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サンチョパンサの憂鬱

ネットリンチについて

表現の自由という権利の拡大解釈の極みだけど表現とするならばその言動には責任を付さなければならない。

表現と誹謗中傷は質を異にするものである。
シリアスなやり取りに匿名性を必要とする人間を信用してはならない。まともに相手にしてもいけない。

名乗れない人間には何か?引け目がある。
当然その言動に責任を取れる人間ではないのである。
不特定多数の攻撃を受ければパニックにもなるだろう?……それは当たり前だ。

しかし大切な自分をそのままにしてはならない。
自分を労り、慈しむ義務があると心得て欲しい。
無責任な連中の正面に立ってはならない。正面に立つ意味がない連中である。

『先ずは逃げなさい!』……それからユックリ考えなさい!……反転攻勢に出るか?放置するか?
いずれにしても徹底的に明確に行いなさい。

ここまで書いといて……これ言っちゃお仕舞いだけど……ネットってホントに面白い?……。
『やる為にやってる部分』が多いと思う。

そんな場所での出来事で自分を判断するのは余りにも馬鹿げてる。
必要最低限!……それがSNSとの付き合いの極意だ。欲しい情報を拾う所で、自分を損なう情報を拾うなかれ!

正面切って付き合わなければ、何万言の誹謗中傷も自分とは無関係の単なる戯れ言、たわ言を垂れ流しているのに過ぎないのである。

仲間外れにされるとツライけれど……『仲間外れる勇気』を持てば、そんな連中何も怖くないのです。

違いは『自分の意思の有無』である。
その意思を実行した途端あなたは自由になり彼等は底意地の悪い場所に取り残される立場になるのだから……。

そういう目に遇った人にしか分からない苦痛は想像するしかないけれど……。
先般の若い女性の自殺を思うとき……面倒でも弁護士を入れて一人一人の出自を特定していく作業を丹念に行い、ゼロではない『一人を特定した事実』を作ること。

マスコミが少し騒げばスゴスゴとコメントを消して逃げていく連中の『表現とやらの哲学』が明け透けに見えた。
一人が世に晒されたら……そんな烏合の衆はスタコラサッサと逃げる事は容易に想像でき
る。名乗れない人間はそういう覚悟のない人間なのである。

『自分は大事・大切なのだ!』との意思を呼び起こして欲しい。
烏合の衆全体を見てその数の多さに絶望しないで一番質(たち)が悪い一人に集中して覚悟を持って追い詰める事だと思う。
一罰百戒って事だ……。

自分への謂われのない中傷を行う人間は手に負えない。誰が何時?と特定出来ないからだ。リアルな中傷はソコが付け目となる。
しかしネットリンチには足跡が残る。詰まり面倒でも『特定出来る』のだから……。

被害者は胸を張って戦いに望んで欲しいと思うのです……。
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