かのイケメン君のスキャンダルも刻一刻と変化を遂げている……。
自分と他者を一つの同じ人間という土俵の上で観察し、分析し、そして我が身に置き換えて想像してみる?そんなアプローチが出来る人は理性的な安定した精神の大人だと思う。
当然……希にしか居ないけど……。
一方未成熟なメンタルで自分と他人を比較して検討する人達というのは……我が身を我田引水の土俵に置き……断罪すべき他者は神様でも音を上げそうな道徳・倫理のキレイ綺麗な土俵に土下座させて……大上段に構えた正義の刃で間断なく切り付け続けるのである……。
俳優の高橋一生が何かの媒体で言ってるの見て安心した……。
もし自分がその人ならと想像すると大抵その人と同じ事をするだろう自分が見える。
どんな罪人を見ても大抵……もし自分なら その人と同じ事をしてしまう自分が見えるのだ……と。
余りに綺麗な立場で当事者のその時の事情なんて一切無視して一斉に叩きに入る世相を観るにつけ、恐ろしく不健全で不穏当な空気を感じるのだと彼は述べていた……。
何度か過去に同じ事を書いてきた僕もこれに以下同文……です。
キレイ綺麗な正義人達の正義って端から嘘の臭いフンプンとしてる。その言葉たるやノイジーな騒音と同じで耳を塞いでも聞こえ来るしつこさである。
でも高橋一生君の様に……人間の当たり前の感性でモノ言う大人には滅多に出会わない。
この世界のコンセンサスは安普請のどうでも良い事をリンチする事からしか得られないかの様である……。
その瞬間に夢中の人達はその瞬間に置き去りにされている事に気付かないし気付けない。
少数の理解者と大多数の無理解の徒という数の比率もまた何か?意味のある天の配剤ってことだろう。恐らく何か?重大な意味がそこにあるに違いない……。
各々の人は各々の場所で天に試されている。
自分に人を断罪している暇など無いよね?……高橋一生君の記事を読みながらふっとそんな事を考えさせられのだった。
痛くない事をいいことにして切り付ける人……痛くない自分の心で他者の痛みを感じ取ろうとする人。
どちらもが……人が自分に『望んで取るスタンス』である……。