書評『創価学会秘史』
著者の高橋篤史氏は、フリーのジャーナリスト。本書の「あとがき」によれば、高橋氏
が創価学会について継続的な取材を始めたのは、平成24年(2012年)に宝島社のムック本
にライターの一人として加わったのがきっかけとのこと。
高橋氏はその本の題名を「あとがき」では明かしていないが、当該のムック本は『池田
大作と暴力団』をさすと思われる(同書には、高橋氏が執筆した記事が掲載されている)。
本書のプロローグには「まったく感心できないことだが、創価学会は過去の歴史を正し
く伝えていない。それは対外的な宣伝だけでなく組織内の学会員各層に向けたものでも同
じである」とある。
高橋氏はそれを、戦前・戦中に創価学会――当時は「創価教育学会」――が発行してい
た機関誌『新教』『価値創造』などの史料を読み解き、丹念に調査を重ねて実証している。
創価学会は長年にわたり、「戦前・戦中から一貫して反戦平和団体だった」というパブ
リックイメージを作りだそうとしてきた。その欺瞞を徹底的に暴き、打ち砕いているのが
本書『創価学会秘史』である。
戦時下の日本では、言論統制・思想統制が布かれ、共産主義や反戦的な言動は、取り締
まりの対象となっていた。
当時、大卒者は現在よりもずっと少なく、地方では学校教員などのごく限られた人しか
いなかった。そして、体制や経済情勢への不満を正当化する理論を提供していた共産党は、
教員等のインテリを介して、地方への浸透を企てていた。
政府は、共産主義に感化された教員を取り締まったが、それだけでなく共産主義から転
向させた彼らが、再び共産主義に向かうことがないように、別の思想で再教育することも
目指した。
その時局に迎合したのが、当時の創価教育学会であった。初代会長・牧口常三郎は、持
論の「創価教育学」と日蓮正宗への信仰により、「赤化青年の完全転向」を実現できると
検察や内務省に働きかけたのである。
が創価学会について継続的な取材を始めたのは、平成24年(2012年)に宝島社のムック本
にライターの一人として加わったのがきっかけとのこと。
高橋氏はその本の題名を「あとがき」では明かしていないが、当該のムック本は『池田
大作と暴力団』をさすと思われる(同書には、高橋氏が執筆した記事が掲載されている)。
本書のプロローグには「まったく感心できないことだが、創価学会は過去の歴史を正し
く伝えていない。それは対外的な宣伝だけでなく組織内の学会員各層に向けたものでも同
じである」とある。
高橋氏はそれを、戦前・戦中に創価学会――当時は「創価教育学会」――が発行してい
た機関誌『新教』『価値創造』などの史料を読み解き、丹念に調査を重ねて実証している。
創価学会は長年にわたり、「戦前・戦中から一貫して反戦平和団体だった」というパブ
リックイメージを作りだそうとしてきた。その欺瞞を徹底的に暴き、打ち砕いているのが
本書『創価学会秘史』である。
戦時下の日本では、言論統制・思想統制が布かれ、共産主義や反戦的な言動は、取り締
まりの対象となっていた。
当時、大卒者は現在よりもずっと少なく、地方では学校教員などのごく限られた人しか
いなかった。そして、体制や経済情勢への不満を正当化する理論を提供していた共産党は、
教員等のインテリを介して、地方への浸透を企てていた。
政府は、共産主義に感化された教員を取り締まったが、それだけでなく共産主義から転
向させた彼らが、再び共産主義に向かうことがないように、別の思想で再教育することも
目指した。
その時局に迎合したのが、当時の創価教育学会であった。初代会長・牧口常三郎は、持
論の「創価教育学」と日蓮正宗への信仰により、「赤化青年の完全転向」を実現できると
検察や内務省に働きかけたのである。
牧口は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」と題した論文を、創価教育学会
の機関誌『新教』(1935年12月号別冊)に発表していた。この論文について『創価学会秘
史』には、以下のように言及されている。
> 牧口の論文のなかで特に興味をそそられるのは、長野行きにあたりあらかじめ内務
