サンチョパンサの憂鬱

鉄板スローガンの嘘臭さ

理想だと……当たり前の様に語られる様々の『鉄板スタイル&イメージ』ってのがある。

例えば、オシドリ夫婦って奴……。
ずっと二人で様々をこなし何時も一緒で仲良しでーす♪して生きて来ました的な夫婦である。

人其々だから……好みや良し悪しは置いといて
そんなカップルから受けるニュアンスは……『面白味に欠け』、『平板で独り善がり』、
『底が浅そうな思慮・思考』……。

大して特徴もセンスもない女が……妙な自信でもって自己主張のない男にお仕着せを強要してる?……完全に没個性で観念的な会話で過ごすインパクトのない暮らし振り?……。
そんなカップルの話は全く面白くない。

それが……ニュートラルなメンタルで俯瞰して見て『オシドリカップル』と言われる人達から受ける印象である。それを悪いとは言わない。しかしまた良いとも思えない。

何が言いたいか?

何かのカテゴリー、分野に於いて理想として語られる象徴的モデルって言うものは『とても詰まらない』と言いたかった。

所が……である。
そんな詰まらない観念的な『世の中がヨシとするもの』は意識してないところで自分の思考を恐ろしく呪縛しているのである。

七歳から無言で圧迫してくる『イイコでいなきゃ!』という鉄板中の鉄板スローガンは……折角ドロップアウトし独自ルートを進んでる連中にも色濃く影響する。
文部科学省が書いたかの様な歌詞の歌を、顔面ペイントした風貌の彼等に歌わせたりもする。

出来もしないスローガンは……出来ないからこそスローガンとなったのだと見ればかなり謎は解けてくる。だから何処か?生身の人間から見れば嘘臭いのである。

自分に日々与えられる難問は……人を迷わせ脅し付け自信を奪い去る。
昨日確信だと思って目指してた方向が明日には いとも簡単に頼りなく揺らぎもする。

オシドリ夫婦とされ、持て囃されたカップル達が何十年の後になって……修羅場って憎み合って別れるのを何組見たことか?……。

巷では……『立派な先生』の不届きな『淫行』が日々新聞の紙面を賑わしている。
自分ではないご立派スローガンを生きる事の悲劇だけど……あれだけ押し付けがましい世の中はいざとなれば『自己責任』だと知らん顔をする。

『無理した良い家庭』から日々生まれる若き殺人者達……。
ご立派スローガンはのべつまくなし演れ!演れ!と人に強く静かに強要するけれど……真に受けてやった人の哀しい顛末を検証することも責任を取る事もない。

『鉄板スタイル&スローガン』はコンサルタントに似ている。
人の批評や断罪は立て板に水とばかり流暢に語るけれど……自らが自分の主張する所を実践することはない。

僕は未だに……『イイコだった少年』が『イイ青年』となり『イイ大人』になった事例を……目にした事はない……。

そう……真しやかなそんな空気にすがって育った責任を取れない鉄板スローガン人間は都合の悪い出来事からは目を反らす。
自らの変節を手のひら一つ返す事で何食わぬ顔してイケシャアとご立派スローガンを演じ続けるだけである。

『どう?見えるか』より……『自分をどう生きるか?』で進む方が良い。
結果はどうあれ……自分の歴史を自分で実感し請け負って生きれるからである。
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