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サンチョパンサの憂鬱

『未解決』を持つ人は美しい

どの様に生きるか?なんて事を本を読んでも人に聞いても分かる訳はない。

SNSに触れて不思議だったのは……それを人に聞きたがる人、それを人に教えたがる人が多い事だった。

生き方なんてものを教えたい人、聞きたい人両方に共通している特徴は……『傷付き名人』である事だ。
ま、教えたい人は過去に『傷付いた事ある名人』なんだけど……。

……とそんな傷付いた私はこの様に目覚め、復活したのです!とのたまうのである。聞きたがる人は……先生凄いです!たった一回のセミナーで私、こんなに軽くなりました!……と応じる。

そんな恥ずかしいやり取りには何処かプラスティカルな観念的な臭いがして
ウ~ンとなる。でもねそれは価値観の違いって奴だからそれはそれで良いんだけど……。

ある種の『あなたはそれで良い!』という正義の免罪符を配り受け取るんだけど……これからには余り役立ちそうになさそうだ。
これからに対処出来るスキルが何にも作られてないからである。

自分の過去の行き詰まりにOKが欲しい。そして人から貰う。それ自体人に聞いてもねぇ?……。生きるほどにそのセミナーって奴に依存していく?しかなくならないか?……。

アメリカ発の心理セミナーはおしなべてポジティブシンキングをベースにするけれど……。

過去に『受けた不都合』の免罪符も良いけれど、その自分が『受けた不都合』として説明している(エクスキューズしてる)中に必ず自分が相手に『与えた不都合』が存在しているのである。

慰めが欲しければ受けた不都合を語り、被害者として生きれば良い。

少しでも成長が欲しいなら、受けた不都合などにカマケテいる時間はない。
自分が『与えた不都合』を出来る限り、思い出し拾い出して相手に与えた自分の加害責任とその内容を繰り返し思考する事だ。

そうする事で自分は『未完成品』になれるのである。詰まり伸びシロを手に出来るって事だ……。その至らなかった自分故の加害部分が改善課題として伸びシロになるという事である。

傷付き名人の被害者上手人間は話しても何にも魅力がない。当たり前の話で、彼は彼女は『完成品』だから新たな変化が入り込む余地はないのである。

そして何があっても自分は正しく間違わないと仰有る分けで……そんなの面白くもなんともない。
変化し、変化させられる事に交遊の魅力がある。

完成人間にはその余地がない。
『繰り返し名人』であり田舎の頑固老人達の寄り合い見たいに幾ら話したって『今を越える変化は手に入らない』って事になる。

自分の犯した罪とか落ち度に対して悩んでる人は美しい……。
臭いモノには全てフタをして、傷付き名人になり被害者演ってる満足顔には驚きが全くないのである。

そんな人達は皆、同じ顔をしてる。
自己満足の自分知らず……。
能面の様に、自分独自の表情を失っているからである。

時折……若い人が相談したいなんてやって来る。

僕は相談なんて嫌だという。
お話なら喜んですると……。特にエッチな話ならと……。

人に教えられるのは……自分の失敗談しかないのである。どうすれば駄目になるか?は話せるけれど……。
未だに……どうすれば上手く運ぶかなんて僕にはサンプルが無いのである……。
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