サンチョパンサの憂鬱

事態が煮詰まると……

事態が煮詰まると……その煮詰まった状況が『人の嘘』を次々と暴いていくものである……。

人の嘘……というと誤解が生じるなぁ?……。『その人の地金』って言った方がわかりやすいかもね?

ブレない❗って演ってた奴が簡単に言を左右し始める。皆の事を❗って常々言ってた奴が……見るも無惨に自分の事だけに右往左往しちゃったり。

人、多く自分に『都合良く運んでる状態』を以てして『自分の本心』と翻訳し演じて生きてる危うさ・脆さだよなぁ?って思う。

『アノ時はそう思ったけど……』、今『は』?なんて怪しい時限立法の如くクルクル変わってく……。
それは本心なんてモノじゃなく単なるその人の『事情とご都合』なのである。

何時だったか?……人の判断は否応なしにその人から発せられる『違和感』こそが正確な人の判断基準となる❗って書いた事が……あった。今にして思えば我ながら中々の卓見だと感じる……。

自分が……『心地よく都合が良い状態』を以て、私は幸せ❗❗なんて演っては、時が過ぎればアレは間違いだった?なんて言ってのける。

そんなにクルクル本心が変わる訳もなく……その人の事情と都合が変わっただけである。

平時に於いて本心なんて厄介極まりないモノである。嘘付いて演技しとけば自分も周囲もハッピー!……自分だってコレで良いかも?なんて錯覚を楽しめる。

本心は……平穏な時は自分に負荷しか掛けないものである。楽に対抗して『敢えて難儀』を請負わなきゃならないからである。……コレじゃない❗という信号が自分を忙しなくせっつくのである。

平時の楽な状況でさえ本心を蔑ろにする人が煮詰まった状況で本心に従える訳がないのは自明の理……。
コレまた自分の『都合次第』で浅はかな人間性の地金を恥も外聞もなく衆目に晒す事になる。

如何に楽しくとも苦しくとも……『良心的仕切り』って奴は素直に自分を計れば変えられる訳もなく……。

その不変の仕切りが矜持だったりポリシーを形作るのだと思う。

昨日……宝島社の新聞の見開き二面を使った『正しく怒ろう❗』なるメッセージ広告について書いた。
自分の名にかけた本心、『良心的仕切り』を持つ以上、正しい怒りは絶えず……胸の内を駆け巡る……。

明け透けに、ミエミエの『嘘を巡らせる人』は単純に多数派だからである。
さて?……その一人一人、一つ一つに正義の鉄槌を降り下ろす!何てのが良心的仕切りなのか?……否❗❗、ならばソレも尊大な思い上がりに堕落してしまう……。

モノ言えず、モノ言わず……もどかしさを噛み締めながら生きてると……やっと『黙殺の術』に辿り着いた。
その怒り……お前もまた都合良く『人のせい』にしたかったんじゃね?……とその仕切りが僕に囁いてくれたのだった。

『自分の本心』を些末な自分の『事情とご都合』と天秤にかけては自分の人生を喪失してる人間にカマケテル暇なんぞ無いぞ❗❗

本心が言う……人がどうこう?よりもお前が何をしてどう?社会にコミットメントしていくか?……それだけが問題の本質の筈ですよ❗❗……と。

砕け落ちそうになりながら『本心』を演って来たら……エライ事になった❗❗って思った……。少しも手が抜けないじゃねえか❗って……。
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