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サンチョパンサの憂鬱

服装は如実にその人を語る……

メンタルがあらぬ方向を向くと、服装に表現される?……という因果関係は確かにある。


メンタルが落ち着かず、自分の進んでる方向に肯定感を失うと……新しく高価なモノを着ていようと、おざなりにそこらの服をかき集めて着ましたという人にも、共通する『乱れ』が生じるんだと思う。


そこに共通するのは『不潔感』である。
えっ?新しいのを来てても?と思うかも知れない。
しかしそれは如実に漂ってしまう……。
新しく高価であろう服がその人から『浮いている』のである。

それが総体的な不潔感ないし違和感として漂い来るのである。
元来、学校という所で服装に着目したのは生徒に対する観察眼としては間違ってはいない。

それが何時しか単純に形式化した笑えぬ服装チェックへと堕落したのである。
それは現場の教師達が安易なおバカになったからだろうと推測される……。


その乱れの『兆候』の奥にある大きな原因の把握を忘れて表面に吹き出した枝葉を摘み取る事ばかりに熱中する彼等の様は、目的を忘れた小僧レベルの仕業に堕してしまった感が否めない。


『何の為に?』を忘れて、目に見える些細な違いをあげつらっておけば楽だから?……という横着なのか?本物のおバカか?である。

そんな事は……どうでも良かった。

クソ高い服を売りながら言うのは少しばかり憚られるけれど……。
職業の貴賤はない!と断言してからいうけれど……。
全部とは決して言わないがかなりの比率でキャバクラの女の子達に共通するのはブランドを身に付けたがる事である。

これはヤ○ザさんがベンツを好むのと全く同じ心理で『自己肯定感の欠如』から来る心理である。ベンツブランドが自分を高めてくれる?という勘違いを犯している。

だから結果的に必ず『浮いている』といった印象を与えるのである。結局自分という存在に疑問を持つという自己チェックが無いから不潔感ないし違和感を醸し出すのである。


詰まり……地に足が着いてないバランスの悪さはいかんともし難く表現されるのである。
ま、結局どうにもチグハグになるのである。

モノが新品で高い?故に、その人の実力のなさとハレーションを起こしてるのだが、虎の威を借りるキツネの如く、ふんぞり返ってるその図は結構哀しいモノがある……。

ま、そこには『どの様に生きながらそこに立っているか?』……という『その人の存在の意味』はビジュアルでは見えない、『雰囲気として匂い立つ』モノだから……。

その仮装?に騙されてくれるのは、同じレベルに在るかそれ以下の人間という事になる。

自己疑問を避ける様に……ヤ○ザさんもキャバクラ嬢達も、つるんで群れなしているけれど……一人一人が選んで買った筈のその服装だけど……妙に雰囲気がシンクロしてしまってる。。

自分の確立が稚拙だというのがユニホームの様に同じ雰囲気に見える所以である……。

モノは人を引き立てないのである。
ヒトがモノの価値を引き出し高めるのである。
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