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お山にお宮がたちました

佐美長神社と伊雑宮

伊勢詣りを始めて、数年たった頃、外宮、内宮からかなり離れたところに伊雑宮があることを知り、どうしても行かなければいけないと思い、訪れたのがおよそ8年くらい前のことになります。

はじめて、伊雑宮に訪れて感動して、車で行くようになってから、その後何回も訪れました。
けれど、こんなに近くにある佐美長神社は訪れたことがなく、内宮の別宮で伊雑宮の所管社である佐美長神社を、今年たまたま知り、お詣りすることにしました。


佐美長神社・佐美長御前神社を所管する伊雑宮との間はおよそ800mほど離れており、この伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道を「御幸道」(ごこうみち)と言い、かつて神が両神社を往来したと伝えられています。

境内にある佐美長御前神社は4つの社から成り、伊雑宮の所管社5社のうち第2位から第5位であります。

明治4年(1871年/1872年)に「佐美長神社」に改められるまで、大歳宮(おおとしのみや)、穂落宮(ほおとしのみや)、飯井高宮(いいのたかみや)、神織田御子神社(かむおたのみこのやしろ)などさまざまな社名が用いられていたようですね。



祭神は大歳神(おおとしのかみ)。
穂落伝承に登場する真名鶴が大歳神であるとされる。
ほかに「大歳神」はスサノオの子であるとする説、伊佐波登美神またはその子とする説、穀物の神とする説が出されている。
「大歳神」の名の由来は、「穂落(ほおとし)が大歳(おおとし)に変わった」とする説と、
「鶴が長寿を象徴することから、多き年が転じて大歳になった」とする説があるようです。



大歳神、素戔嗚尊の御子神なのかな。

伊雑宮の外宮だと考える住民もいるようです。
内宮、外宮からも離れており、伊雑宮よりも知られてないからか、訪れた時は誰もいませんでした。
素敵な空間にうっとりとして、佇んでいると神風が吹き、何とも美しい光をみせてくださいました。

垂仁天皇27年9月、倭姫命一行が志摩国を巡幸中、1羽の真名鶴がしきりに鳴いているところに遭遇した。
倭姫命は「ただごとならず」と言い、大幡主命と舎人紀麻良を派遣して様子を見に行かせた。
すると稲が豊かに実る田を発見、もう1羽の真名鶴は稲をくわえていた(「くわえて飛んできてその稲を落とした」とも)。
倭姫命は「物言わぬ鳥すら田を作り、天照大神に奉る」と感激し、伊佐波登美神に命じて抜穂(ぬいぼ)に抜かせ、天照大神に奉った。
その稲の生育していた田を「千田」(ちだ)と名付け、その傍らに神社を建立した。
これが伊雑宮であり、真名鶴を「大歳神」として祀ったのが佐美長神社である。



感動で涙が出そうになりました。
お宮の復興にひと段落つき、やっと辿り着けたような感覚。
ずっとこの地にいたいと思いました。

その後、伊雑宮へ向かいました。


伊雑宮も、大好きな素敵な神社です。
人が溢れる神社より、ひっそりと静かな神社が好きかも。





伊雑宮の稲穂🌾を加えた真名鶴。
素戔嗚尊の御子神だなんて、想像するだけでも幸せな気持ちになりました。

※写真には、一切の加工はしていません。。



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