サンチョパンサの憂鬱

キャストと背景違えども……

キャストと背景は違えども、何度も同じストーリーが再現される?なんて事は日常で良くある事だ。

そんな場合……自分が基本的に持っているキャラクターの性向が変わらない事に原因がある。

何でも気軽に引き受けたり(実はそれが随分重荷である)、相手に対する疑問を素直に口に出来ないとか……。

大抵の場合、それをおもんばかって相手も気遣いをしてくれる筈だ!と見込んでいるのだが、見事に裏をかかれたりもする。

必要以上の気遣いは得てして、与(くみ)し易しと受け取られ、『良いように扱われる』なんて事が多い。
これは相手を恨む前に自らの『過剰サービス』をこそ反省すべきである。

何が言いたいか?

大抵、負の出来事に限らず目の前で起こる事は……自らが発信源である!とするのがどうやら大人の引き受け方だと言うことだ。

何も猜疑心を持って人と対するってんじゃなく、『信用してたのに!』等と後の祭り的に腹を立てる場合、自分の過剰サービスを安易に提供し過ぎた場合が殆どである。

この人は自分が交流を持つに値するか?を考えずに勝手に自己判断というかあらぬ期待をかけていたに過ぎないなんて事がよくある。

自分のありのままを以て人に評価されないとその関係は破綻する。
若い頃、後の祭り的によく怒ったものだけど……『飛んで火に入る夏の虫』ってパターンばかりだった。

お前がおバカなんじゃね?……と。

人間関係だけじゃなく世の中の出来事はすべて即席は絶対に続かない。
相手を観るのに疎かというのは結局自分の観察も疎かにしている証拠。

大切な自分を預けるのに軽率過ぎるのである。
そう振り返って見るに……自分を大切にというのはえらい難しいのである。

期待して……と題して待ち惚けの人の事を何時だったか書いたけど、自分を自分通りに打ち出していくというのは当たり前の事なのに、勇気を必要とするのである。

しかしまた……トンでもない長い時間を『自分の様なもの』で確信のないままダラダラと生きる事は……もっと大きなリスクが時間をおいてからやって来る事がお約束。

意味の無い自己犠牲を引き受けながら沢山の時間を失いながら生きて行く?と考えれば『今でしょ!』と掛け声一つ自分まんまを打ち出す方が怖くないと気付ける筈だ……。

カネは稼ぎ返せるけれど……失った時間は永遠に取り返す事は……出来ないのである。
ま、僕は実際現実に体験したから偉そうには出来ないけど……だからこそ信憑性は高い話だと……思うのです。
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