*朝日新聞「戦争を語りつぐ」より抜粋
1945年3月、沖縄に米軍上陸・・・
現地の石嶺眞勇さん一家の父親は防衛隊にとられ
自決用の手榴弾を渡され、避難場所を求めました。
母子5人(母親が1歳の弟を背負い、眞勇さん4歳の
手をとり、10歳の兄と7歳の姉を歩かせ)
何ヶ月もの間、飲まず食わずで
米軍の艦砲射撃と機銃掃射の中を逃げまどい
やっと一軒の小屋にたどりつきました。
しかし夜中になって眞勇さんの弟(眞考ちゃん)が
急に泣き出したのです。
右の横腹に血がにじんでいます。
帯を解いてみると、小さな穴が開いて
そこから鮮血がどくどくわき出ています。
(砲弾などの破片が当たったのでしょう)
片言をはなす可愛い盛りの男の子が
今は声もたてずに泣いています。
母親は死に物狂いで血を止めようとしますが
1時間ぐらいして眞考ちゃんの顔は青白くなり
虫の息となり、そのまま息を引き取ったのでした。
「戦争だから、我慢よ」
朝になって母親はちいさなくぼみに
弟さんの体を横たえ泣いたと言います。
翌日、石嶺さん母子は捕虜になりますが
弟さんはもう二週間で2歳の誕生日を迎えるはずでした。
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家にだれも居なかったのが幸い、
わたしはこの記事の途中から号泣してしまい、
他人からみると大の男がと、失笑されたやもしれない。
思わず、孫のこと・・そして
わたし自身の弟のことが浮かんだのだ。
思うに・・
右か左かの判別ではなく、先ずは
この記事を投稿された石嶺さんの
目を真っ直ぐみながら
なぜ片言を話す可愛い盛りの眞考ちゃんが
死ななければならなかったのか・・
本来ならあったはずの
一家団欒を失った無念に
癒しとなる答えを提供できる者が
鼻息荒く、国益を唱える者たちの中に
果たしているのだろうか?
彼らの中には
過って愛国の旗印を掲げ
国の暴走を煽り、やがて責任を転嫁し
真相を隠そうとしてきた者たちの
末裔もいる。
地球を世界を救う、と唱える
信条や宗教は多々あれど
ひとつの小さな命の火が消えた
悲しみを包み
回復させることのできるもの・・
それを終生問いたい。