サンチョパンサの憂鬱

何故?は何時も未来を目指す……(2)

現代社会は新しいモノを開発して販売する。そしてその新しいモノを買う人がいて成立している。モノ(新しい知的サービスも含む)偏重で働きリタイアした人はやっと自分の心の中の大きな空洞に気付くという人生の運び……。

これはムヒカの主張と表現こそ違え、核心はドンピシャ重なっている様に感じた。

故に即物的現代社会の人は『心が鍛えられていない』(多田俊英師談)……自分とはなんだ? を余りにも思考していない……。これは仏教究極のテーマ『己事究明』の事だろう……。

ある存在の前後左右には『歴史』と『謂われ』がある。
その歴史を考える所から自分の心の旅は始まると師は説いている。
それと絡めて古典を読む事を推奨している。

そして師は『死を考えない生』は傲慢である……と指摘している。
現存主義哲学の核心……『死への存在』と全く同じ論理なんだなぁ?……と納得。

現代の高齢者はかつてほど死を実感しながら日常を生きていない。
それが心の成熟を失わせてしまっている……と。

モノにとらわれすぎているとともにネット社会の行き過ぎたスピード感に振り回されてもいる……。
メールやLINEの返事が数秒遅れたとイジメが始まる中高生の心理にも言及し、そんな時間感覚から距離をおき自分を見つめ直すことが心を鍛える第一歩だとの……師の指摘だった。

何時か死に逝く自分を考えないで定年し、老いを前にしてやおら慌てる。そしてアンチエイジング?なるものに取り憑かれる運び……。
モノ思考に冒された人達は『老い』をマイナス、消耗と捉えているからである……。

老いは自然なモノ。それにアンチを唱えるのは極めて『不自然な欲求』であると師は言う。
僕が……アンチエイジングなる言葉に強い違和感を感じたのは間違いじゃなかったのか?……と納得。

老いたシワを隠した顔と若くシワの無い顔……勝負にならないし美醜を引き比べる事の無意味。
シワを作るに至った時間の中に思考の量と質を積み重ねて得られる圧倒的に勝る『成熟』こそを誇るべきなんだと僕は常々感じていた。
若い人達に伝えるべきものを少しでも持っていれば『アンチエイジングなんて思い付かない』筈なんだと僕は思う。

元来、『老いは成熟』の意味があるのだと師は説く。
様々な経験をしながら自分は何者か?について考え来ればその人の心は自ずと鍛えられている筈だからである。

最近、周りのリタイアした連中が他人の噂話に狂った様に血道を上げてやって来る。
その寂しそうな表情は『心の中の大きな空洞』のせいなんだろう?……な。
早期退職制度が如何に退職金を有利にするかなんて事を熱弁振るってた人間達である。

彼等らは残りの人生を退職金と年金の計算だけして生きてくのかな?……その人生どうにも『無理がある』と不自然な違和感を持ったのは『自分の心の問題』がそっちのけとなっていたからなのだと理解出来た。

自分の心を放置し自分に対して傍観者となって生きていくのはそりゃ『無理がある』し不自然だわな?……と今になってそう思う。

むかし度重なる不祥事の折り折りに、自分の心が、例え不利益を被ろうと、どうしても仕事を放棄する事に抵抗した。
その時……心を手離さなかった僕には難儀が残った。それは今も継続中だけど……。

彼等は心痛を手離した。散々詭弁を弄して代わりに悩まないでカネを稼げる気楽さとお手軽な人生を彼等は手にした。
今となって、彼等が手離した心は自らの意志で求めない以上彼等の手元に戻っては来ない。

しかし、その前に心を鍛えて来なかった彼等は自分の寂しく孤独な心と向き合う勇気さえ失ってしまったかの様に見える。
何故なら……彼等の視線は絶えず人の不幸ばかりを追い掛けて、ちっとも自分の死という問題を見てやっていないからである。

それはそれで結構難儀な事であると思う。

こうして見ると人生は中々上手くどんな生き方にも公平になる様に仕組まれている。
アーダコーダと生きても結局、死を前にして自分に対する『自分の心の納得具合い』こそがその人の人生の価値だからである……。
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