伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえるようです。
本堂へは、駐車場から階段を上がります。
本堂の手前には鐘があり、その前には脇屋義助公という方の廟堂への案内があります。
手水舎が可愛らしくて、薬壺から水が出ています。
国分寺の薬師如来様です。
こちらが国分寺見所の握手大師像と薬師のつぼです。
御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌 守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
興亡を繰り返し、
天慶2年(939年)の藤原住友の乱、
元暦元年(1184年)の源平合戦、
貞治3年(1364年)の細川頼之による兵火などで焼失、
また、天正12年(1584年)長宗我部元親の侵攻の際に焼き討ちにあって荒廃したが、
そのたびに再興される。
焼失を免れた多くの古文書によって律令制衰退後に国分寺の多くが荒廃していく中で同寺が伊予における仏教信仰の中心地として曲がりなりにも維持されてきたことが明らかになっている。
Wikipediaより
大師堂です。
七福神石仏です。
握手修業大師では、お大師様と握手をして願いを1つだけいうようです。
薬師のつぼでは、自分の体で気になるところが書かれている場所に触れながら、薬師如来の御真言を唱えると良いそうです。
主人が握手をしていました。
近くから見るととても親しげで笑ってしまいました。
いつらかそんなに親しくなったのよ??😂
こちらが薬師のつぼ。
隣に神社がありました。
こちらが薬師のつぼ。
隣に神社がありました。
春日神社です。
後冷泉天皇の永承5年8月に国分寺第一二世権大憎部雲海が国分寺の鎮守として、春日神杜を勧請して、寺内に杜殿を建立し奉斎したのが本杜の創祀したようです。
主祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)
主祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売大神(ひめのおほかみ)
であります。
境内には
八幡神杜(誉田別命)
楠本神杜(須佐之男命)
山之神杜(大山津見命)
国分神杜(誉田別命、須佐之男大神)
楠本神杜(須佐之男命)
山之神杜(大山津見命)
国分神杜(誉田別命、須佐之男大神)
があります。
寺の横にひっそりと神社が建っていましたがクルリと一周まわって散策しました。
神社の空気は優しくて癒されました。