その時、熊本県やまなみハイウェイを車で通ったのですが、天気が悪く霧がかっていて、景色を堪能する事が出来ませんでした。
今回は夫と2人旅。
主人は、中学の修学旅行以来およそ40年ぶりの九州と言います。
天気は晴天。
天気に恵まれ絶景をドライブします。
元々、人間がつくることのできない大自然が好き。
全身で自然を感じます。
そして、やまなみハイウェイを通り、進む先は熊本県でずっと訪れたかった神社。
上色見熊野座神社。
アニメの舞台にもなった神社ですが、鳥居をくぐると異世界が広がります。
旅行パンフレットの表紙で見たことのある景色。。
参道には、97基の石灯籠が並び、苔生した緑色の世界に陽が差し込む光景はとても幻想的でした。
なんて美しいんだろう。。。
こういうところに来るとテンションが上がります。
こちらの御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命です。
上色見大村地区には、4~5世紀頃の古墳が多く発見されており、古くから穿戸岩(穿戸社)を尊い磐・稀有な岩穴として信仰し、崇めていたと推測されています。
熊野大神を祀る前史としては、阿蘇大神である健磐龍命と、家来として仕えていた鬼八との伝承が残されています。
以下 上色見熊野座神社紹介HPより
弓の達人であった阿蘇大神の健磐龍命は、弓を楽しみ、阿蘇山頂より矢を放ちます。
従者であった鬼八は、主人の矢を拾うに飽き飽きして、99本目までは拾いに行ったものの、100本目の弓矢を足の指に挟んで健磐龍命に向けて投げ返します。
これに「家来の分際で大切な弓矢を蹴り返すとは、なんと不届きな奴」と激怒した健磐龍命は、鬼八を殺さんとします。
鬼八は逃げ回るものの、阿蘇は山に囲まれているため、山にぶつかって逃げ切れません。
上色見の外輪山を越えて逃げようとしますが、岩壁に逃げ道を失った鬼八は、岩壁を蹴破って逃げ去ります。その時の穿った穴の跡が、穿戸岩(穿戸社)とされています。
鬼八は、上色見の穿戸だけでなく、冬野にも穿戸を残して逃げ続けますが、とうとう健磐龍命に追いつかれます。
絶体絶命に陥った鬼八は、健磐龍命に向かって8回屁を放ち逃げおおせます。
その屁を放った地は矢部(旧矢部町)とされています。
しかし鬼八は、とうとう高千穂で健磐龍命に捕まり、首を刎ねられてしまいます。
その首は天に昇って怨霊となり、毎年暑いころになるまで霜を降らせ、作物に害をなすようになりました。
健磐龍命は怨霊おんりょうに霜を降らさないように頼むと「寒いと切れた首が痛くてかなわない。温めてくれるなら悪さはしない。」と答えます。
健磐龍命は、阿蘇宮のすぐ近くに霜宮を建て、鬼八の霊を祀って毎年火を焚いて温めるようになり、霜の被害は出なくなったと伝えられています。
その鬼八伝説と共に伝えられているのが、石君大将軍と熊野大神の伝承です。
阿蘇大神である健磐龍命の荒魂とされる石君大将軍の兜かぶとの中に、二柱の神が顕われます。
その出現した二柱の神は、熊野大神であるとされ、紀州国熊野より御祭神の伊弉諾命と伊弉冉命を移し、奉斎したのが当神社の創祀とされています。
その建立に際しては、2羽の大きな鳥が神献すべき榊の枝を咥え持ち、阿蘇山の東麓の当洞窟に止まったことから、社殿が建立されたと伝えられています。
以降、熊野穿戸岩社、穿戸岩権現、熊野宮と称し崇められ、南郷谷の総鎮守として祭祀されてきました。
伝説で鬼八が蹴破った岩壁がこちら。
逃げ去った時の穿った穴の跡が、穿戸岩(穿戸社)です。
鬼八伝説の真偽はわかりませんが、この雄大な自然の情景に心が洗われました。
突然思いついて、決行した九州旅行。
運は動くと巡ってくる。。
という姉の言葉は、今や私の名言となり、思いを行動に移す決意を後押ししてくれます。
来れて良かった熊本県。
こちらにお詣りさせていただき、本当に有難いなと思いました。