所が……一生にそう何度もあるとは思えない様な重要案件、それは誰の身の上にも必ず起こるものでもある……。
時に大きな財産上の問題かも知れないし、時に命を掛けるような恋かも知れない。何かは分からないがそれは必ず起きるのである。
その時……例えばそれがカネの問題とするならばその様な大きな問題の時には
カネをカネで語っても解決は着かない。
そんな時、その人の哲学とか美学が問われるのである。
カネを失っても生きる意味と周辺の人を守る人あればカネを得て、人生の意味と質と人間を失う人だっている。
カネと愛情は形而上、形而下の違いこそあれど、その特性はとても良く似ている。
人間の執着を呼び起こすモノとしての二大巨頭と言って良い……。
愛にも愛欲や欲情、無償の愛まであるように、カネにも、ロンダリングしなければ使えない様なレベルから、心こもった浄財まで存在する。
その質を決めるのが……哲学と美学なのである。
ここ一番!といったシーンではそれがモノを言う。そんな大事なシーンなれば、気を付けるさ?……とはならない。
美学も哲学もカネと同様『無い袖は振れない』のである。
普段の大半の時間……カネに目敏い奴が上手く演ってる様に、見えるけれど……。
しかし、人生が進む内に、その僅かな一回二回の大事に於てカネ派は、カネで買えないモノを失ったりもする。
人生はその人全般の能力を余すところなく体現してしまうのである。
ある人間にはとても怖いモノでありある人間にはとても信頼出来るモノでもある……と思う。
どんなに苦境に在れど、投げ出すな!と言いたい。苦境は思考がその哲学や美学に行き着く為の大チャンスなのである。
苦しんだモノには必ず『相応の意味がある』事を味わって欲しい。
こんな能天気な事を書くのは、何度目かの苦境と言えるモノを何とか通り過ぎた後だからである。
その最中に在っては、呪いの言葉を吐き人を恨みツラミ、復讐心に何度も魂を売りたくなった事も書き添えておく。その自分とのギリギリの勝負が美学を磨くのだと思う……。
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