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サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……明らかに極める?

諦めるの語源は『明らかに極める』だと何かの本で読んだ。
自分ではどうする事も出来ないのだ!と明らかにする。ハッキリさせることなのだ……と。

分かっていても……諦めを着けられない?
殊の外『諦めが苦手』なのか?モチベーションの維持が得意なのか?……自己分析ではハッキリしない面がある。正直そういう状態の時、自分では判断は出来ない。

そんな時はモチベーション通り足掻き続けるしかない。例え?悪足掻きと揶揄されても仕方ない。演れるだけを演って見るしかないのである。

そんな時、頭の隅をかすめるのは結論を出して早く『楽になりたい!』……なんだけど『納得を手に入れる』為には自分を説得して粘るしかない。

時には、諦めが悪かったもある。時には粘って良かったもある。心に燃えカスが残っているならトコトン諦め悪く足掻く事しかない。
小賢しい計算を度外視して、僕は『心の燃料が尽きない限り』は足掻く様になれた。

自分の心ながら予測不能……。
ストン!と燃料が切れて急に眼前の霧が晴れる?そんな瞬間が必ず訪れる時が来る……。
ソレが『納得時』だと僕は思う様になった……。

思い返せば……若き日々、僕は不戦敗をチョイスし過ぎていたんだと思う。
自分の心身を使ってトコトン勝負してみる事でしかホントの納得を得る事は出来ないから……。

もう勘弁してよ!……なんて辟易となって音を上げそうになる事は今も変わらない……。
しかし、『後になってからのジメッとした後悔』だけは格段に減ったのである。

ある年齢になれば自覚、無自覚の違いあれどかなりの失敗、失態を実人生に刻んでいる。
トコトン突き詰めてソレを体験した奴だけが『自分の何が悪かったのか?』を学ぶのである。

またある年齢になればご立派に振る舞おうと思えばソレも出来る。
人間、一つ二つは自慢出来る事も稼いでいるからである。

不思議だけど……失態、失敗を通して自分の中の毒を学んだ人ほど知恵がある。恐らく人の吐く毒になんか構ってられない程……自分の毒と戦わなきゃならなかったからなんだろうと思う。

自分のことなのに……『自分に納得すること』はとても難しいなぁ?と思う様になれた。
エエカッコする暇を与えられず……ココまでの無様に走り廻った人生は……自分の毒との闘いだった気がする。

カッコ悪いこの我が生き様を苦笑いしながら見れる様になれた事だけが収穫?だったのかも知れないなぁ……。
自分はエエカッコするのは無理だ!……と明らかに極めることだけは出来た……だから、よしとしなきゃぁね?




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