『期待していたのに……』と責め口調で非難がましい文句はソコココでよく耳にする。
しかし……これはまだマシかも知れない。ご本人が自分は期待してた?という認識があるから。
コトに対する期待より『人に対する期待』の方が落胆は大きく、怒りの程度に正確に比例する。
自分が勝手に期待し、その通りに事を運んでくれなかった!と……まあその期待先の人間に不満を抱くという運び。
その期待には何らの根拠はなく、自分があらぬ運びを勝手に想像し思惑を巡らせているに他ならない。
早稲田大学の池田清名誉教授の『ワガママ』に付いての解説を読んだ。
ワガママは通常、ネガティブに捉えられるけれど、人に迷惑を出さない限り人生はワガママ三昧に生きた方が良いと彼は述べていた。
単純にその方が楽しく生きられる……と。
ワガママにブレーキを掛ける心理は『人にイイ人だと思われたい!』という欲望があるからだという解説を聞くと、なぁ〜るほどね?と思った。
実際に、自分がイイ人であるか?なんて関係なく、ひたすらに他者から『イイ人だと』思われたがっている状況はとても哀しく、そして滑稽でもある。
コレも根拠なき期待値であり妄想そのものと言える。
散々自分を抑制し、欲求に我慢を強要した挙句、何一つ『美味しい目』にはあえないのである。
そして……不満、怒りの感情を抱え込む運びである。
イイ人と思われたいのなら、『イイ人になる為の行動』を継続すれば良いだけなんだけど。
しかし、それは面倒臭いのである。何よりそれは疲れる。だから口先のおべんちゃらを吐きながらお追従を繰り返すだけ……。
そんなの?イイ人ですか?
自分が『そんなの』見たらどう感じるだろうか?
自分が抱くその感情の主体は軽蔑だろうと思う。
自分がそうなら人もそうだろうという自分に対する客観情報がないのである。
そんなコトしといて『イイ人だと思ってくれる?』なぁ〜んて独り善がりの『自分のあらぬ期待』に自分が組み敷かれかんじがらめとなるの図……。何より楽しくない。
自分にワガママを演らせる力がある人には『独立心』がある。簡単に依存に靡かない強さもある。
何時も『主体的に自分の時間をコーディネート』して楽しむ人である……と氏は述べている。
『人に……そう思われたい?』なぁ〜んて何の努力もせず妄想の虜になる暇があるなら『そういう人間になろう!』と『行動すれば良い』だけなのである。
『この手の横着を働く人』は存外に多いのである。
結果……類友現象で、『そんなの』が群れつるみ
『相互監視による同調圧力』を発信する。
不健康にして不健全な空気感の密度は増していく……。
『期待』はひたすら自分に対してのみ抱きなさいってことだと思う…。
自分に対する期待値は大きくなればなるほど自分をより自由にしていくのである。
もっと、もっとってね?
その状態になれば?他人の思惑なんぞに関わっている暇は全く無い。
寸暇を惜しんで自分三昧すれば良い。
『他者に対する期待』ってね?
その正体は『依存心』ということを、知っておきましょう。
依存は何故?痛ましい結果を導くか?
そうなってから?『約束が違う!』なぁ〜んて妄言を吐いたってね?
あらぬ期待は約束なんて交わす力は無いのです。『単なる妄想』ですからね。
だから『依存先は一切の結果責任を取らない』し、そんな力も実体もないのである。