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お山にお宮がたちました

宇佐神宮 in 大分県

全国に4万600社もある八幡宮ですが、その八幡神を調べても、どういう神様かずっとわかりませんでした。
その八幡様の総本山が九州にあると知り、いつかお詣りしたいと思っており、念願が叶い先月お詣りできました。



到着と同時に、鳥居の向こうから溢れんばかりの御神気に、此処は凄いと思いました。
大分県宇佐市にある宇佐神宮は、全国の八幡様の総本社で、「宇佐八幡宮」と呼ばれています。



御祭神は八幡大神・比売大神・神功皇后です。
現在は一般的に、八幡大神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」=第15代天皇「応神天皇」を神格化したものとされていますが、この応神天皇説は後づけで、宇佐神宮の主神は「比売大神」であるようです。

この主神と思われる「比売大神」に関する史実が、『古事記』や『日本書紀』に全く登場せず、よくわからない神様なのです。



この自然の美しさに心が洗われます。
神社が大好きです。





『豊前国風土記』逸文(豊前=現在の福岡県北東部~大分県北部)では、八幡神は「昔、新羅国の神、自ら度り到来して、此の河原に住むり」と紹介されており、朝鮮半島にあった「新羅」に由来する神で、宇佐の豪族たちにより古くから信仰されていた土着神だとされています。

海人族の「宇佐氏」か、朝鮮半島にルーツをもつ渡来系氏族の「辛島氏(からしま氏)」のどちらかが、土着神としての八幡神を祀っており、その後886年、大和(奈良)に由来する朝廷の有力氏族「大神氏(おおが氏)」が豊後国(現在の大分県)にやってきて、応神天皇の信仰を持ち込み、八幡神との習合を進めました。
つまり大和朝廷(天皇家)が宇佐を支配下におき、宇佐神宮を取り込んだことで、現在のように八幡神=応神天皇とされたのです。



入り口近くにある若宮神社です。

二所宗廟の宇佐神宮ですが、奈良・平安時代には伊勢神宮以上に重要視されていたようで、東大寺の大仏鋳造や、後に道教事件といわれる神託に宇佐神宮は大きく関わります。

東大寺の大仏といえば、「奈良の大仏」で日本最大の仏像「盧舎那仏」の事です。
735年、日本で天然痘(疱瘡)が大流行し、この際当時の日本の総人口の25~35パーセントが死亡する国難が発生し、この国難に対し、聖武天皇は仏教の力で国を守ろうとしまし東大寺の大仏の鋳造を始めました。
まさに国を挙げての一大プロジェクトで、260万人の人々が全国から参加したといいます。
しかし途中で大仏に塗る金箔が不足し、計画は中止になりかけました。
このトラブルに対して朝廷は、宇佐神宮にて占いを行ないます。
すると「国内から必ず黄金が出る」という神託があり、実際に陸奥(現在の青森県~福島県)国から大量の金が発掘され無事、大仏は完成したようです。



もう一つの事件が、奈良時代769年に起きた「宇佐八幡宮神託事件」と呼ばれる史実です。
弓削道鏡は一介の僧侶でしたが、女帝の孝謙上皇の病を治したことをきっかけに政界入りを果たします。
さらに生涯独身で子供がいなかった女帝に気に入られ、その寵愛を一身に受けるようになります。
そんな時に次の皇位を誰が継ぐかという話になったものですから、天皇の血を継いでいない道鏡が天皇になってしまうのではないかと朝廷はざわつきます。
道教サイドと朝廷サイドで主張に争いがあり、宇佐神宮が御神託を出すことにより、最終的に道鏡が天皇位に就くことはありませんでした。



大仏鋳造という国家的事業や、皇位継承という天皇家の一大事に、伊勢神宮ではなく、九州の宇佐神宮を頼って国難を回避したということです。

この二つの史実から鑑みて、神道上において、少なくとも中世までは、天皇家(朝廷)にとっては宇佐神宮のほうが重要だったのではないかという仮説が浮かび上がってきます。

これらのことから、比売大神=卑弥呼ではないかという説もあり邪馬台国宇佐説があるようなのです。



一の御殿 八幡大神(はちまんおおかみ)
二の御殿 比売大神(ひめのおおかみ)
三の御殿 神功皇后(じんぐうこうごう)


宇佐神宮の拝殿の並びで、この写真から鑑みても、真ん中の二の御殿、比売大神が一番格上の神様ですね。

大元神社遥拝所です。
宇佐神宮の奥宮であり、こちらから、あとで伺いますと挨拶しました。

色々書きましたが、宇佐神宮には尊い比売神様が鎮座されていると理解する事にしました。

日本において、多くの神話や史実が本来の出来事とは違う形で伝わっていると思います。
真実は真実として、ただそこに在るので、自分の感覚を研ぎ澄まし感じていきたいと思います。



その宇佐神宮の参拝方法は、出雲大社と同じ「二拝四拍手一拝」であり、四拍手をたたく神社は日本では「宇佐神宮」と「出雲大社」しか無いようで、出雲との関わりもあるのかなと想像を膨らませます。



宇佐神宮は、「上社」と「下社」と本殿が2つある構造になっており「亀山(小椋山)」という小山のふもとに下社が、そして山頂に上社があり、どちらにも3つの社殿が建っています。



両方お詣りしないと片詣りとされるようですね。
朱と緑のコントラストがとても美しいと思いました。




こちらは素戔嗚尊をお祀りしています。
殆ど人が居なくて、私と同じ歳くらいの男性と私だけがこちらの鳥居の中にいました。
その男性の方が、神様と交神をしていて、その参拝の後ろ姿が美しくて、静かにみせてもらいました。


そしてこちらは、少し離れたところにあるお稲荷様。
こちらも御神気が凄かったです。



帰り道の参道を横道にそれると、大きな池があり、そちらに白鷺が、優雅に佇んでいました。



神社でみかける鳥は神々しくて、暫く眺めていたくなりました。宇佐神宮の参拝を終え、車にて宇佐神宮奥宮である大元神社の登山口に向かいました。

弥山に続き、2日続けての登山です。

続く

コメント一覧

@katumoku10 さん
こんばんは
刮目天さんのブログは、学者さんかなと思うくらい、いつも凄いなぁと学ばせて頂いてます。
ありがとうございます😊
私は神社が大好きでして、お詣りした後、そこで感じた感覚を元に復習がてら、その史実を探るのですが、いつも謎を解明できないままふんわりぼやっと終わってます😅
それでも、日本の凄さをしみじみ感じており、捻じ曲げられて教育で押し付けられたものではなく、本当の史実を皆んなが知ることで、日本人としてのこの国に生まれた尊厳を取り戻り、他国の言いなりになるのではなく、世界平和に貢献できるのではないかな、なんて思う今日この頃です。
今後とも、学ばせてくださいね。
コメントありがとうございました。
katumoku10
有難うございます。
いいところに行ってきましたね(#^.^#)
宇佐神宮は大和朝廷が最も畏れる神様が祀られています。
ここの三柱の神の正体が分かれり日本建国の謎・卑弥呼の謎も解けましたよ(^_-)-☆
死ぬまでにもう一度お参りしたい神社です( ^)o(^ )
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