> 省から長野の警察部に電話をかけてもらっていたという記述だ。牧口の論文タイトル
> がまさにそうであるように、このことは当時、国がとっていた転向政策と創価教育学
> 会が乗り出した折伏による会員拡大とが軌を一にしており、そのため連絡を密にして
> いたことを意味する。当局からすれば左翼思想にかぶれた本来優秀な元教員たちを転
> 向させてくれる団体は好ましい存在であり、牧口らからすれば弾圧で心に傷を負った
> そうした元教員たちは折伏するのに格好の相手だった。
の機関誌『新教』(1935年12月号別冊)に発表していた。この論文について『創価学会秘
史』には、以下のように言及されている。
> 牧口の論文のなかで特に興味をそそられるのは、長野行きにあたりあらかじめ内務
> 省から長野の警察部に電話をかけてもらっていたという記述だ。牧口の論文タイトル
> がまさにそうであるように、このことは当時、国がとっていた転向政策と創価教育学
> 会が乗り出した折伏による会員拡大とが軌を一にしており、そのため連絡を密にして
> いたことを意味する。当局からすれば左翼思想にかぶれた本来優秀な元教員たちを転
> 向させてくれる団体は好ましい存在であり、牧口らからすれば弾圧で心に傷を負った
> そうした元教員たちは折伏するのに格好の相手だった。
牧口ら創価教育学会は、戦争反対を叫んでた共産主義者を取り締まる側の、官憲の尖兵
として活動していたのである。
ただ、こうして折伏を受けて創価教育学会の会員となった元教員たちのほとんどは、そ
の後信仰から離れ、残ったのは矢島周平氏――戦後、戸田城聖が事業に失敗して身を隠し
ていた一時期、理事長を務めた――くらいだったという。
牧口をはじめとする創価教育学会の会員たちも、当時の一般の日本人と同じく、太平洋
戦争での日本の戦勝を願っていた。再び『創価学会秘史』から引用する。
> 一九四二年八月に出た『大善生活実証録』のなかには牧口常三郎による「大善生活
> 法実験証明の指導要領」という一文が載っている。その書き出しはこう始まっていた。
> 「『皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切る』といふ剣道の真髄を、実戦に現
> はして国民を安堵せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百戦百勝
> の所以である。それは銃後に於けるすべての生活の理想の要諦でもある」
> これは一例だが、この頃の牧口の文章から反戦思想を読み取ることは不可能で、や
> はり浮かびあがってくるのは庶民が抱いていたごく平均的な戦争観である。
牧口・戸田らは、反戦平和を訴えたから逮捕されたのではない。創価学会が、設立当初
から平和を志向する団体だった、というのは大ウソである。
当時の創価教育学会もやはり、現在と同じように問題を引き起こしていた。
折伏の標的とした者を、軟禁してまで入信を強いたり、日蓮正宗の僧侶に対し、集団で
吊し上げを行ったりしていたのだという。こういうところは、戦後とあまり変わらない。
このような無茶なことを続けていれば、社会秩序を乱す存在として、当局から目をつけ
られるのも当然であろう。
当時は全家庭に伊勢神宮の神札が配られていたが、牧口らはこれも「謗法払い」の対象
として焼き払っていた。そして無体な折伏や謗法払いに遭った被害者が、警視庁に訴えた
ため、牧口・戸田らは治安維持法違反容疑で逮捕されたのである。
本書で取り上げられている出来事の大部分は、戦前の創価教育学会創成期から、戦後の
昭和20年代にかけて起こったことである。しかし、現在の創価学会について理解する上で
も重要である。
なぜなら創価学会が、不都合な歴史をなかったことにして、自分たちをあたかも無謬の
存在であるかのごとくみせようとする歴史の捏造・改竄を、いま現在も行っているという
証拠だからである。
本書は創価学会の本質を理解する上で、重要な文献だと思う。
創価学会という悪質なカルトの欺瞞を暴く、労作をものした高橋氏に敬意を評す!