『自分で作って行く感覚』が失われたのは何時の頃からだろう?
自分がアクセクせずとも、『今あるシステムに乗っかる』方が楽だという選択に流れる人が多数派となって久しい。
そんな単純なファクターで未来を決めた人達が幸せになったのか?
と言えば日々SNSなどの記事を読むと『こんな筈じゃ無かった?』なる嘆きの事例が目白押しとなっている。
『名ばかり学歴』の保有者は早ければ30代、40代でリストラに遭ったりもする。
若い時分に選んだ職業を発展的にこなし続けた人ってやはり二割程度しか居ないという事実。
学歴という呪文、有名企業という呪文……世の中に喧伝される様々の呪文達……中には手に職をつける?なぁ〜んて呪文もある。
それらは何であれ呪文であり、ソレが物を言うなぁ〜んて保証は何処にもない。
そんな呪文程度を真に受けるお粗末なオツムと志の無さなのだから『未来を切り開く力なんてある筈もなく……』なのである。
僕は人を計る時……一つだけ注視する。
その人が語る話の主語は『一人称か?』ということである。
自分を主語に『自分の話・見解』を話す人はどんな職業、学歴であれ信用するに値する。
どんな学歴を保有していても『……なんだそうな?』と噂話程度を訳知り顔ではなす奴は論外……。
自分の見解・意見を喋れない人間は『既に終わった過去の話』を摘み食いしながらお茶を濁して生きてきているのである。
喧伝される噂話程度の呪文を何故?人は信用するんだろう?
これを言っちゃ身も蓋もないけれど……ソレは『親が悪い』のである。
自分の未来を諦めた親が日々刷り込む呪文は『人生の定理?』かの様に…その子の頭の中に鎮座してしまうという運びである。
今、友人の教師と話しているのは『若い内にボランティアを経験させる必要』である。
自分の心と身体を現場に運び『経験させる』ことである。
少年少女は自分を使って、『人の役に立てること』の喜びを、存分に味わうのである。
目の前の人が心を込めて有難う!と自分に言ってくれる掛け値無い感謝を貰えた喜びである。
『自分を使って人の役に立つこと』という目標は理屈抜きにその少年少女達を未来に誘っていく。
そういう疑いようがない価値ある実感はとても未来的なモノに育って行く。
『私は人の役に立てた』、『心からの感謝を貰えた自分』……そういう実感は自己信頼を醸成しその人間を勇躍未来へと向かわせる。
人は人の役に立った時に無上の喜びを得る。
これこそが群れを生きる人間の大基本なのである。その大基本を犯して姑息な功利主義に生きるから『こんな筈じゃ無かった!』なぁ〜んて遅過ぎる過去の復習をする様になるのです……。