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お山にお宮がたちました

葛城一言主神社 in 奈良

  
少し前になりますが、奈良の一言主神社に姉とお詣りしました。




一言主(ひとことぬし)は、日本の神で、『古事記』(712年)の下つ巻に登場するのが初出であります。



460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見つけた。

雄略天皇が名を問うと
「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」
と答えた。

天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送ったとある。



少し後の720年に書かれた『日本書紀』では、雄略天皇が一事主神(一言主神)に出会う所までは同じだが、自ら「現人の神」だと名乗り、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。



それが、、、
時代が下がって797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。

これは、一言主を祀っていた賀茂朝臣氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。
(ただし、高鴨神は、現在高鴨神社に祀られている迦毛大御神こと味耜高彦根神であるとする説もある)



さらに、822年の『日本霊異記』では、一語主(一言主)は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。
役行者は一言主を呪法で縛り、『日本霊異記』執筆の時点でもまだそれが解けないとある。



『続日本紀』で流されたと書かれている土佐国には、一言主を祀る土佐神社があり土佐国一宮になっている。
ただし、祀られているのは味鋤高彦根神であるとする説もあり、現在は両神ともが主祭神とされている。



710年代から720年代の成立になる『土佐国風土記』の逸文(他書に引用された断片文)では、

土左の郡。
郡家の西のかた去(ゆ)くこと四里に土左の高賀茂の大社(おほやしろ)あり。
その神の名(みな)を一言主の尊(みこと)とせり。その祖(みおや)は詳かにあらず。
一説(あるつたへ)に曰はく、大穴六道の尊(おほあなむちのみこと)の子、味鉏高彦根の尊なりといふ。



下って『続日本紀』天平宝字8年(764年)条では、大和葛城山で雄略天皇(第21代)と出会った「高鴨神」が、天皇と猟を争ったがために土佐に流されたものの、賀茂氏の先祖神であったことにより天平宝字8年に大和国葛上郡の本処に戻し祀られたと見える。



また『釈日本紀』(鎌倉時代末期成立)所引『暦録』では、葛城山で「一言主神」が雄略天皇と出会ったとし、一言主は土佐に流されて「土佐高賀茂大社」に祀られ、天平宝字8年にその神霊を葛城に戻し復祠を建てるにあたり、神霊の和魂は土佐に留め祀ったとしている。



これらの記述以後土佐神社祭神に関しては、一言主説、味鋤高彦根説、一言主・味鋤高彦根同一神説などが展開された。

以上、Wikipediaより



何なんだろう。。
神様と天皇が争うとか???
そして島流し。。
鴨族が土佐へ流されたということかな。

土佐神社は土佐国一之宮です。
土佐神社の御祭神は味耜高彦根神と一言主神です。



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