何故、古事記、日本書紀には富士山が出てこないのだろうと、少しでも古代史に興味を持った方なら疑問を感じていると思います。
偽書とされてきた古代文献には、おそらく史実が隠されており、それらを総合的に勘案して、日本国の真実の歴史を知る必要があるんじゃないかな。。なんて思ったりしてます。
知れば知るほど、神の国である日本の素晴らしさを感じますし、残念なのは真実が隠され、捻じ曲げられたものを学ばされてきたが故に、興味を無くし、自らの頭で考えることをやめ、この国に生まれた誇りのようなものを失いかけている人がいるのではないかと感じたりしています。
何故、不二阿祖山太神宮にお詣りしたいと思ったかというと、
この地が記紀では隠されている富士山の麓にあるということと、
元主一太神を祀る復興の地であり、この神様こそ、大元の神様であると信じて、毎日祈りを捧げている国常立尊を祀る地であると感じたからです。
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この地に足を運び真実があるかを感じてみたい。
霊感も霊能も無いから何を感じられるかはわからないけれど、近年のスピリチュアルブームにのってエネルギーチャージしたいというような思いとは全く異なり、
ただ国常立尊を感じてみたいと思いました。
こちらにも眞名井の御神水があるようですね。
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以下、国常立尊について、Wikipediaより紹介させて頂きます。
大本神諭は『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ』
出口王仁三郎氏は、艮の金神の正体を古事記や日本書紀で国祖神とされる国之常立神(国常立尊)と審神した。
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国祖神の治世は厳格を極めたため、不満を募らせた八百万の神々により国常立尊は艮の方角(鬼門)に封印されて「艮の金神」となり、妻神豊雲野尊は坤の方角にこもって「坤の金神」となったといいます。
神諭は、節分(豆まき)、鏡餅、門松など日本の多くの宗教的儀式に国常立尊を調伏・呪詛する目的が隠されていると指摘しています。
だが国常立尊が再び現れる日は迫っており、それにともない体主霊従の文明から霊主体従の文明へと、価値観が大転換すると説きます。
変革が行われたあとに到来する理想世界はみろくの世とされ、「水晶の神世」「松の世」とも表現されます。
一番大切にお祀りしなければならない太一の主神である国常立大神を、艮の金神として、鬼門に封印し、国民の目を閉じさせることにより、心から神を忘れさせてしまった時代は、もう終わりに向かってます。
豆まきやお雑煮、鏡餅や門松などとして、祝い事と偽り、封印儀式を日本国民に馴染ませ、国常立大神を調伏してきた歴史を、古代史や神々の事を学んでいくと、こんな私でも少しずつわかってきました。
今まで知らず知らずにやって来た事が申し訳なさすぎて、大祓の祝詞に組み込まれている唱えてはいけない文言などにも気付いてしまって、こういう知らないうちに組み込まれている邪を全て消し去り、嘘偽りのない混じり気のない純粋な気持ちで、太神様に手を合わせたいと思います。
人間は、神の働き無くしては、ほんの少しの時間も生きている事が出来ないのです。
神は感謝されなくとも、無碍な扱いをされようとも、日々お役目を果たされているのですから、ただただ感謝しかありません。
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こちらの鳥居の真ん中に大宇宙のエネルギーが降りてきていると云います。
気持ちの良い氣を感じます。
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現在は荘厳な神社が建っているわけではないけれど、エネルギーの噴き出ている、この復興の地を、きちんとお祀りをしていくことの大切さをしみじみ感じます。
この地に降りているエネルギーは、わかる人にはわかるようで、海外のシャーマンのような方がお詣りに来られて何かを感じ、感動してポロポロと涙を流すようです。
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そんな事を知ると、神の元に集う人類は一つですね。
善悪も其々の立場によりコロコロ変わりますから、人や国をジャッジするのはやめようと思います。
人がつくった国境など、本当はいらないのかもしれません。
縄文時代、人々は神と通じ、争いもなく平和で幸せに暮らしていたといいます。
けれど、人類は主神に対し、やってはいけない事をやってしまったが故に、国は乱れ、争いが起き、社会でも悪が蔓延るようになったのかもしれません。
人間の思い、想念が重くなり、量子力学的に悪いエネルギーを生み出し、災害が起こっているとも云われていますよね。
全て人が生み出したのであり、神々はそれを災いが少なくなるよう祓い清め続けてくださっているのです。
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こちらの宮司さんとお話しする機会を持つ事が出来て、色々な封印がとけて、時代が変わってきていると話してくれました。
悪が出来なくなる水晶の世まであともう少しかな。。
この地を祀る事の意味は、神のエネルギーを強め、全てを善に導くことに繋がる。。
なんて宮司さんと話していて思いました。
御魂が鏡に写れば良いのに。。
自分磨きこそ、社会磨きで世界平和に繋がるかもしれませんね。
宮司さんとのお話は興味深く、後日書いてみます。
続く